議論部屋 過去ログ
| -------------------------------------------------------------------------------- 加藤○いの盗撮ビデオ 投稿者:かとう 投稿日: 9月25日(木)22時06分50秒 噂のやつです。雑誌でもいろいろでてるみたいですね。 怪しいと思うかも知れませんが、本当に本物です。 http://www.otonano-dvd.com/katou サンプル置きました。一度見てください。 あと数本しかありませんのでお急ぎください、 http://www.otonano-dvd.com/katou -------------------------------------------------------------------------------- お薦め映画 投稿者:胡蝶社主人。33歳 投稿日: 9月12日(金)04時13分04秒 A サンタ・サングレ(ホドロフスキー監督) B 望郷〜サンダカン八番娼館(熊井啓監督) C からっ風野郎(増村保造監督) D 狂った果実(根岸吉太郎監督) E A〜Dの作品を含む、お任せコース -------------------------------------------------------------------------------- 主人さん的言い訳? 投稿者:小坊主 投稿日: 8月21日(木)02時59分51秒 自分の高校時代について、ただの嫌な奴、思春期にありがちな経験と言われるのはやはり辛いです。 もう少し、丁寧に話した上でそう言われるのなら、静かに引き受けようと思います。 箇条書き程度ですが、説明します。 ・・・・・・・・・・・・ 私は、小学校に入学した時から、高校一年まで、成績はずっと学年トップだった。 母親は、そんな私に、「成績はいいけど頭は悪い」とか、「成績を自慢してはいけない」などと繰り返し言い聞かせた。 しかし、実際親戚の前では、「うちの子は、ちっとも勉強しなくて困る」などと謙遜しておきながら私のことを自慢していた。 私はそんな母親を見ているうちに、次第に必要以上に自己卑下をするようになった。 母は、「将来は自分の好きにしていい」と言いながら、言外に、一流大学に入ることを常に要求してきた。 私自身、負けず嫌いな性格だったから、一度トップに登りつめると、トップでないことが許せなくなり、すべてに完璧を期すようになった。 授業では、いつも最後に指名された。いつも、正しい答を、過不足の無い正しい答だけを要求された。 私が小学生だった頃、一番の冷やかし文句は、「まじめ」と「がり勉」だった。 私は、それらの言葉の矛先になることを恐れ、わざと遅刻をしたり、間抜けな人間を装い始め、また、なるべく勉強をしないようにした。 次第に、周囲の人間への被害妄想的憎悪が募ってきて、自分は天才であり、自分以外はゴミだと思い始めた。 何でもすぐに上達する方だったので、周りは何かにつけ「才能がある」と誉めてくれた。 しかし、中学入学時あたりから、「才能がある」という言葉は結局、「素人にしては、上手い」という以上のものではないことを実感し始める。 自分の中の本当の才能を見極めて、早くそれに集中したかった。しかし、欲張りな私は何も捨てられなかった。 勉強が嫌いだったわけではない。しかしそれよりも、強迫的な完璧主義が先に立つようになっていた。 塾に行かなかったのは、学歴社会へのせめてもの反発であった。 中学2年頃から、赤面症・対人恐怖症になり、腸炎を患う。こんな地獄がいつまで続くのかと、絶望する。 中学3年時、1学期から3学期まで、オール5で通す。 気が付くと、私と母は親戚中の嫌われ者になっていた。 高校入学、バレー部に所属、素人の才能と、経験者の実績の隔たりを感じ、初めて挫折を味わう。 好きだった絵画も、次第に自意識の塊のような作品しか描けなくなる。 そんな駄作でも、周囲の評価は受けていた。 この頃、全国模試の上位成績者として雑誌に名前が載る。 周囲の期待がいよいよ高まる。腸炎が悪化し、嘔吐を繰り返すようになる。 内出血のためか、吐瀉物は真っ黒だった。 腸炎と貧血で入院。これを期にバレー部退部。 緊張の糸が一気に切れ、ノイローゼ(鬱とも言える)になる。 部屋に引きこもって、布団の中で無為な毎日を過ごす。 母との激しい喧嘩が続く。 「お母さんは、こんげん頑張って働いとるとに、何で学校行かんと」と涙する母に、「じゃあ、生まんやったら、良かったとに」と返す、そんなやりとり。 母は、私のノイローゼを、父方の遺伝のせいにした。 父はその頃既に精神分裂病になっていたし、父の姉もその傾向があったし、父の弟は蒸発して行方不明になっていた。 私は、あんたのせいだ!あんたのせいだ!と母をなじり続け、同様に、自分も責めつづけた。 何度も死のうとしたが、できなかった。 一番怖かったのは、夜ではなく、昼だった。 午前10頃、急に家の周りから音がしなくなる。窓から外を覗いても、誰も歩いていない。 この世界には誰も存在していないのではないかと思われた。 しかしすぐに、存在していないのは私ではないかと気が付く。 息ができなかった。 昼の光は、白い闇であった。 ・・・・・・・・・・・ 私の高校時代は、概ねこんな感じでした。 大学時代、宮台の書物に出会って、自分の悩みが馬鹿らしくなって、それ以来人には言わないで来たのですが、やはり、私はこの時の体験からまだ抜け出せていないのです。 両親からはいまだに就職しろと言われますし。 あさのさんの言う通り、骨のあるやつだと認めてもらいたがっている節はありますね、やはり。 -------------------------------------------------------------------------------- あ、そうだ。 投稿者:鈴木です 投稿日: 8月16日(土)19時15分16秒 ここってどうおもう? 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何が原因で、どういう問題が起こって、その結果どうなったんでしょうか。 主人さんの下の書き込みだと、おおまかな所しかわからないので…。 一つ申し上げておきますと、これはカウンセリングの類ではありません。(そんなのできないし) 今回の事件の着地点を見出そうという試みのつもりです。 お答えいただけなければそれでもいいし、別の切り口で問題を掘り下げて行きたいなら、 それを提示してください。 ではまた。 -------------------------------------------------------------------------------- 説明3 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月10日(土)00時59分16秒 そして、中途半端な状態とはいえ、とりあえず戦闘が中止されたと思うきや、今度は次鋒かそれとも大将か、という第三者氏からの書き込みです。この大将も、いやになったら消えるという、言外の脅迫を、前提にした刺客です。しかも、ここまでことが進んだので、やむなくこうしたことを言っていますが、基本的に、掲示板というのは自由に気ままに書いていい場所である、というこのルールの存在が、ぼくを苦しめます。ぼくからすると、彼らの書き込みの姿勢は、法律を武器として、かくれみのにして逆利用している、たいへんやっかいなやり方と映るのです。 これ、全て、ぼくの主観として話させていただきました。 ぼくのこの主観が、果たして単なる主観なのかどうか。適正な交換を歪める忌まわしい行為なのか? 確かに小坊主さんの新たな書き込みにもある通り、ここに来ている方の多くの意見が、ほんとうに適正なものなのかはわかりません。しかし、ぼくはこれを大いに参考以上のものとして受け取りたいのです。たまには向こうを向いて何か言ってくれ、慰めでも応援でも、こちらを向いてではなく、なにか問題が向こうにもあるなら、向こうにも言ってくれ!というわがままはやはりあります。しかし、その上で、やはりぼくが何か言われなくてはならない、あるいはやはり、両方が同じだけ言われなくてはならない、のであれば、それはもう仕方ありません。 レスをつけるべき、と第三者氏から意見がありましたが、ぼくが今回身を引いているのは、今書いたように、どうしても他の人からの意見を先に聞きたいからですし、彼と僕との議論では、事態を悪化させるだけだと思うからでもあります。これは積極的な、理性的な理由です。この理由も、行動のやり方も果たしていいかどうかはわからない。しかし、彼と僕とで話を続けることに較べれば、ましだと思ったのでした。そして、もしかしたらほんとうに卑怯かもしれないこの方法を「許した」理由は、これまで何度も、逃げをくらっている。もう書き込まない、という、ぼくが今回提示した、しばらく待つ、という言い方に較べようもないほどの卑怯なやり方(しかも法を逆手に取った)をこれまで身に受けているからです。 それにあさのさんが前に言われた、「やるならやらねば」も念頭にあります。ここでこうやって書いていてはやや中途半端ではありますが、ついがまんできずにちょこちょこと書いていては、ほんとうにだめになる、そう思ったのです。(久里子さんのは悪いとは思いません)。 この身、みなさんにゆだねました。 勝手ですが、よろしくお願いいたします。いいかげんな気持ちでゆだねたのではないのです。 懸念すべきは、こうしているうちにめんどうくさくなって、小坊主さんや第三者氏が消えてしまうということ、みなさんがうんざりして消えてしまうということです。もしこうなっては仕方ないですが、出来たらなにとぞ、それだけは回避できるよう、ご協力をお願いします。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 説明2 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月10日(土)00時58分09秒 しかし、主観は主観として、もしかしたら彼の主張することが、適正のものなのかもしれない。こっちの無礼とむこうの無礼はまったくお互い様だというならば、本気で自分の主観を疑わなければならない。このように考えたのです。 さらに主観を動因して都合よく考えたことを書きますと、こうした問題をぼくが起こす以前の状態、つまりここのところ(数ヶ月間)の通常状態ですね。ここにおける、他の方々の意見は、言い方は違えど、「まあ、そのお金をお拾いなさい。ここのところはこれでおさめなさいよ。」という感じのものか、「いいかげんにしろ、その男の言う通りじゃねえか」というものばかりで、はっきり言って、それが適正な感覚なのであれば、すでに答えは出ている。こちらが悪いのです。 この状態ですから、すでに勝利を収めている第三者氏としては、わざわざバイアスをかけてこちらが意見を求めること自体、根本的には必要ではないのです。 今夜、ようやく黙ると発言していますが、これも、ぼくの主観では、さらに10発くらい殴って、貯金が出来たので、多少後で引かれても、2〜3発分くらいは、得が残るので、納得もいく、というところまで持ってきたからようやく口を閉じたとしか映らないのです。 ぼくが黙ってからの彼の書き込み、これがない状態だったら、ぼくはみなさんから、3くらいのうれしい意見が出れば、落ち着く状態にありました。しかしなおあれだけのことを言われたら、3くらいのものを受け取ってもまだ納得できないところまできています。 ぼくには彼が、常に、値段より2か3、多く取って、まず適正値段より安く支払い、もめた挙句適正値段きっかりを払って、ことを終わらしているようにしか見えないのです。これが続くので、その都度2か3に過ぎない赤字が、積み重なってあまりにかさんだので、こちらも我慢ができなくなったというのが、ぼくの主観による実感です。 すでに答えが出ているのであれば、ぼくのこのバイアスは確かに卑怯で、バランスを欠いた問題行動に過ぎません。恥を重ねるばかりです。この恥を、計算に入れられないほど、ぼくは我を忘れているわけではありません。恥を覚悟で、賭けさせていただいているのです。 さまざまな事情で、みなさん、言い止まっていることはないだろうかという最後の期待です。 この事情はいくつも考え付きますが、一つ例をあげると、その一つに、前提として、これまでの経験から、第三者氏も、そして小坊主さんも、めんどうくさくなったら逃げて消える、という戦法を持っている、ということが、障害になっているのではないか、ということがあります。 ぼくがまず先鋒小坊主さんとの対話で、ダイヤルを合わせるのに非常に苦労した、というのには、そのことがあります。以前から、経験としてそういうことがあるのはわかっていましたし、今回も、はっきりと、ヒットアンドアウェイのような、いつでも去ることをちらつかせての書き込みでした。いったんしっかり引き受けると言いながらも、さらに言いたいことを言って、少しめんどうになると、また撤退を匂わしました。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 説明1 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月10日(土)00時57分25秒 下に書いたように、きっかけに「過ぎない」とは言いたくありませんが、今回のぼくの暴挙も、これは、表にも書いたように、小坊主さんと、第三者氏の、書き込みの組み合わせによるものでした。ばらして考えれば、ここまでするほどのことではないかもしれません(いや、どうかな?)。そしてやはり加えて、この暴挙を止めることができなかった、間接的な理由は、他の皆さんからの反応というのもあります。書かれたことはもちろんですが、書かれなかったことに対しての疑問です。 ぼくがここまでやっているのは、やはりいじけたとか疲れたとかいうのも、あることはあるかもしれません。しかし、それだけではそんなことはしません。どうも、第三者氏と小坊主さんには意図がつたわらないようですので、書いておきます。 ぼくは、ぼくが反論しようと黙ろうと、次々に書き込まれてきた第三者氏の意見の中にあるように、別にぼくだけが苦労しているとは思いません。彼にも気遣いはあることはわかりますし、こちらに落ち度があることもわかります。お互いに背負っている魔があるのもわかります。 問題は、この互いの気遣いがほんとうにお互い様の、適正なバランスにあるかということです。 ぼくの主観(それほど主観とは思わんのですが、主観としておきます)だと、どうしても、こちらの気遣い (単なる目の前の相手に対する対応、ということだけでなく、論旨の内容など核心も含む、気遣いというより思い遣りと言った方がいいかも。しかもいわゆる「おもいやり」ではなく、文字通りの「思い遣り」です) に対する彼の思い遣りが、適正価格なのかということです。どうしてもぼくの主観だと、彼の払う金額(思い遣り)は、こちらの提示する商品の内容(思い遣り)に対して、ずいぶん安いと思われてならないんですね。ここのところのやりとりに関しても、 「こっちは金払ってるじゃねえか、文句言わずに床の金、拾いなよ。だいたいたいしたもんも出しゃしねえで、文句ばっかならべてんじゃねえよ。こっちだってがまんはしてんだよ。がたがた言ってると、もう店来ねえぞ?ああん?」 「…なあ、機嫌直して金を拾いなよ。おいらもちいと言い過ぎたかも知れねえ。店主の苦労もよくわかるよ。だけどくど言うようだけどよ、お互い様なんだから、な、そこのとこはわかってくんなきゃ。こっちにしちゃあこの金だって払いすぎなくらいに思うところを出してやってんだ。もっと大人になれよ。」 「ここまでこっちが身を引いて下手に出てやってんのにまだだんまり続ける気かよ。いいかげん甘えてんじゃねえぞ。自分だけ苦労していると思いやがって、この腐れ野郎が!」 という風に、つい感じてしまうのです。 |
| -------------------------------------------------------------------------------- あと、 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)07時42分20秒 申しわけありませんが、表の問題が落ち着くまでの間、こちらの議論部屋は、ぼくの書き込み専用にさせていただきます。書き込みは新掲示板の方にお願いします。 -------------------------------------------------------------------------------- 二つの呪い5 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)05時24分30秒 この事態を迎え、みなさんがどのように行動していただけるかわかりません。数日待てば、うれしい展開を見ることが出来るでしょうか。もちろん完全にこちらの期待に添うほどの展開にはならないかもしれませんが、それはそれこそ「かなわない理想」に入り込んでしまうことですから、そこまでを期待はしません。でも、そこまでではなくとも、とても期待しています。悲願です。 もしこの悲願がかなわなくても、結局のところじゃあ店を閉めてやる、とか、ぼくはさいならする、とか、そういったことはぼくには出来ない可能性が高いです。でもそこを前提にされたくはない。これまでも時折キレているから、きっとそれらとごっちゃにしてたかを括っている人もいるのではないかと思いますが、ぼくとしては、いつもとははるかに違うレベルで追い込まれていることは、ぼくの「一生のお願い」のあとの展開を見る限り、相当に軽く見積もられており、どうしてもやはりぼくの口で言わねばならない必要を感じましたので、書かせてもらいました。しかしやはり表に書くのだけは、様々な理由で、避けたいと思ったのでこちらに書きました。 事態の「程度」と「種類」を少しでも理解していただけたら幸いです。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 二つの呪い4 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)05時23分03秒 ここでぼくの中にあったもの、これは理性とか信念とか、そんなかっこいいものではないのです。その、ほとんど呪いともいえる内面の声は、 「今度は絶対に、なにがあっても『アクの強い』側を排除する結果にはしない(させない)ぞ」というものでした。これはもう、ぼくとしては代え難い「悲願」だったのです。しかし、これまでのような戦いを続けてきたぼくとしては、こないだは弱者側の勝ちだったから、今度はアク側に花を持たせればそれでいい、と一方的な反動に身をゆだねるわけにはいかなかったのです。やはり念頭を離れなかったのは、双方の単なる共存以上の和解と理解に対する渇望でした。 ここで、以前の漫研の時の場合と異なった事情は、若さや参加者の人格のレベルの高さだけではありません。もともと、「弱者側」の人間の参加自体が圧倒的に少なくなっていたことです。これは、ぼくがこれまで描いてきた漫画がきびしいものだったことにも原因があるでしょう。世の中の平均を考えると、圧倒的に「弱者」は少なかった、というよりほとんど存在しなかったのです。もちろん、この掲示板の中で相対的に見れば、より弱者側に近い人と、アク側に近い人の差は存在しますが。 ここで、ぼくの中に再び激しく巣食ったのは、「ここに未だ存在し得ない弱者」の存在でした。ぼくは、僕自身の意見や感情だけでなく、ここにいない弱者の主張も、肩代わりしなくてはならなくなったのです。ぼくはこうした「そこにはいない弱者」の激しいせっつきを内面に受けながら、仲介者、中間者として、参加していかなくてはならない羽目に陥りました。しかもそのぼくの中間的な立ち位置は、そこにいる人の中で見れば、最左翼ともいえる、弱者寄りに見えるという屈辱的な誤解を伴うものでした。しかも前に書いた、「絶対にアク側を排除しないぞ」というこの呪い、そして実際苦しい戦いを続けたことによって、ほんとうに僕自身が弱ってナイーブに、そしてエキセントリックになってしまったという不幸、これらが相まって、とんでもなく恐ろしい苦しみとなっていったのです。もちろん、これに加えて、というよりこうしたことより先にあった前提として、なにがなんでも投げ出したくない、という誇りがあったことはいうまでもありません。さらには、おそらくここに来ている人の多くが持っているかと思われますが、ここ以外の場、外界における弱者至上主義のいやらしさ、つまらなさ、などから逃れて魅力的で刺激的な世界に浸るという、居心地のよさや満足感も相当にありました。意地や理想ばかりで続けてきたのではもちろんないのです。出来れば、またこの掲示板を続けて運営し、ぼくも参加者の一人として楽しんでいきたい、そう願っているのです。 しかし、あまりに内面的な鬱屈が、たまり過ぎました。魔の声の激しさが強くなりすぎました。その魔の声と、外界からの侮りや誤解の板ばさみによる疲労困憊は、限界を超えていました。今回の緊急事態の発動は、きっかけによってはち切れて噴出したものです。ただ、きっかけに「過ぎない」とは言いたくありません。 そして、ぼくがここまで躍起になってこの問題にしがみつくのは、「かなわない理想」と「向かい合って血を流せばかなう現実」の境界線を知っているからです。もちろん「向かい合って血を流すまでしてやりたくないのが現実だ」というような論理を立てられれば、黙る他はありません。 しかしそれでもなお、希望にしがみつくこの思いには、大きく個人的なエゴ、都合があります。ここであきらめて店をたたむということは、ぼくの漫画の戦いの希望も消すことになる。ここであきらめて、店をたたんだり、ここでの平均に自分を合わせていく(このことは、さらに平均をアク側にずらす結果にもなるでしょう)ことをしたら、ぼくの精神力もさすがに尽きてしまいます。もちろん、ここがだめだったからむこうもだめに違いない、という論理はぼくの中にはありません。場合によっては、ここがだめでもあちらでは成功する、ということがあるのも知っています。しかしぼくがやや過剰に箴言嫌いなのも、どちらの「論理」で納得しても、有害である、たまたまその通りになってもそれはたまたまに過ぎないということを知っているからです。この掲示板での戦いと、漫画での戦い、「この場合に関して」は、こちらがだめならむこうもだめ、という論理の方が成り立つ、いやそこまで断言は出来なくても、そちらの論理に賭けるべきである、というふうにしか考えられないのです。 -------------------------------------------------------------------------------- 二つの呪い3 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)05時22分16秒 しかし、単純に弱者批判をして気持ちいい状態にはとどまりませんでした。やはりアクの強いものの持つ問題からも目をそらしてはいられなかったのです。代替わりを終えて、4年となり、個人的な思索が始まり、目の前から現実の弱者組が消えると、今度はその弱者組の呪いや恨みまでがぼくにとりつき始めたのでした。それ以来、ぼくの中では、このアクの強い不器用者と、弱者、そしてその間に挟まってどちらの気持ちもわかりながらどちらにも「勝手な!」と不満を抱く、中間者の、三つ巴の戦いが始まったのでした。この戦いは決して不毛ではなく、この自分の中の3つの勢力は、かなりの和解、統合を果たしました。ただし、戦いによる傷は、簡単に「甲斐があった」と満足できる程度のものではなく、しかもだいぶ果たしたとはいえ、まだまだ3つの分裂は完全な統合をし得たわけでもなく、そんな状態で近年に到りました。一番困ったのは、この統合に血道を上げたぼくと、それを早めに回避した一般との間にできた溝でした。現実界や内面の両方で、この戦いを続けてきたぼくと、彼らの間には、かなわない理想と、向かい合い工夫し努力すれば適う現実の境界線に対する理解が全然異なっていたのです。この断絶は当然、商業漫画に関するぼくの戦いを、より難しい苦痛なものにしていました。異なるものの対立と和解、そもそもこの問題にかかわることが娯楽にならない人は大勢いますし、この両方を把握している人ですら、真剣な和解ではなく、分裂したままの共存や、あるいは争いの果ての不幸な結末を描いたものならばかろうじて娯楽になる、という人がほとんどでした。 正直、このあまりにもな断絶に、こちらの工夫や歩み寄りの気力がかなり損なわれていたのは事実でしょう。ただでさえ、ほかならぬこの問題で疲労困憊した状態で、断絶の深さを感じていたぼくは、半ば無意識に、自分の努力に対する根深い疑問やあきらめという魔物にとりつかれながら、中途半端な作品を生み出していきました。 この戦いに、行き詰まり、またいい意味では、重大な大きなステップアップのための蛹化状態に入れというシグナルもあり、もちろん作家活動も続けながらではあるものの、それまでの戦いを較べてみれば「一次撤退」に近い状態に入ったのが数年前のことです。 この機会に、パソコンを購入、そしてホームページ、掲示板の設営を試みました。掲示板も最初はサロン的な、かわいらしい社交の場でしたが、だんだんと持ち味が決まり、新掲示板の方は、重厚な議論を伴うハードなものとなってきました。おおまかには、ぼくは、流れにそってこの掲示板の色合いを決めたかったし(ぼくが一方的に望む単色の理想は元々なかったのです)、実際この展開はなかなか面白くて有意義で、うれしくその流れに乗って展開させました。 しかし当然のことながら、次第に問題は発生しました。さすがに漫研時代とは参加者の人格的な成熟具合も違いますので、ただ同じく、「アクの強い不器用者」と「わがままな弱者」というような対立ではないにしても、やはり同じような問題が発生したわけです。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 二つの呪い2 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)05時21分03秒 アクの強い人の去った漫研も、完全に平和になったわけではありません。これらは、こうした同好会の持つ、ごく当たり前のもめごとでしたが、そういうもめごとの場にぼくが入るにあたり、弱者のグループとぼくの間が険悪になってきました。これにはいくつか個人的なこともあったのですが、それを勘定せずとも、彼らの反感は募っていきました。アクの強い人が抜け、いさかいが嫌いな人と弱者が残った漫研では、平均思想や多数決の具合が、明らかに弱者寄りになっていました。長い目で見た会の存続や、会の生命力を考えた場合、彼らの主張や、多数決での決定に、そのまましたがう(全面的にしたがくことだけでなく、相手が納得できる折半でことを薦めることも含む)わけにはいかないと思いました。ですからぼくは、わりと元々が温暖で人受けが悪くないことをやや過信して、イメージの悪い人が言ったらすぐに反発されるようなことも、ぼくが言わなきゃと思い、発言していきました。しかしその頃には、ぼくの中に一つの呪いがかけられていたのでした。そこにはいない、アクの強い人たちの恨みや、叶わなかった悔しみが、ぼくの中に入り込んでいたのです。呪いを受ける前までは、比較的楽に、相手に合わせた方法で、理性的にわりといい結果を出すことが出来ていた、それはすでに過去のものでした。目の前の相手(この場合弱者グループや無気力グループ)の心情を考えて丁寧にことを進めていくというやり方に、ぼくの中に巣食った、立ち去った者の怨念はその都度ひどい苦情、罵倒を投げかけました。こうして内側からと外側からのバッシングで、ぼくはは疲労困憊していきました。それでも恨まれながらも、いくつかのことは、適いました。しぶしぶやらせたことも、卒業後数年経ってからは、相手側にも感謝されたりして、甲斐が少しはあったと幸せを感じることもありました。しかし、代が代わるごとに、弱者や無気力者の数も度合いも強まっていき、それをたばねる人間も、僕以上に苦労しながらあきらめざるを得ないことも多く、ぼくや数人が死守した会の生命力は、ぼくの卒業後はだんだんと衰えていってしまいました。また、そんな時、ぼくらのようなOBがもっと支えられたらよかったのでしょうが、多くは次の人生に突入していましたし、ぼくなどは、現役時代の疲労困憊で廃人状態にあり、何もたすけてやることはできませんでした。 ぼくの中の問題に話を戻します。こうした経験を終えたぼくの中には、先ほども書いたように、アクの強い側の呪いが燃え立っていました。彼らとの統合に、血の出る苦悩を費やしたのは言うまでもありません。 このようにして、弱者に都合のいい、過しやすい、優しい方向にばかり、注目がいっている世間の動向に対しての批判を書いた卒論『現代日本における弱者至上主義に対する批判的考察』などが書かれたのです。 編集済 -------------------------------------------------------------------------------- 二つの呪い1 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)05時20分14秒 表には、いよいよぼくが一言も書けないような状況が進行していて、緊急事態のシグナルもすっかり軽く見積もられている。それとも早いカタストロフを望むゆえのわざとなのだろうか? ここでは、そのすっかり軽く見積もられた悲鳴の程度と種類を、もしかしたら少しは察していただけるのではないかと思い、この掲示板運営にあたっての、ぼくの受けていた呪いについて書いてみます。 ある程度は年譜などでも紹介し、また時折掲示板でもお話してきましたが、大学卒業後今に続くぼくの地下室人化の理由には、いろいろなものがありますが、親子の関係や、恋愛などのことよりもっと重い、こういう言葉は嫌いですが、まあトラウマみたいなものがあります。 それは大学漫研の運営です。 漫画研究会というのは、一般にもイメージがあると思いますが、弱い人間、かたよった人間の集まりです。ここでは、いろいろな性格の人たちが共存してきました。しかし、ぼくがちょうど指導的な立場に立つ頃、とても傷つきやすい人のグループと、とても傷つけやすいアクの強い人、数名(こちらは結託していない)の間で大きな諍いがありました。 傷つきやすい、といっても、グループとして結託しているから、彼らは、弱者としての横暴さで、逆ギレ状態で、傷付けやすい人のことを罵倒し、またムードをこしらえて、そのアクの強い幾人かを排除して済まそうとしていました。 しかしぼくとしては、傷つきやすい人たちにも問題があり、また傷つけやすいアクの強い人にも、弱さや事情などを感じましたし、また双方にいいところを見つけていましたから、なんとか排除だけは避けようと、日々苦悩し、また間に立ったり、双方を説得したり、また説得が難しい気分に相手がいる時は話を聞いたりして、全力をつくしていました。難しいのは、やはりアクの強い人にも、問題があったということです。単純に、アクの強い人が被害者というわけではなかったのです。しかし、全力の仲裁も虚しく、事態はどんどん悪くなり、ヤツ(アクの強い人)が出て行かなかったら私たちがここを辞める、というところまで、弱者側の主張が行き着いてしまいました。もちろんそうしてからも、まだまだぼくの工夫や行動への努力は続きました。 漫研には、この双方のどちらかしかいなかったわけではありません。この争いを、他人事として流していた人、面白がっていた人、うんざりしながら、片手間で出来るくらいの仲裁で済ます人、どちらかについて、片方の言い分だけを聞いている人、どちらにもそれぞれいい顔をしている人がいました。ぼくと同じように、全力で間に入った人も、少しはいました。その数人の願いにかかわらず、結局アクの強い人は、だんだんと会を去ってしまいました。 会の外で、個人的に友好関係を続けた人もいます。しかし会うにつけ、結局会に残り、また部分的にでも弱者組の肩を持つぼくに対する恨みのようなものを出すことも多く、しだいに会うことも少なくなっていきました。 -------------------------------------------------------------------------------- 間 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 5月 9日(金)02時52分42秒 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・ -------------------------------------------------------------------------------- 続き 投稿者:胡蝶社主人。漫画の鬼 投稿日: 4月 4日(金)03時00分05秒 妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺(なへん)にか出来(いできた)らむ、女子は情(じやう)のために其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみならず、爾(しか)き不快なる文字(もんじ)はこれを愛の字典の何ペエジに求むるも、決して見出すこと能はざるに至るや必(ひつ)せり。然れども斯の如きは社会に秩序ありて敢(あへ)て許さず。 あゝ/\結婚を以て愛の大成したるものとなすは、大(おほい)なるあやまりなるかな。世人結婚を欲することなくして、愛を欲せむか、吾人は嫦娥(じやうが)を愛することを得(う)、嫦娥は吾人を愛することを得、何人(なんぴと)が何人を愛するも妨げなし、害なし、はた乱もなし。匈奴(きようど)にして昭君(せうくん)を愛するも、昭君豈(あに)馬に乗るの怨(うらみ)あらむや。其(その)愀然(しうぜん)として胡国(ここく)に嫁(とつ)ぎたるもの、匈奴が婚を強(し)ひたるに外(ほか)ならず。然も婚姻に因りて愛を得むと欲するは、何(なん)ぞ、水中の月を捉(とら)へむとする猿猴(ゑんこう)の愚と大(おほい)に異なるあらむや。或(あるひ)は婚姻を以て相互の愛を有形にたしかむる証拠とせむか。其愛の薄弱なる論ずるに足らず。憚(はゞか)りなく直言すれば、婚姻は蓋(けだ)し愛を拷問して我に従はしめむとする、卑怯(ひけふ)なる手段のみ。それ然り、然れどもこはただ婚姻の裏面をいふもの、其表面に至りては吾人が国家を造るべき分子なり。親に対する孝道なり。家に対する責任なり。朋友に対する礼儀なり。親属にたいする交誼(かうぎ)なり。総括すれば社会に対する義務なり。然も我に於て寸毫(すんがう)の益する処あらず。婚姻何ぞ其人のために喜ぶべけむや。祝すべけむや。めでたからむや。しかも媒(なかうど)はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類はいふめでたしと、朋友はいふめでたしと、そも何の意ぞ。他なし、社会のために祝するなり。 古来我国(わがくに)の婚礼は、愛のためにせずして社会のためにす。奉儒(ほうじゆ)の国は子孫なからざるべからずと命ずるに因れり。もしそれ愛によりて起る処の婚姻ならむか、舅姑なにかある、小姑何かある、凡(すべ)ての関係者何かある、そも/\社会は何かある。然るに、社会に対する義務の為(ため)に止(や)むを得ずして結婚をなす、舅姑は依然として舅姑たり、関係者、皆依然として渠を窮せしむ。人の親の、其児(そのこ)に教ふるに愛を以てせずして漫(みだり)に恭謙、貞淑、温柔をのみこれこととするは何ぞや。既にいふ、愛は「無我」なりと。我なきもの誰(たれ)か人倫を乱らむや。しかも婚姻を以て人生の大礼なりとし、出(い)でては帰ることなかれと教ふ。婦人甘んじてこの命を請け行いて嫁す、其衷情憐むに堪へたり。謝せよ、新夫婦に感謝せよ、渠等は社会に対する義務のために懊悩(あうなう)不快なるあまたの繋累(けいるゐ)に束縛されむとす。何となれば社会は人に因りて造らるゝものにして、人は結婚によりて造らるる者(もの)なればなり。こゝに於てか媒妁人(なかうど)はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類朋友皆またいふめでたしと。然り、新夫婦は止むを得ずして社会のために婚姻す。社会一般の人に取りてはめでたかるべし、嬉しかるべし、愉快なるべし、これをめでたしと祝せむよりは、寧ろ慇懃(いんぎん)に新夫婦に向ひて謝して可なり。 新夫婦其者(そのもの)には何のめでたきことあらむや、渠等が雷同してめでたしといふは、社会のためにめでたきのみ。 再言す、吾人人類が因りてもて生命を存すべき愛なるものは、更(さら)に婚姻によりて得らるべきものにあらざることを。人は死を以て絶痛のこととなす、然れども国家のためには喜びて死するにあらずや。婚姻亦(また)然り。社会のために身を犠牲に供して何人も、めでたく、式三献(しきさんこん)せざるべからざるなり。 (明治二十八年五月) -------------------------------------------------------------------------------- 『愛と婚姻』泉鏡花 投稿者:胡蝶社主人。漫画の鬼 投稿日: 4月 4日(金)02時59分41秒 媒妁人(なかうど)先(ま)づいふめでたしと、舅姑(きうこ)またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己(ちき)朋友(ほういう)皆いふめでたしと、渠等(かれら)は欣々然(きん/\ぜん)として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。 小説に於(お)ける男女の主客が婚礼は最(いと)めでたし。何(なん)となれば渠等の行路難は皆合※(がふきん)の事ある以前既に経過し去りて、自来無事悠々(いう/\)の間(あひだ)に平和なる歳月を送ればなり。 然(しか)れども斯(かく)の如(ごと)きはたゞ一部、一篇、一局部の話柄(わへい)に留(とゞ)まるのみ。其実(そのじつ)一般の婦人が忌むべく、恐るべき人生観は、婚姻以前にあらずして、其以後にあるものなりとす。 渠等が慈愛なる父母の掌中を出(い)でて、其身を致(いた)す、舅姑はいかむ。夫はいかむ。小姑(こじうと)はいかむ。すべての関係者はいかむ。はた社会はいかむ。在来の経験に因りて見る処のそれらの者は果していかむ。豈(あに)寒心すべきものならずや。 婦人の婚姻に因りて得(う)る処のものは概(おほむ)ね斯の如し。而(しかう)して男子もまた、先人曰(いは)く、「妻なければ楽(たのしみ)少く、妻ある身には悲(かなしみ)多し」とそれ然るのみ。 然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親のために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕(ぬぼく)のために。町のために、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦まざるべからず、甚(はなはだ)しきに至りては死せざるべからず、常に我(われ)といふ一個簡単なる肉体を超然たらしむることを得で、多々(おほく)他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶(なほ)且(か)つ支配さるゝものたり。但(たゞ)愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故(ゆゑ)に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、甘(あまん)じて、これを享(う)く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦(かんなんしんく)といふもの、皆我を我としたる我を以(もつ)て、他に――社会に――対するより起る処の怨言(ゑんげん)のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。 情死、駈落(かけおち)、勘当(かんだう)等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。独(ひと)り婚礼に至りては、儀式上、文字上(もんじじやう)、別に何等の愛ありて存するにあらず。唯(たゞ)男女相会して、粛然と杯(さかづき)を巡(めぐ)らすに過ぎず。人の未(いま)だ結婚せざるや、愛は自由なり。諺(ことわざ)に曰く「恋に上下の隔(へだて)なし」と。然り、何人(なんぴと)が何人に恋するも、誰(たれ)かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧(むし)ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人(ごじん)は渠(かれ)を愛すること能(あた)はず、否(いな)愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪(はくだつ)せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。 古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋(けだ)し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人(なんら)の佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、葛藤(かつとう)、紛紜(ふんうん)、失望、自殺、疾病(しつぺい)等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因りて生ずる処の結果ならずや。(続く) |
| -------------------------------------------------------------------------------- ドスト板1月15日分のコピー〜『川のある下町の話』 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 1月16日(木)19時05分43秒 川端康成などについての感想をしっかり書いたのでコピーしときます。 さてこの間、 >市井の貧しい人たちの生活や感情を暖かく拾い集めた、という部分では、意外と似たテイストを持っていると思います。川端で言うと「川のある下町の話」や「愛する人たち」がわかりやすい例かと思います。しかしぼくは実はこの部分には、川端作品にもドスト作品にも、興味がやや薄く、< などと書いてしまいましたが、実はその後、『川のある下町の話』をちゃんと読んでみると、ものすごく面白くて、川端作品の、というより、ここのところ読んだ小説の中でもかなり上位にくるものになってしまいました。 この作品は、ぼくの印象では『みずうみ』と対極のような作品でした。非常に気持ちのいい男女が登場し、見苦しくなりかねないようなひどく哀しい事件が続く中にもそれぞれの立派な、あるいは素敵な言動で、全てがあたたかく、清潔な感じで哀しみすら結晶化してしまうような、そんな感じです。ぼくはドスト氏と川端氏の共通点を、どちらかというと「みずうみ」系の作品に見出してきたのですが、こちらの方も、(数少ないぼくのドスト経験にてらしても)『白夜』や『弱い心』を始め、いろいろなドスト作品に共通するところがあったように思います。 新潮文庫の裏表紙の解説や、巻末の他作品の宣伝の文だと、全く内容がつかめない(というか違うものを想像してしまう)ので、ぼくなりにドスト板用に紹介してみますね。 この作品は、両親を失い伯父の援助で医学を学び、川のある下町の大学病院でインタアンをしている貧しいインテリ美青年栗田義三が、ある日溺れた幼児を救うのですが、その年の離れた目の美しい種違いの姉である不幸で極貧の少女ふさ子と、清潔で真剣な愛情をはぐくもうとする話です。ふたりの周囲には、義三に心を寄せる同僚の女医見習の知的な民子や、同じく義三にくったくのない初恋の想いを寄せる従兄妹の桃子などがおり、ふたりは義三が手に届かなくなってからも、愛し合うふたりの幸福に尽くしますが、これが、うそくさい絵空事になっていないことがさすがです。 ふさ子は、自分の苦労には辛抱強い少女でしたが、あまりに続く周辺の不幸に、自分の愛する人間はみな死んでいくという強迫観念を持ち、義三との幸せを目前にして耐えられず姿を消してしまいます。消えた先の福生で、清純な彼女を無償で救おうとしたやくざな美青年を不幸にするにいたって、義三がようやく発見した時には、ついに彼女は精神を病んでしまっていたのでした。 どうでしょう。ドストっぽい感じ、しませんか? 主人公の義三の描写で、ドスト作品と川端作品の共通性と違いを、端的に示した(とぼくには思えた)部分があります。 町を激しく歩きまわりたいようでもあり、だれかと止め度なくしゃべり散らしたい夜のようでもあったが、じっと座っていた。 「が、じっと座っていた」 これは、ドスト氏と川端氏の違い、でもありますが、個人的な印象としましては、ロシア的と日本的の相違、というふうにも感じました。 ドスト作品の方では『地下生活者の手記』を読み進めているのですが、最初は、ちょうど今ぼくの頭がわりとドラマやストーリーのあるものを求めている時期だったため、入りにくかったのですが、「ちょうど『未成年』の地の文から、具体的なエピソードをくりぬいたような感じだな」と気付いた瞬間から少し面白くなり、第2部に入って、過去のエピソードが語られ始めてからは、読み終わってしまった『未成年』が新たに蘇ったような、そんなうれしさで読んでいます。 -------------------------------------------------------------------------------- ありがとうございます。 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日: 1月 6日(月)21時23分03秒 さっそく遊びにいかせていただきました。近いうちに書き込みもしたいと思います。その時はよろしく。受験勉強頑張ってください! -------------------------------------------------------------------------------- 最近は使っていないなあ。 投稿者:のろモグラ主人 投稿日:12月11日(水)12時54分01秒 まあ消火器みたいんあものだし、これがいいのかも。平和、平和。 -------------------------------------------------------------------------------- あまり使ってないと… 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月21日(木)23時41分45秒 削除されるかな?と思い、書き込みしてみました。意味はありません。 -------------------------------------------------------------------------------- 続き3 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月 2日(土)01時23分33秒 公開掲示板でこの手の議論をするのは問題があった、ということで、新しくそれ専用の掲示板が出来、その後はそこで議論が展開されています。ぼくの悲惨ぶりが炸裂していますので、興味のある方はどうぞ! 参った! http://6411.teacup.com/banya/bbs -------------------------------------------------------------------------------- 続き2 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月 2日(土)01時18分12秒 -------------------------------------------------------------------------------- その3(完結) 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日:10月31日(木)02時11分35秒 まあ、このような形で、事前の準備、十分な宣伝活動、上級生の積極的な参加・背中での教育、こうしたものを整えれば、似顔絵もより活性化するし、その上、それ以外のサービスもお客さんに楽に出来るようになるかと思います。 あとは、部員の間でのシフト制がどうなっているかですね。昨年の青山祭、それから今年の厚木祭で感じたのは、学校には来ている部員の、自由時間が多すぎるのではないか、ということです。実際に教室あるいは控え室についている部員が少ないということですね。これでは確かに、例えば今回問題になっているようなサービスでのイラスト描きなどをしている間にお客さんが混んできたら対応しきれなくなる。 …とこんな感じで、状況を変えていけば、部分的なことを議論しなくても、かなりのことが済んでしまうのではないかと思います。どうせもめるなら、やる気がありすぎてはみ出る部員をいさめるようなもめ方をしたいですね。1〜2年生、がんがんやって下さい。いい意味で生意気にね。 上級生は、がんばってかっこいいところを背中で示してやって下さい。OB1年くらいまでは、まだまだ現役バリバリのつもりでがんばろう。あ、もちろんこれは行動で、ということですよ。逆に幹部を退いた4年生なんかは、自由に動けるのではないでしょうか。3年生は政治的な役割もあるのでどうしても上に立って指示することになりがちですが、4年生やOBなら、口は出さずに、1〜2年生に混じって1参加者として背中で道を示すことが出来ます。 長くなってしまいました。しかも青祭ぎりぎりになって…。 でもまあ、前日の準備の日などでもここで書いたようなことは、作業しながら、手を動かしながらでも話し合えるわけでし、うまく参考にして取り入れてもらえたらうれしいです。 ここまで書いたのも、なるべく当日には、ごちゃごちゃ言いたくないからでもあります。またしつこく青祭にも参加させていただきますが、なるべく1参加者として大人しく似顔絵を描いていたいと思います。ちなみにぼくが現役の時、2〜4年生までの間は、教室まで売りに来た焼きそばなどをとりあえず5分か10分で食べる以外(あとトイレとタバコ休憩)は、ずっと似顔絵を描いてましたよ。そんなのもいい思い出です。 では、当日を楽しみにしております。 -------------------------------------------------------------------------------- 続き 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月 2日(土)01時17分38秒 -------------------------------------------------------------------------------- その2 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日:10月31日(木)02時10分34秒 前にその話をしたら、1〜2年生がうまくならないから、練習させるために、1〜2年生優先でやっている、ということでしたが、3〜4年生になったらメインで描かなくなるなら、うまくなったって意味ないんじゃないか? それこそ、3〜4年生が頑張って似顔絵をメインに描き、背中で手本を示し、それを1〜2年生が、片ごしに覗いて技を盗んだ方がよほど練習になる。また、うまくなった3〜4年生が、初日からきばっていい似顔絵を描いていれば、その日に描いてもらったお客様(特に学内のサークル)が、友人やサークル内の人などに見せることで、その日の後半や2日目、最終日と、どんどんお客さんが来るようになる。そうすると、まずうまいひとに列が出来るようになる(指名)。そうやって混むようになると、さすがに待つまでもないと思ったお客さんは、特に指名なしで席に座ってくださるようになる。そんな時に、1〜2年生を投入すればいいのではないか。お客さんをまず増やせば、わざわざ1〜2年生に出番を譲る必要などは消えてなくなる。 また、1〜2年生に練習させたいのであれば、いつもちょこちょことイラストなどを描いている奥の席がありますよね。あそこでお互いに描きっこしていればいいし、それを控え室でやっていてもいい(そもそも事前に練習はしておくべきだけど)。いや、しかしやはりお客さんがたくさんくればそういうことすらしなくていい、というのを強調すべきだな。まあ、そういうことです。 さらに、今回はもう、ちょっと間に合わないかもしれないけれど、事前に出来る用意は、事前に済ませておく、ということも、ものすごく重要です。 ここ数年、すごく気になっているのが、当日になってのしおりの作成に、多くの力が奪われていることです。しおりは、事前にたくさん作っておけばいいでしょう。どうやら、かなり多くのしおりが、これまで数年間に作られたもののリサイクル(コピー)のようですから、逆をいうと、少々売り余っても、次回にまわしたってかまわないわけで、余分に作ってはいけない、ということは言えなくなる。 まあ、正直、そのこと(リサイクル)にもやや疑問は感じるのですが。しおりは、既成のゲームキャラやアニメキャラを使ったものも多く、そういう場合、もっともっと「旬」を意識すべきでしょう。コミケなどを消費者としても利用している人ならそのあたりは実感としてもよくわかるはず。常に新しいものもどんどん用意していかなくては、売上にもつながらないし、新しいものが少ない、という状況は、教室や漫研自体の雰囲気をよどませてしまう。これは大型ポスターに関しても同じことです。毎回、もったいないと思いつつでいいから、流行最先端のキャラでも描いたでっかいポスターを新しく作りなさい(笑)。『似顔絵200円』と『教室番号』はもちろん描き込んで。 最低でも、校舎外に貼り出すものと、教室の外廊下に貼るものの2枚は必要だと思う。今までのものは、それ以外のところ、校舎の入り口や階段などに貼れば無駄にならない。さらにいたるところに、コピーした小型のポスターを貼ることも重要ですが。とにかく、外部の、どこが何号館だかわからない人が、大学祭用のパンフをわざわざ開いて見なくても、貼ってあるポスターだけで教室にたどり着けるくらいのポスター貼り(これは数だけでなく貼る場所などの工夫も含みます)が必要です。 -------------------------------------------------------------------------------- ついにぼくも「あらし」デビュー(苦笑) 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月 2日(土)01時15分28秒 母校の漫画研究会の公開掲示板に、いろいろと活動のあり方を述べたら、なにかものすごい騒ぎになってしまって、なんと一時閉鎖になってしまいました。 以下がその問題の文章です。 遅くなりましたが…その1 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日:10月31日(木)02時09分21秒 >うにょさん 更新作業お疲れ様です。 すみません。いろいろ忙しかったり、さて書こうと思ってたら、祖母が亡くなって家族で九州に行ったりして、その後の書き込みがしばらく出来ませんでした。 もう青山祭、すぐですね。 >で、新歓の時も出てたけど、この手の話は専用掲示板でも作って外部の方も見る機会もある こういうところでやるのはできるだけ避けたほうが良いと思うのだけど、どうでしょう? 確かに…(笑)。ぼくは別に、見られてみっともないとは思わないけど、普通の漫画やアニメなどの情報交換の楽しい場が乱されるのは、よくないかな、と思うね。よその漫研などでも同じような悩みはあるかもしれないし、外部の方は見たい人だけ見る、という風にすればいいかなと思います。 しかし、キングゲイナー、けっこう多くの若者が観てるみたいでいいね。うれしいよ。 さて、例の「イラスト」問題の話題ですが、 ぼくらの時なんかも、時折描いてましたが、もちろん、見本の資料は「描いてくれ」と頼む側が用意するべきもので、何の資料もなしに描けと言われたらそれこそ「いや〜それは出来ません、すみません」と恐縮げに苦笑してお断りしても失礼にはあたらないと思います。 >宇喜多くん いやいや、生意気、とは感じないですよ。ただ、正直なところ、「生意気」というのはある意味かっこいいことで、誉め言葉に転じますが、このような言葉を使いたくないほど、貴君の書き込みには「意気」の根本的な弱さを感じちゃいました。ぼくが、この問題をわざわざここで後になって報告したのも、ぼくはそのお客さんとほとんどすれ違いに教室に入っており、実感としてそれほど人不足には感じなかったからこそのことでした。しかし、立場的に、宇喜多くんはまだ2年生くらいですよね。これだと確かに、上級生をあごでつかうわけにもいかず、責めるわけにもいかず、そういうふうにしか言いようがないというのも確かに解ります。それに、ある程度、他の1〜2年をかばう意味もあるのかもしれません。そう考えると意気地があるような気もします。青祭では、積極的に対応したいという気持ちもあるみたいだし。そんなことも含めて、地の文で以下に述べたいと思います。 というわけで宇喜多くんあての文の続きになりますが、そもそも、ぼくが不思議なのは、厚木祭だからと言って、上級生やOBが「お手伝い」程度の参加に留まっている、という状態です。これはいったいいつごろからのことなんだろう? 僕の頃は、「人数が増えた増えた」と上級生が大喜びしていたとはいえ、参加人数もたいして今と変わらないか、むしろ少ないくらいでした。僕の入学前(高岡さんなどの代)までは、ほんとに数人でまわしていたみたいです。だからかもしれませんが、3〜4年生や卒業後1〜2年のOBは、平気で似顔絵などにメインで参加していました。 まず、人数の問題からして、たとえ厚木祭だろうと(ましてや青山祭ともなれば)4年生までびっちり役割はこなすべきだと思うのですが、それ以上に、せっかくうまくなってきた、脂の乗り切っているはずの3年生を店に出さない、ということ自体がまず理解しがたいです。それがまず、お客に失礼と言えば失礼でしょう(笑)。(続く) -------------------------------------------------------------------------------- おまけの方ですか(笑)。 投稿者:主人 武富健治 投稿日:11月 1日(金)22時08分17秒 >ワニさん レスありがとうございます。 何を根拠に、ということには、読んだりしたものは片っ端から血肉化して、そのままの形では保存されていかない(あるいは検索できない)というぼくの記憶形式からして、難しいです。 ただ、たぶん読んだりしたものは、ワニさんとそれほど変わりないでしょう。読んだものの内容を、ぼくが実感した世の中の姿、というものと照らして、「実際はこうだったのではないか」と感じていることだと思って下さい。しかし、ワニさんの視点も、ぼくの中にもありますし、ある意味正しいと思います。ぼくの中ではこの二つの見方はそれほど相容れないものとも感じません。 >大衆が、真に民主的な政治のあり方を求めて憲法・議会の制定を求める運動を起こし始めたが、それに対して不安を抱いた上層部が、先に自分たちに都合のいい憲法・議会を作って民衆の運動を骨抜きにした これが、ぼくの視点だと、 安直で感情的な理想論で身を固めた民権主義、外国化趣味の知識人たちが、大衆の権利欲を煽って結託し「大衆」を名乗り、とても日本では根付かない、あるいは日本を打ち壊してしまうような、憲法・議会の制定を求める運動を起こし始めたが、それを憂いた上層部が、先に折衷案的な憲法・議会を作って民衆の運動からなる迅速な日本の崩壊をかろうじて食い止めた。 ということになります。 しかし、確かにその憲法にもまずいところは多くあり、また権利ムード、外国化ムードを止めることは出来なかった(そのまずい部分が、いっそう権利派外国化派にエネルギーを与えてしまった)。 …しかし、ワニさんは、習った歴史に、それほど違和感を感じていないのでしょう。ぼくが、実体験などから、習った歴史に違和感を感じたように、ワニさんもまた実体験から、違和感なく習った歴史を受け入れているんですよね。 ぼくなんかは、「大衆に権利なんかなかったと思います。」というような考えこそ、その根拠は?と尋ねたくなります。普通選挙が行われるようになったら、権利が発生したのですか? ぼくにとっては普通選挙はなんの権利にも感じません。 また、確かに、 >お上(戦前は国内の上層部・戦後はアメリカ)に「与えられた」ものであることは、いずれにしろ現在の日本に深刻なねじれのようなものを残していると思います。< ということはぼくも感じますが、同時に、日本が救われているのは、その民主主義が、諸外国のように、下層階級が国王を処刑して自ら勝ち取ったものではないというところにある、とも思っています。 >外国化が右傾化させた、というところは、外国化が原因というよりも、不平等条約が原因ではないでしょうか。< もちろん、不平等条約は大きな原因です。しかし、仮想シュミレーションではなく現実の問題として考えると、あの当時、平等な条約など結ぶ余地は日本にありましたか? あれは、避けざるを得なかったものでしょう。むしろ、あれがなければその時点で戦争になって日本は完全に植民地になっていたでしょう。 問題はそのあとのことではないですか? ぼくはそのつもりで書いています。 このあたりは、今年のドスト板の過去ログで、今風氏(ドスト板では『没落王子』『永久戦犯』)が、かなり念入りに述べてくれています。彼は僕と違って、根拠の文献の本文をたくさん引用しているので、なるほど、こういう文章が実際にあったのか、ということが確認できます。 -------------------------------------------------------------------------------- おまけへのレスです 投稿者:ワニ 投稿日:11月 1日(金)19時13分39秒 >明治・大正の、急ぎすぎた民権主義・外国化の行き過ぎでしょう。それまで国政に主張することを許されていなかった大衆に、そういう権利を持つことの重みをわからせないまま、与えようとした。その行き過ぎに対する不安が、我慢の限界を超えて超右傾化に突き進ませたのではないですか?< これは、何を根拠に仰っているのでしょうか?私は、大衆が、真に民主的な政治のあり方を求めて憲法・議会の制定を求める運動を起こし始めたが、それに対して不安を抱いた上層部が、先に自分たちに都合のいい憲法・議会を作って民衆の運動を骨抜きにしたと認識しています。普通選挙が実施される戦後まで、大衆に権利なんかなかったと思います。日本の民主主義は、フランスやイギリスなどのように下層階級が国王を処刑して自ら勝ち取ったものではなく、お上(戦前は国内の上層部・戦後はアメリカ)に「与えられた」ものであることは、いずれにしろ現在の日本に深刻なねじれのようなものを残していると思います。また、外国化が右傾化させた、というところは、外国化が原因というよりも、不平等条約が原因ではないでしょうか。何か変な文章になってしまいました。 -------------------------------------------------------------------------------- |
| -------------------------------------------------------------------------------- おまけ 投稿者:主人 武富健治 投稿日:10月31日(木)03時11分56秒 ついでに別の部分も載せておきましょう。一応対話の相手のHNは、Sさんと変えておきます。 「読者と送り手の越後屋と代官的な好き勝手な表現自由の堕落」うんぬん、という部分に注目いただけたらと思います。 《そもそも、前大戦の不幸、過ちというのは、当時の憲法で保障されていた、有事の際の特別な法、統帥権、などをお調子に乗って一部の人間が行使しそれに多くが同調したことでもあったはずです。歴史の不幸というのは、たいがい相反する思想がある中で、ある片方の思想を保証する制度に調子に乗ってやりすぎたものに対する反動が、次の時代に逆の不幸を生み出す、その繰り返しによるものではないでしょうか。 大戦の軍国主義の行き過ぎを許した「父」は、右傾化した人たちの思想や行動ではありません。彼らは「兄」に過ぎないのです。父は、明治・大正の、急ぎすぎた民権主義・外国化の行き過ぎでしょう。それまで国政に主張することを許されていなかった大衆に、そういう権利を持つことの重みをわからせないまま、与えようとした。その行き過ぎに対する不安が、我慢の限界を超えて超右傾化に突き進ませたのではないですか?また、その開国後の急ぎすぎた民権主義の父は、長く続いた専制武家政治の腐敗(武家政治というシステムそのものではなくその腐敗)でしょう。その父は、戦国時代の下克上だったり、平安貴族の軟弱に寄る堕落だったりするわけじゃないですか。 歴史を学ぶ時は、こうした不幸の流れを理解するということも重要ごとのはずです。 この流れで学び取れば、戦後の、行き過ぎた急ぎすぎた民主化、民権をさらに保証する新しい法律というものには、自ら溺れないように、調子に乗らないようにしようと気をつけるのが今の我々にとってほんとうではないですか。 ぼくの書いたのは、そういうことです。なにせぼくがああ書いたからといって何もSさんの書き込みを強引にどうこうする力などないわけです。ぼくは外から無理にどうしてやろうと思ってああ書いたのではありません。むしろ逆です。あそこで書いたような自律意識を持たずに調子に乗って突っ走っていると、ほんとにそのうち、いい加減腹に据えかねた人たちが頭に血を上らせて、憲法を思いっきり変えようとしたり、あるいはもっと直接的な暴力でそれを抑えようとすることになります。 実際漫画やアニメの世界でも、そういう動きがあるんですよ。 あまりにだらしない、読者と送り手の越後屋と代官的な好き勝手な表現自由の堕落が進んでいて、彼らはそれこそ表現の自由を振りかざしている。そのせいで、大雑把な教育意識の上層部が、非常に大雑把な表現規定の法案を提出しようとしているわけです。これが実現となると、ほんとうに深く意味深いものを表現しようとするための、性愛描写、暴力描写などまで、かたっぱしからまるごと抑えられてしまうんです。ぼくのような立場からすれば、もしそんなことになったとすれば、それは、大雑把な法案を考えて施行した上層部と、あまりに調子に乗りすぎた漫画家や読者たちの、共犯ですよ。それに巻き込まれる、自律と葛藤の人間は、一番悲しい存在なわけです。 そういうこともあり、ぼくはここ10年、漫画家として、むしろ表現の自由を失わないように、読者と送り手の自律意識、深い葛藤の上での勇気ある行動(〜しない、という行動も含む)を訴える立場にいました。ですから、 >所謂<表現の自由>についてであり、胡蝶社主人。さんが最もよって立っている法律中の法律ではないですか? というご質問には、その通り、と答えざるを得ませんが、それゆえに、今回のような物言いをしたということは強調しなくてはなりません。 今後、表現の自由を我々が失うとすれば、それはSさんのような「父」がいるからです。 戦争の不幸を考えるのであれば、兄を父と見なしての研究を、細かく枝葉的に掘り返してすすめるのではなく、ほんとうの「父」を考えるべきです。そうすれば、ご自身の書き込みが、未来の軍国化を生み出す父であることもよくわかってくるでしょう。》 -------------------------------------------------------------------------------- 作品の設定について 投稿者:主人 武富健治 投稿日:10月31日(木)03時05分12秒 以前のドスト板に、ある話の流れで書いた、作品の設定に関するぼくの意見を書いておきます。 《ちょうどこの話が出たので、そのうち書こうと思っていたことを今書いておくことにします。 文学や映画、アニメ、こういったものの中で、何か文学的、人間的な深いテーマを扱い、それを多くの人に読んでもらおうとした場合、例えば設定を時代劇や歴史ものにしたり、SFやファンタジーにしたり、現代ものでも、例えば犯罪や、不良などに舞台を設定したりするのは、まず導入として、読者の日常生活から離れたところ、あまりに生々しい痛みを感じすぎずに正視できる遠いところで話を始めようとするからでもあります。でもそれは、あくまで導入であり、レベルの高い読者を相手にすればするほど、例え歴史ものでも、SFでも、生の自分自身の痛みにはっとするようなところまで持っていかなくてはなりません。持っていくまでは、そうした話にまでのちのち展開するだろうという信用を読者に抱かせる気遣いが必要になりますね。 この導入の効果というものを考える場合、ジャンルの問題だけではなく、読者の選択の仕方を考えると、例えば古典文学、外国文学であるということも、これは作者の意図とは関係ない事情ですが、やはり導入として正視しやすい、ということがあるでしょう。 「前大戦」の、「上部」が犯した(犯させた)「性や暴力」の問題、これはものすごく語りやすく考えやすい切り口の問題でもあるのです。現代を見つめるにしても、国家や大会社の犯罪をどうこう考えるのは、ある意味楽なことです。最近の少女の売春について考えるのは、自分や自分と同世代の性愛関係の道徳的破綻を正視するよりよほど楽なんです。 だから、こういったキャッチーで比較的正視しやすい部分でものを書いたり読んだりする時は、そのことを肝に銘じて、楽をした分だけ、より深い認識まで到達しなければならないことを覚悟したり期待したりすべきでしょう。 小説などでも、話題の犯罪などを扱ったものが、センセーショナル純文学作品以上のものにならなかったり、巨悪暴露ものが大衆小説以上のものにならなかったりするのも、これらが文学的に高度なレベルにまで問題意識を高めることが非常に困難だからでもあるでしょう。 ドストエーフスキイの作品世界は、「外国」であり、「異時代」であり、「犯罪」がからみ、現在の日本とは程度の異なる「貧しさ」がある。しかし、そうしたものが読者に与える「楽さ」を越えて、読中読後には、生の現実ではとても正視して進めないところまで認識する『チャンス』を読者に提供してくれる。だからこそ、現代のそれも日本で、そうとう文学的欲求の厳しい読者にも楽しまれ続けてきていると思うのです。しかしドストを読むにしても、この『チャンス』を生かさず、楽なまま、楽しんでしまうこともできるのです。》 -------------------------------------------------------------------------------- 一応議論部屋としてみました。 投稿者:胡蝶社主人。 投稿日:10月22日(火)00時23分29秒 どんな感じになるのでしょうね。 長いこと使わないと、抹消されてしまうらしいので、まめに議論してください(笑)。 ぼくの投稿のURLを胡蝶社自由掲示板のものにしておきます。 直接戻りたい時は御利用下さい。 http://8254.teacup.com/oxna/bbs |