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一番ナウな恋物語
中学の卒業記念に同級の岩田泰明と、ゲストに美術の先生であったおおたこうじ氏を呼び入れて創刊した初のコピー同人誌モダンボーイズ用に描き下ろしたラブコメ短編。最も恥ずかしい作品のひとつと思い封印していたが、読み返してみると案外よくできた話であった。せっかくのグループ交際がなんと男同士、女同士のカップルの集合体である、という不自然な関係をなんとかまともな決着に持ち込もうとする主人公整と夏紀。ところがそこにメンバーの一人里美の姉と兄がからんで問題はややこしくなるばかり…。果たして? といったストーリーなのだが、キャラクターそれぞれの心理描写、「目立たない者の目立たないひそかな想い」をオチに持ってくるところなどは、最近作に完全に引き継がれている。特に夏紀のキャラクターは、名前もそのままに「シャイ子と本の虫」の主人公、「屋根の上の魔女」のヒロインとまさに姉妹のように似ている。 初めてGペン、定規線、スクリーントーンを使って印刷用に描かれた作品であることも重要かも知れない。一部のページのみなぜか筆描き。22P、B5版上質紙。 |
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高校に進学し、中学には存在しなかった念願の「漫画研究会」入部を果たす。異様にうまい先輩たち、部費でトーンが買い放題、と様々な意味で環境が充実しており、以後投稿サイズでの漫画制作が中心となった。これがその第1作。秋の文化祭合わせの部誌発行に合わせて夏休みに執筆、脱稿。10代の頃ずっと凝っていた古事記などの世界を織り込み、より少年漫画としての「らしさ」を追求した古代戦士ハニワットシリーズの第二弾。主人公は前作に引き続き弥生縄(ジョー)。クラスメイトの三木はイザナミ神の子孫として覚醒、イザナキ神の子孫である縄を襲うが、イザナキの霊が守り特別な鎧「ハニワット」を授ける。スサノオの子孫である勇の助けを借りて立ち向かうが、縄には三木の顔がちらついて殺せない。果たして…? というストーリーだが、まあ、なかなか元気があってよろしい、という感じ。今見るとやはり単純でかつありきたりの漫画だが、当時は商業誌でもこのレベルの内容の漫画はごろごろしていた。重要なのは「デジタルデビル〜女神転生」よりも早い成立ということである。断じてあれを観て気がはやって描いたものではない。 |
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旅の途中
高1の冬に発刊したモダンボーイズ?のために描き下ろした近未来SF短編。これまでの少年誌タッチに萩尾望都などの影響が混じり始めたことが認められる。ペンに慣れ、格段に画力はアップした。気候の変化により砂漠化した日本に流れる不老不死の少年の伝説。右手には銃、左手には義手をはめたその少年の名はヒロシ・オグナ。村人たちとの心のすれ違い、そしてささやかな喜び、など、作品の多くの部分を叙情と憂愁がおおっている、作者初めての叙情作品である。この後オグナの物語は「外伝」と名付けられた短編2作を経由して、大叙情詩漫画「オグナ伝説」へと展開していく。しかしここでの文学的苦悩は、まだそれへのあどけないあこがれでしかなく、当時としてはまさかそれを実人生で感じることになろうとは、正直思いもしなかった。作者にとって非常に懐かしい作品である。ここから丸ペンを主線に使用するようになった。 24P、投稿サイズ。 |
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当時、夢中になっていた日本神話から起こした短編2編。成立はスサノオがやや早い。前者は野太い線でロマン性を強調したもので、後者は比べると歴史性を前面に出した写実タッチで演出されている。それぞれ白土三平の中期と後期の絵の影響が見受けられる。後者は後の日常漫画につながる緊張感と簡素さを持ち合わせている点が重要である。 |
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「一番ナウ…」以来久しぶりの青春短編。武内宿禰と同時収録でモダンボーイズ?に掲載。10ページの小品ながら、最近作につながる重要な作品なのである。まるで女の子のような少年正美は、幼馴染の少女斉子と再会すべく東京駅へ向かった。が、会えたもののどうも彼女の言動がちぐはぐでおかしい。なんと斉子は正美を「男の子のような女の子」だと信じ込んでいたのだ。男だと明かされ斉子も動揺する。しかしこれは神様のいたずらだったのだ。…この設定は、もうお分かりと思うが、デビュー直前に描かれた「8月31日」の原型である。まだお読みではない方のために詳しい内容を描くことは差し控えるが、「8月31日」はこの話をひねりにひねって提示し直したものなのである。しかしここではそのネタは、単なるネタにとどまり、深い苦悩までは掘り下げてはいない。べたべたのラブコメ、である。 投稿サイズ。 |
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ここではきりがないので省いているが、10代の間、小6から始まった田中宏治との文通は密に続いており、数しれないミニリレー漫画が存在する。田中は遠く北海道からモダンボーイズ(以後MB)にも第二号から郵送という形で作品を寄せていた。高2の冬休み、待望の田中家滞在を果たし、久しぶりに顔を合わせて原作と作画の交換を行った。といっても正確には「原案」という程度であり、作品は主に作画担当の側のテイスト、美学に覆われている。武富が原案を出した方の短編がこの「牙」である。書いたとおり、ほぼ田中宏治の作風だが、この原案は後に自筆で描く「オグナ伝説」や「森の少年」などと同じ異世界の物語である。 |
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こちらが原作田中宏治、作画武富健治の短編である。アーサー王伝説を始めとする剣と魔法の世界に入れ込んでいた田中の原案を、武富は「罪と罰」、それから石森章太郎の「ジュン」などに近い、文芸少年の幻想劇として演出。貧乏な小説家志望の少年が、質屋で不思議な宝石を手に入れ、その晩、石の力で中世的な異世界に誘われるのである。「旅の途中」で文芸へのアプローチを始めた作者が、初めて文学少年を主人公に据えた作品であるが、その重要性は、主人公の名前を書けばわかるだろう。ここで初めて登場した文学少年こそ、鈴木章なのである。この後鈴木章は、ごぞんじのとおり多くの重大な短編に重要な役割で登場することになる。多くの映画スターがそうであるように、このデビュー作では後のような苦悩やうらぶれた美学は見られない。彼がキャラとして立つのはもう少し後の作品からである。「牙」と同時にMB?に収録された。 |
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前述の『旅の途中』の外伝。題字の横にimage cartoonと記されていることからもわかるように詩的な小品である。このころから大学卒業までの間、しっかりした短編、中編を描くかたわらいくつかのこういった小品が描かれた。この作品でヒロシ・オグナはよりいっそう憂いを増し、作者の頭の中でもよりキャラクター性が広がり、深まっていった。この外伝とは別に「旅の途中2・3」といった、「旅の途中」本編の続編も存在する。こちらはオグナと村娘マキや村長の一人息子ヒルコたちとのその後の生活を描いた。下書き段階で4・5も存在するが、次第にSF戦闘モノとして発展させようと試みたようだ。こちらの案は結局廃され、より伝奇ロマン的な『オグナ伝説』に構想は固まっていった。作風は明らかに石森氏の『ジュン』や松本零士氏、萩尾望都氏、村野守美氏、そして永島慎二氏などの影響を受けている。 |
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外伝の第2作。途中で投げ置かれたものを『オグナ伝説』刊行時に完成させたもの。したがって前後で絵柄が違う。しかしこの絵柄の違いは「わざと」である。息の長い作家の単行本の巻末には時折こうした書き直しを含んだ短編が併録されており、それは忙しい中やっつけでしたからなのか、たいていの場合後から描いた部分が、雑であったり魅力がなかったりすることが多かった。それを大作家気分にひたりたくて模倣したのである。しかしこの外伝2作は大変重要な習作となった。背景の丁寧、あるいは執拗な描き込みの快感をこの2作で作者は知ったのである。 |
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あまりに膨大であり、かつほとんどが幼少時作品の延長である「ノートに鉛筆描き」あるいはミニ本形式で描かれていた、田中宏治とのリレー漫画、合作漫画はこの一覧ではとりあえず省いておいたが、一応その代表としてこの作品を取り上げておく。この時期田中は倶知安に住んでいたので、冬休みなどに行き来した時以外は全て郵送のリレー形式で作品の交換が行われていた。この漫画は、記憶ではキャラクターデザインを2人で出し合ったあと、ミニ漫画方式で製作された。ミニ漫画というのは作者が幼稚園で教わった「1枚の紙を8つ折にし、1部に切れ込みを入れて8ページの小さな本のように折り直す」やり方である。小5から中2くらいまではノートを破ったもので作っていたので1ページがB8サイズと極小だったがその後はコピー機が街に出始めたことで、B4コピー紙が手に入るようになり、それを折るようになった。よって1ページのサイズはB7である。 第1話は田中担当。リレー形式なので武富は2話から偶数巻を担当。お互い挑戦する気持ちと、自分の回で楽しい戦闘シーンを描きたいという気持ちが混じりあって、いいテンションで物語は発展。基本的には未来忍者ストーリー。もちろん北斗の拳やナウシカの流れを汲む、ひなびた未来が舞台。田中の持つ横山光輝テイストと武富の白土テイストの対比も面白い。主人公の真田平四郎(これは高校の担任の名前をいただいたもの)は回を重ねる毎、渋くかっこよくなっていった。思い入れが深くなると共にミニ本では異例の描き込みが行われ、途中からはまずはB6、後半になると投稿用原稿用紙に原画を書いたものを何度もコピーしてミニ本形式に落とすようになっていった。後半ではオグナ伝説とも設定が互いにからみ、本作にヒロシ・オグナが登場したり、オグナ伝説に平四郎が登場したりしている。WS、ハニワットとともに今描き直してみたい少年漫画である。 |
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母校都立駒場高校の生徒会機関紙「園生(そのお)」の確か26号あたりに掲載させてもらった詩的小品。これが始めてのオフセット印刷である。スキーヤーがリフトで新雪の山頂に登り、そこから滑り出すまでの緊張と喜びを表現したもの。後述の『朝日』と共に、後の日常叙情漫画につながる表現形式の模索物である。 |
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もともと作者は田中宏治と組んで合作で商業漫画界に切り込むつもりで10代を過ごしてきたのだが、彼が高校を終えて東京に出てくるのを待てず、少年サンデーに持込みするべく描かれたのがこの作品である。コッドローズ・タラやオグナ伝説の舞台の一部として考えられていた人型の甲殻生物が住む森に代々住んできた狩部の一族の少年の成長と戦いをさわやかかつスリリングに描いたもの。それまでの作品に比べ明らかに作画能力が高くなっている。周りの評価も高く、また今読んでもなかなかよい作品だと思うのだが、持ち込みでは敗北。当時はまだ余裕があったので、少々のがっかりであきらめ、その作品はMBの第5号に掲載した。これまでの項で書き忘れたかもしれないが、同人誌MBはコピー誌(2号からは両面刷り)である。後に大学卒業間際に、大学漫研機関紙あおやんまに再録してもらった。 |
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コピー誌とはいえ作者初めての個人誌にあたる『オグナ伝説〜砂漠編〜』の表題作。巻頭にオグナシリーズ第1作の『旅の途中』を据え、続いて外伝2作をはさみ、本編を収録した。確か部数は100冊ほど用意したはずだ。総ページ186Pのコピー誌は、他に見たことがない。本作のみでも約130ページという素人にしては大長編だ。ただし原稿サイズはB5当倍のいわゆる同人誌サイズ。スクリーントーンは一切貼っていないが、手抜きというわけではないようだ。十分見れている。 あらすじ…西暦2172年、砂漠化した日本をさすらう伝説の少年ヒロシ・オグナは預言者カムーの来訪により、オグナの称号を継がせる次代オグナの誕生を知る。が、生まれたのは双子であり、どちらが選ばれた子かを知るすべはなかった。オグナの法により一つ所に滞在することを許されたヒロシ・オグナは父親のいない双子、コッドローズとゴッドローズとその母サルナートを見守る任に着く。しかし彼の留守中に砂族の襲撃を受け、サルナートは死に、ゴッドは視力を失い、コッドは記憶を無くして行方知れずになってしまう。洗礼の日が近づく中、コッドは砂漠のレストランの亭主ダンの引き合わせで森の住人ウトとその妹テナの家で共に暮らすこととなった。ある晩、森に住む甲人の襲撃を受け、ウトは瀕死の重傷を負ってしまう。テナを守ろうとするコッドに不可思議な風が味方する…。その頃コッドを探すヒロシとゴッドの前に預言者カムーが降り立ち、友として神の兜ハニワドを授ける。風に導かれ再会するコッドとヒロシたち。いよいよ洗礼の時を迎え、選ばれた者がいずれなのかが分かる瞬間が訪れた…! 洗礼を終えた3人はそれぞれの仕事を果たすべくそれぞれに散った。神に仕えることを離れたヒロシは、人としての思いを抱き、人として宿命の戦いに挑んでいくのだった。 あとがきにも記しているように、この作品は『火の鳥』を意識して作られている。古代日本からはるか未来にまで、9編が設定され、ヒロシは5代目のオグナということになった。9編のうち古代編、砂漠編の直接の続編水都編などもかなりの企画が進んでいたが、結局漫画としては完成せず、次に記されたのは20世紀末を舞台にした『予兆編』であった。 |
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高校3年の時に生徒会機関誌『園生』に寄せた旅情短編。日常を描くということに関しては今の作風に至る重要な作品である。技術的に不完全な面もあるが、描き込み、演出などは最低限のレベルには達しており、今よりもキャラクターがかわいらしい分、魅力として光るものもある。前半まではほぼ作者の実体験であり、後半は少年らしい妄想である。少々甘すぎる展開だが、ペン画調の渋めに押さえた背景処理、人物線によって格調が保たれている。翌年の夏に『夕富士』とのカップリングでMB第6号に再録。 *漫画作品公開ページで全編公開中! |
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夕富士
旅情シリーズとしては第二弾、『九州旅行譚』としてはシリーズ第1弾となる掌編。『朝日』と違うのは、ロマンチックな妄想的脚色を廃し、まさに実際の旅行中に作者が体験したことそのままを詩的に表現しようと試みていることである。背景を、撮影してきた写真を参考にしながら描く、という手法がこの頃から定着してきている。 |
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『九州旅行譚』第二弾の本作は、『夕富士』よりもさらに背景画が綿密になり、ノンフィクションの掌編ながら、作品らしい起伏を持っている。10代の終わりのこの頃、作者は毎年のように主に春休みを利用して九州への一人旅を楽しんでいる。まず佐賀の父方の実家を基点に北九州をめぐり、その後鹿児島の母方の実家に移動して、高千穂やや宇佐に寄りながら帰ってくるというのがお決まりのコースであった。2度目3度目に行っても、気に入ったスポットは必ず再訪するいわゆるリピーター志向の作者であるが、そのお気に入りの一つが福岡の香椎宮であった。九州には、かなり厳かで規模も大きな神宮や神社が、不思議なほど観光化せずに残っており、そういった場所を見つけては訪ねるのが当時の作者の楽しみであった。 本来、このシリーズは、実際の旅行通り、様々なスポット毎に話を組み、出来れば薄い本一冊分くらいに纏め上げたかったが、他の作品への興味に押され、結局この話で打ち切りになってしまった。下書き段階で第三弾となる『宗像詣で』が途中まで残されている。 |
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『砂漠編』などの製作がどれだけ影を落としたかは不明だが、作者の浪人が決定した。代々木ゼミナールや早稲田予備校に通う傍ら、漫画の製作は続けられた。(詳しくは年譜参照)。卒業式前後から夏にかけて製作、七夕合わせで発行したオグナ第二段がこの『予兆編』である。今作では絵柄をやや端正に変え、「都会のオグナ」を演出している。 あらすじ…昭和天皇の崩御をきっかけに日本の大衆の不安と苛立ちは形となりあらわれ、オグナ教を中心とする過激新興宗教や第2次学生運動などの活動によって首都東京は荒れ果て、腐り切っていた。その中に世を憂う若者を中心に結成された軍隊形式の思想団体「革新党」は、数年の間に市民の心をつかみ、首都中心部をほぼ元通りにまで再興することに成功した。その成功には、総帥の強いカリスマ性が多分に影響していた。その名を菩大広という。彼の深い悩みは、そのおん敵であるオグナ教を率いる女山城薫をそこまで追い込んだのは高校時代の自分であった、ということであった。その思いを同士であり彼女の弟である山城輩に打ち明ける広。その頃、山城薫は、美青年弥生縄に呼び出され、彼女の信仰しているオグナが、革新党の菩提広であることを教え諭される。広に洗礼を施しオグナの称号を与えたのがこの弥生縄だったのだ。彼らは世の乱れに邪悪な気配を感じ取り、それに対処すべくさらに先代のオグナ瞳代孝の元へ旅立つ。洗礼の時以来にその姿を現した預言者カムーの影に、菩大広、すなわちヒロシ・オグナも何かを感じ取っていた。そのカムーは神により、この顛末を漫画にて記録するように選ばれた男、瞳代孝の実子、旅人に人間時代の友人として何事かを託すのだった。しかし全ては大いなる変化の時の予兆に過ぎない。 投稿サイズ。本編46ページ。 |
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MB誌も創刊から7号を数え、多少その歩みを懐かしみ感傷に浸る時期に作者は至っていた。若いなりに、自分や周辺の変化に何かを感じ始めていたのだ。その思いを初めて結晶させた短編が本作品である。画面を見るとわかるように、この感傷は、現実のものであると同時に、永島慎二の作品に影響を受けたいわゆる文学少年の陶酔であることも事実である。MB創刊時には作者始めメンバーのほとんどは目黒区東山に住んでいた。コピー作業は最寄駅池尻大橋付近の不動産屋の10円コピー機で刷ったものを近くの喫茶店「木鍵(モッキー)」に持ち込み、製本作業に入るのが常であった。この店は打ち合わせなどにも利用されるようになり、MBゆかりの場所として記憶にとどまったのである。しかし作者が居を中野坂上、さらに荻窪へと移すうちにこの喫茶店を利用することもなくなってしまった。そんな中、高校を出てから親しくなった夜間部の友人が、木鍵が店を閉めたことを教えてくれたのである。 この作品の段階では未だ文芸漫画家の苦悩とはあこがれのうちであったが、それでも『旅の途中』の頃と比べるとはるかに生身に寄って来ている。夢が夢と呼べるような形では叶わないという実感が、単なる感傷を超えた印象を作品に与えている。夢の形がくずれながらも、自分はただ歩みつづける、という悲哀は最近作では必ず持ち合わせている武富漫画の個性であるが、これを予兆するのがこの短編であるといえる。 |
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浪人の夏休みを使って、予定より早い完成を見せ、予告から繰り上げて秋に刊行されたオグナシリーズ第三弾がこの『洗礼編』である。シャープにまとめ上げた『予兆編』でつかんだ作風を保持しつつ少年漫画らしい絵柄に戻した本作は、いわゆる80年代的なテイストをもつ少々ポップでさわやかな青春漫画としての特徴を持った。舞台は予兆編から遡ること約10年、オグナという存在を知り、洗礼を受け非日常の世界に突進していく直前の、普通の少年菩大広、その後それぞれに思い運命を背負うこととなる山城薫、瞳旅人らのつかの間にして最後の青春群像を描いた。 あらすじ…革新党総帥菩大広は10年前の青春時代を回想していた…。その頃は日本各地で第二次学生運動が勃発しつつあり、広の通う高校の生徒会でもそれへの対処策を生徒たちなりに話し合っていた。しかしそうした大きな社会的な問題とともに、彼らにはささやかながらそれなりにシビアな恋愛問題もそれぞれに抱えていたのである。生徒会書記の広は下校途中暴動に巻き込まれ、見由という少女を救った。ほのかな想いを抱き彼女を見送る広を、ひそかに見守る4代目オグナ弥生縄の深刻な目。洗礼の日を待たず、オグナにとって味方か敵かも知らぬ預言者カムーもいた。翌日、登校した広の見たものは過激新興宗教によって荒らされた校舎であった。広の親友、生徒会副会長の伊達琢磨は、妹をその過激教団の一つ羅美教にかどわかされ連れ去られており、彼らの仕業に激昂した。そんな彼らの気持ちをほぐしてくれる漫画研究会の旅人と生徒会の居候、麻呂は、クラスメイトの可憐な少女李子をめぐりそれぞれに苦悩していた。そして生徒会長の山城薫は密かに広を想っていたが、学食のアルバイトとして再会した見由と広の関係を見守ることしか出来ず、そんな薫を兄のようなやさしさで伊達と、李子に想いを寄せられながらも薫を想い広に憎しみを抱く麻呂がいた。そんな中、羅美教徒の美少女キリ子が薫の心の弱みにつけこもうと接近を開始。伊達は阻止しようとするが妹を人質にとられておりそれが果たせない。そしてついに4代目カムーがオグナに先んじて、広を憎む麻呂を選びカムーの洗礼を行う。弥生縄は広に洗礼を授けるべく広の精神的な準備を整えようとするが…。 この執筆当時作者は、それまであくまで傍観者、あるいは傷つく前にあきらめが入るような幼い恋愛から、生身で傷つけあう恋愛の舞台に上ったが、それははじめての加害者の気持ちの体験であった。それが元となり作者の作風は以後急激に変化する。現実問題に悩まされながら、空想の世界を描ききるのも作家として決して低くはない選択であったろうが、作者はその道を選ぶことはできなかった。この作品にもその影は落ちてはいるが、まだ十分に大衆娯楽としての処理でうまく収まっており、ある意味ではこの作品が最後の少年期の作品といえるだろう。洗礼編はこのあともラビの章、オグナの章と続くはずだったが(というより描いてみると意外と長編になりそうだったので分割したのだが)、その後続編は描かれることなく今に至る。作者としては、続編を、というより、オグナ伝説に関してはもう一度一から描き直してみたい、という気持ちがある。アニメ会社に笹川ひろしさんのように入って、原作として提供、スタッフの一員として参加、というのが一番望む形。 本編62ページ。投稿サイズ。スクリーントーン使用。 |
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大学に入学し、新たな活動場所を得た作者は、浪人時代の苦悩を焼き付けるように新作『罪と罰』を執筆、青山学院大学漫研機関誌あおやんま38号に掲載した。この漫画は、ロシア映画『罪と罰』をたまたまケーブルテレビ(当時住んでいたところではなぜか契約もしないのにいくつかの映画専門チャンネルが受信できた)で観た、それによって触発されて描かれたものであり、いくつかのシーンはかなりその映画の雰囲気をたたえている。しかしここでは舞台をイギリスに移し、主人公の動機や殺害される姉妹の設定を変え、ドストエフスキーの小説とはテーマ自体を変更している。ラスコリニコフにあたる役を務めたのは、鈴木章。文学には純粋だが、そのためには苦悩しながらも醜い手段をとることができる小説家志望の青年である。彼は都合のいい醜女と関係を結んでいたが、その美しい妹から告白を受け、姿だけではなく、自分にはやさしいが基本的には醜い心をもつ醜女の殺害を企てそれを決行する。初めて生々しい不愉快な描写とテーマの提示を持った作品であるが、第一部完として、途中で製作を投げている。第2部も数ページ用意したが、基本的に第1部で、作者の描きたいことはほぼ全て描き尽くしており、ただでさえ異様なほど描き込まれたこの作品の続編を、惰性で続けることは不可能であった。映画とともに影響を受けていたのが手塚全集の『罪と罰』であり、背景は描き込んでいるものの、迫力を重視する殺害シーンなどを除く普段のシーンなどでは手塚色が見られる。手塚漫画の名悪役ロック(間久部)も章に重ねている。ここでの章は自画像であるとともにロックであり、石森氏の「ジュン」でもある。オリジナル作品として掲げることは出来ないし、未完という弱みもあるが、読んでいる間の面白さは、人によってはこの作品が最高「だった」と冗談交じりに言う友人も幾人か存在する。画面としても特に骨董の間の見開きなど、かなり魅力的なページが多数存在する。2年後アフタヌーン四季賞で準入選となる『面食いショウの孤独』の原点であることはもちろんだが、デビュー作『屋根の上の魔女』はこの作品のパワーをもう一度!という執念で描かれたものなのである。 38ページ。投稿サイズ。 |
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当時の青山学院大学漫画研究会の主な活動は、サークルとしての社交イベントを別にすると主に3つあったといえる。ひとつは年に2回発行するオフセット機関誌あおやんまの製作、発行。もうひとつは夏前に開かれる厚木祭(のちに秋に移行)や秋に催される青山祭での出店で行われる100円似顔絵描き(のちに200円に値上げ)、そしてもうひとつが毎月発行される月刊コピー誌の製作発行である。作者は1年の終わりからコピー誌編集長を務め、それまでフリートークやイラストに偏っていた誌面を、漫画中心のものに変えていった。そして自らも時には手抜き、時には実験的なショートショートを毎月コピー誌に発表していった。その中で初期の代表となるのがこの作品である。 以前描いた「木鍵回想」に続く、文学少年らしい妄想を詩的に昇華しようとしたこの作品は、部内でも好評を得、手作りのコピー冊子として独立してごく小部数身内に配られた。そしてシリーズ化となり、「夕刻幻譚」「夜半幻譚」と3部作の形をとった。『夜半…』は少し後の成立で、その成立前に『昼刻…』『夕刻…』ともう一つ似た仕立ての『秋海旅譚』を併せ叙情短編集と題しMB8号にも掲載。 本作は5ページ。投稿サイズ。 |
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作者が大学に入学すると共に、相棒田中宏治がいよいよ上京を果たし、当時作者が両親と住んでいた中野坂上の近く、新宿の落合で一人暮らしを始めた。合作によるデビューを目指し、作者は半同居状態で、漫画の企画を進めた。片や日中まるまるのアルバイト、片や2部での夜の授業、という生活の違いなどから合作は難航を極める。その中で、ともかく二人で一度、オフセットの合同誌を作ってみようという企画がようやく立ち、3つの作品が制作された。一つは原作・構成を田中が主に担当し、武富が作画を主に担当した本作品。あとの2つについては下の「純な季節」で紹介する。 企画された合同誌は春の発行がまず決まっており、せっかくの春だから、ということでテーマは「恋愛」にしぼられた。そこで二人してキャラクターを用意し、ストーリーを組んでいったのだが、最初に核として用意されたのはヒロインのデザインであった。これは当時仲間内で爆発的に話題になっていた新人の女優、牧瀬理穂がモデルとして選ばれた。特に「つぐみ」での彼女の演技、コンタクトレンズの広告ポスターのスチールが、重要な役割を果たした。それを囲むキャラクターは自分たち、そして当時親しかった友人や、親しくなかった友人や知人がモデルとなり、姿だけでなく性格や行動様式も本人のものに似せられた。当時田中の部屋には、彼の父から借りていたゼンザブロニカの巨大なカメラがあり、それを使おうということになった。ヒロインに恋する主人公堀久人はカメラマンということになり、武富が演じた。その親友十夜(とおや)は画家で、田中が演じた。 あらすじ スランプに悩む新進気鋭のカメラマン堀久人は、ある日公園でフォトジェニックたる美少女瞳に魅入られる。すれちがいと運命的な再会を繰り返しながら、彼らは少しずつ気持ちを近づけつつあった。しかしある日、思わぬ大きな仕事が舞い込み久人は瞳との約束を延期させてその仕事を選んでしまう。すねた瞳と仲直りのできないまま、久人はギリシャに発ち、仕事に集中できずに思い悩む。そんな時、思いがけないことが起こった。 34ページ、投稿サイズ。
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武田治(田中と武富の合作時のペンネーム)作品集に『Introduction』と併録されたのがこの『純な季節』である。これは前者と違い、主人公とヒロインの設定だけを事前に打ち合わせ、まずその高校生時代を武富がオリジナルで描き、その数年後大人になった二人の行く末を田中が描いた(「1991年 千草の場合」)。 あらすじ 高校入学以来どことなく心を閉ざし気味だった晋介は美術の時間もまわりがふざけている中もくもくと鉛筆を動かしていた。ふざけているグループの一人千草はふと彼に興味を感じ、声をかける。その後親しげに話し掛けてくる千草にとまどいを感じる晋介だったが、少しずつ心の氷が溶け、絵を描くことに人生の目標を見出すことが出来た。しかしある日自分の彼女への恋心に気付いた瞬間から、モテる千草を正視できなくなってしまう。思い悩む晋介はその胸の痛みから抜け出すべく、勇気をふりしぼって告白をするのだった。 田中の描いた続編は、告白の時のピュアな心持ちを失いつつあった結婚直前の晋介と、そんな姿に心がゆらぐ千草の迷いを描いた短編。基本的に武田治作品はそれぞれが個人で描くそれぞれ違うベクトルに暗く思い作風を感じさせない、さわやかで読後感のよいいわゆる普通の漫画であろうという意識を強く持っている。恋愛なら幸せに、戦闘ならばかっこよく、それが武田治作品なのである。 |
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前述の、コピー誌に連作されたショートショートの中の代表作の一つ。これは、「幻譚」シリーズのように妄想的な世界ではなく、「九州旅行譚」シリーズに通じる日常のちょっとした機微を詩的に詠ったものである。ほぼ実話といってもよい。作者は当時親しかった山形出身のクラスメイトとうまいラーメンを食べに都内を回ったり、日帰りで行けるさりげないひたれるスポットを訪ねたりして遊んでいた。葉山、千葉、鎌倉と、いろいろ周ったが、その最初がこの話のモデルになった二宮である。この海岸は作者の紹介で、もともと作者が浪人中に見つけ何度か一人、もしくは二人で訪ねたことのあるスポットであった。この町には父の旧友で、素晴らしい風景画を描かれる続橋守氏が住んでいる。氏の作風には間接的に作者もかなりの影響を受けている。氏の油絵を買うことが将来の夢のひとつである。このクラスメイトは現在地方で介護士を務めている。 3ページ、投稿サイズ。 |
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『幻譚』シリーズではあるが、妄想性の少ない、日常的な短編。多少ユーモラスに脚色されているが、田中と電車に乗っていた時の出来事、ほぼ実話。服装も、作者がベレー帽、田中が黒コートに丸めがねと事実のままである(当時)。のちにこの丸めがねが元となり、田中の新しい呼び名となってゆく。 また、この『幻譚』シリーズの特徴として、通勤電車や駅などが登場する。これは車の免許をなかなかとれずに現在にいたった作者の、人一倍の鉄道への馴染みがそうさせるのかもしれない。これらの掌編を経て、車内強姦をナンセンスに描いた『最終快速』(江露巣主人名義)、痴漢とストーカーを極めて文学的に描いた『勇〜ユウ』へとつながっていく。 3ページ、投稿サイズ。 |
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MBきってのストーリーテラー中尾氏が脚本を書き、武田治が漫画化した3人合作。当時募集されていた、少年サンデーの連載作品の第1話を賞にかけるという企画に応募された壮大なアクション漫画。 |
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大学2年になると、作者は漫画研究会とは別にもうひとつの活動の場を学内に見出す。母校では、他大学にはあまり例のないシステムがあり、多くの教授や助教授が、自分の専門や趣味をかかげて「アドバイザーグループ(通称アド・グル)」と呼ばれるサークルを作っていた。作者が参加したのは教育の藤田幹夫助教授が主催する文芸アドグル「リテラリイ・ギルド」である。当初は児童文学の研究や創作を目指していたが、それでは人が集まらないということで、詩あり小説あり、イラストありの、総合的な文芸集団となった。そこで発行されていた「ニコレット」という手作り機関誌に、作者はいくつかの漫画作品、エッセイ、脚本などを寄せている。その最初の作品がこの「まつぼっくり」である。これは一応児童文学的な意味合いのあるものを、という意識で製作された詩的な短編であり、永島慎二風を目指している。作者の児童漫画は少ないが、実は将来的にはいくつか持つ仕事の幹のひとつとして考えに据えられており、研究や実験、ネタ集めなどはずっと行われている。このアドグルの卒業生である小野橋船子氏は福音館に就職し、「おおきなポケット」誌に質の高い児童漫画を載せつづけている。作者もその企画に参加し、2001年1月号にふろくとしてつけられた「キチキチ町のゆきだるま」(片山令子作 片山健画)に、漫画指導として参加(「絵コンテ」)している。また、他にもいくつかの企画を進めており、うちひとつはオリジナルの児童漫画である。 3ページ。投稿サイズ。 |
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幼少時から何度も描き直し、その度に洗練されていった少年漫画「古代戦士ハニワット」の最新作。これも「グラールの聖杯」と同じ少年サンデーの企画用に用意された、連載作品の第1話という形式。結局持込では名刺さえ渡されず、『罪と罰』の次回作としてあおやんま38号に収録された。作者の完成させた少年漫画の中では、『森の少年』と並んで完成度が高い。 あらすじ 失踪した古代神話マニアの親友八神の行方を追って九州の高千穂を訪れた浪人日向凛(ひゅうが・りん)は、彼の最後の手紙にあった天の岩戸神社へ向かう途中、なぞの青年弥生縄と出会う。凛が八神の親友だと知った縄は、彼が悪神に憑かれ、人の姿を失ったことを明かす。さらに謎にせまる凛の覚悟を見て、縄はその地に封じ込められた古代の神々の戦いの呪わしい地獄を語りつつ森の奥へ凛を誘う。いつしか夜も更けた頃、二人は怪しい山伏たちに囲まれる。単なる旅行者でないことを悟った山伏たちは土偶のようなゴブリンと姿を変えて凛たちに襲い掛かった。その時縄もまたスサノオ神としての本来の姿を顕し、美しい青の甲冑を身にまとって「ハニワド」を名乗った。しかしゴブリンを縄が撃退する中、身を潜めていたもうひとつの土偶の物の怪に襲われ、凛は瀕死の重傷を負ってしまう。その物の怪こそ悪神月読の力を受け継いでしまった親友八神だったのだ。縄は凛を救うべく、封印されていた洞窟の扉を開き、凛に究極の体、イザナギ神の肉体を授けた。元の肉体を捨てて新たに蘇った土色の装甲に身を包んだ凛。その時彼は日常から非日常の世界に完全に身を移したのである。神々の戦いが再び始まろうとしていた。 この後、創作ノートでは、単行本2冊分くらいのところまで詳細にストーリーが用意されているが、最終決戦に関してはおおまかにしか描かれていない。もし描く場があたえられれば、今すぐにでも再度とりかかりたい作品である。 36ページ、投稿サイズ。 |
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リテラリイギルドの活動は、上級生が卒業したり就職活動に集中したりして離れていく中、作者たちの学年が支配するようになっていった。特に年長の同級生久野檸檬が入会して以来、それまでのんびりしていた活動が、急激にアグレッシブとなり、様々な文芸作品が大量に機関誌「ニコレット」を飾るようになっていった。こうしてしだいに児童文学色を失いつつあったニコレットに書き下ろした詩的な漫画が本作である。当時作者は生まれて初めて満足できる女性と交際を始めることが出来て、いわゆる幸せな悩みに自らを漂わせていた。そうしたメランコリーをここでは表現しようとしている。 3ページ、投稿サイズ。 |
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「幻譚」シリーズをなんとかきちんとした3部作にしようとずっと考えていた作者が、ようやく2年目にして神感を得て、シリーズのしめくくりとして完成させたのが本作である。まずニコレットに載せた後、漫画研究会のコピー誌にも掲載した。前作2作と比べると、妄想もまた急激に大人らしいシックなものへと変化している。全体に漂うさびしさやほのかな幸せ感も、今の作風にかなり近づいている。ここで幻想として現れる少女は、『カフェで』、『蟲愛づる姫君』のヒロインになっていく女性と同一である。作品中で主人公が降り立つ駅は、当時実際に作者が通学に使っていたJRの東中野のイメージ。争う男女は、これは実際に見たのは作者ではなく、友人から聞いたものを使っている。ほんとうに飛び蹴りをしていたのだとか。 今読み返してみて初めて思ったのだが、まだ未発表の新作『蛇を飼う女』もこの作品の延長上にあるようである。醜い日常の姿にうんざりした主人公が切なく美しい幻想を見る。原点はここにあったようだ。 5ページ、投稿サイズ。 |
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詩的なショートショートを毎月コピー誌用に用意するのがつらくなってきた頃、高3から浪人のころまでに田中宏治に当てて書いていたミニ漫画が途中で終わっていたのが惜しくもあり、それをコピー誌連載用に投稿サイズで描き直し、あるいは新しく描き下ろしたりしたのがこの作品。原作は田山花袋の『東京の三十年』という随筆中に挿入された若き日の自伝小説。デッサンにこだわらず、のびのびと漫画らしく描かれたこの連作は、劇画とはまた別の不思議な文学性を有している。小説のKとは国木田独歩、Tは花袋本人であるが、それに作者は自分と田中を重ねたのである。ストーリーは彼らが作家としてはまだまだの若い時分にお寺に泊り込んで共同生活をし、そこで起きたエピソードやそれぞれの悩みや葛藤が描かれているというもの。作者はそれが漫画として生きるように、時にはエピソードの順番を変えたり、ちょっとしたオチを設けたりといった演出を加えた。(この訓練がなかったら、絵コンテで参加した最近作「キチキチ町のゆきだるま」は存在しなかったであろう)。本編はそれぞれ6ページで4話。本来原作の小説にはもう1エピソードあったのだが、なぜかどうしても描けず、結局4話で終わりにしてもむしろその方が座りがよくもあったので、そのままにしてしまった。 序章として1話の前に、これも実際花袋の本でも『KとT』の少し前に置かれている回想記「丘の上の家」を描いた。これは花袋が初めて独歩と会い話した時のことを描いたもので、名前は本編と違い、本名で書かれている。作者もそれに準じた。4ページ。 終章としてこれも同書の『KとT』の少し後ろに置かれていた『独歩の死』を描いてみたが、これは1年ほど経ってからの作品である。この終章の初出は、漫画研究会のエリート集団によって年一度クリスマスに合わせて編集されるコピー漫画誌「想画集」5号。8ページ。 なお、この連作は、作者にとってお気に入りであり、また興味のある人には是非読んでもらいたいという思いも手伝い、2000年にミニ漫画スタイルのコピー本として同人誌即売会にも限定で出品した。6冊を包装用の化粧箱に入れ、カラーコピーの表紙を新造して付けた。下のカラーイラストはそれである。 |
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前述したように作者は漫画研究会の月刊コピー誌に大量の小品を描き下ろしたが、そのいくつかを紹介する。 「あおやんま締め切り厳守せよ」 作者は高校の漫画研究会の後輩にほのかな恋心を残して卒業していた。以来彼女と会う口実は新作漫画完成しかなかった。だからみんな、あおやんまの締め切りは守りましょう!という内容の漫画。 「あおやんま編集長コピー誌休筆か!?」 アフタヌーン誌での修行に追われる武富は、漫画研究会での「ムチ」としての損な役割にも疲れ、「飴」役の部長が漫画を描かないことにも業を煮やしていた。それら様々な思いを、写真のコピーやトレースを多用した実験的画面で漫画化した、「手抜きのつもりがけっこうたいへんだった」作品。 |
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それまで、特に漫画のことには直接触れずにきた作者の父が、その頃までに描いてきた作品をそれなりに読み、初めて直接的なアドバイスを作者に与えた。漫画といえば、手塚作品の典型的な対照とされる「いがぐりくん」から「あしたのジョー」などの少年マガジン系に若い頃流れていった父としては、ぼくの作風、演出は、どうももどかしいものにうつったのだろう。父は時事問題を扱った作品を描いてみる必要があると言った。そういうのでないからだめなんだ、というふうではなく、一度はそういうものも試してみるべきだ、というニュアンスの父の言い方はわりとぼくには快く響いた。そこで、では何がいいだろうという話になり、従軍慰安婦問題などに混じって、P・K・Oの話題が出た。ついでに出た、父の若い頃の苦労話も(むしろそちらの方が)使えそうだったので、そのあたりを組み合わせて描いてみたのが本作品である。父のような、普通の読者に受け入れられることを念頭にストーリーを組んだ。 あらすじ 父と兄が立て続けに急死したことで、自衛官を退官し実家の酒屋を継いだ鍛木宏臣は、幼馴染で婚約者のさよりとの幸せな日常に満足しようとしながらも、どこかくすぶった毎日を送っていた。そんな時、過酷なレンジャー訓練で青春を共にした旧友草谷が訪ねてきた。彼もまた、事情で退官した身の上だったが、実はその来訪は、共にP.K.Oの民間募集に応えようという誘いの目的があった。煮え切らない宏臣を背に、草谷は去った。葛藤する宏臣。恋人さよりが尻をたたくが、それでも迷いは消えない。そこに、突然妹ちかの結婚話が舞い込み、酒屋を継いでもいいという婚約者の三郎の決意が宏臣の行く末を決めた。数ヵ月後、さよりの元に、生き生きとした宏臣と草谷の写真の入ったエアメールが届くのだった。 村野守美調の地方劇を目指した本作の、裏の遊びはネーミングである。キャラクターはすべて魚に関わる名前になっている。 |
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面喰いショウの孤独
大学1年の秋、漫画研究会のOB会で卒業生の中山乃梨子氏がアシスタントを募集していたのに応え、以後数年間にわたってヘルプ(都合のいい時だけ、日帰りで手伝う)としてアシスタント活動を行ってきた作者が、そこで学んだ手法などを使い、商業誌向けに製作したはじめての青年向け漫画。当初小学館のビッグコミック系の賞に応募する心積もりだったが製作が遅れたため締め切りを逃し、内容が季節物だったこともあって近くに締め切りのある賞を探した結果、講談社アフタヌーンの四季賞が選ばれた。結果は準入選。掲載にはならなかったが初めての受賞で、しかもわりとよい位置だったので非常な喜びであった。以後、山中氏の下でデビューに向けてコンテ作りが行われた。今となってはどういう気持ちでこの作品のストーリーが編まれたか記憶も定かではないが、ふつうの漫画では正視しない悩みを真っ向から描く今に至る作風の最初の発現である。下敷きに『劇団ショウの罪と罰』があることは明らか。そこで展開したテーマを、完全なオリジナル読みきりで再現したのがこの作品といえる。 あらすじ 面食いの鈴木章は、クラスメイトのユウ子に好意を寄せられているのを感じ、そこにしたがいたい誘惑を自らのうちにあると知りながら、受け入れることができず、出会いを求めて駅前にあてもなく立つのが悲しい日課となっていた。そんな章を見て身の丈の現実を受け入れるよう説得する水戸の言葉も空虚に響くだけである。クリスマスを目前に、寂しさの極まる街。新しい傘を選ぶ章の横にユウ子が立っていた。おだやかな性格のユウ子が卑屈な目で見つめてくる、その悲しさに章はいたたまれなくなった。その帰りに章は、醜い女と付き合っている男が、周りの目を気にして、親しげにする女に冷淡に接するのをみかける。「おまえにその女と付き合う権利はねえ…」章は心でつぶやいた。そんなある雨の日、親友の水戸は、章が街で見かけた美しい女に傘を渡し、待ち合わせの場所を一方的に告げて立ち去るのを見た。その様子は、明らかにいままで何度もそうした行動をとってきた、慣れた雰囲気であった。傘を無くすので有名だった章にはそんな秘密があったのだ。そんな章に水戸は再びもの言うべく、翌日待ち合わせの場所に赴いた。現実を見るよう再び説得する水戸。そこにありえないことが起こった。美しい女が、指定通りに章に傘を返しに現れたのだ。その女が立ち去るまで、言葉を失っていた水戸がなんとかつくろい出した言葉、「電話番号とか、聞かなくていいのか?」。章は満足げな顔で不適に笑った。「あれではまだもの足りん。」水戸の見た、クリスマスソングの流れる夕暮れの街に姿を消した章の後姿はさびしかった。 このテーマは、1年後描かれる重要作『康子』に引き継がれていく。本作と『康子』の間はいわゆる不作の時期で、少なくとも文芸的な意味での発展はなかった。そういった意味では、作者自身が最初の公式作品と認める『康子』成立の、最後の練習台となったのが本作であろう。『康子』以後の文芸劇画調の作風を好まない人の中には、この作品を最高傑作としている人もいる。確かに今に至る20代の作風は、演出に恥じらいがある分だけ思い切りが悪いともいえる。そこはもはや好みの問題なのかもしれない。 28ページ、投稿サイズ。 *現在胡蝶社より自費出版で発売中 詳しくは出版物案内ページへ |
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習作コーナーに入れたが、成立は新しく、確か『カフェで』と『掃除当番』の間の時期である。小学館に修行の場を移したものの、なかなかデビューの決まらない武富に、これまたバンドの世界に移ったものの行き詰まりを当時感じていた田中が、久しぶりに武田治をやろう、と持ちかけ、製作された妖魔バスターのエンターテインメント漫画。二人の合作のルーツである幼少期作品の基本にのっとり、主人公たちは自分たちをモデルに描かれた。連載を前提としたシリーズものの第1作で、一応完結はしているが、さまざまな謎は次回持ち越しのまま、この1作で止まってしまった。ウイングスなどに持込をしたが1次審査で落選。やむなく漫画研究会のあおやんま41号にエンディング1ページを加えて掲載。 あらすじ 21世紀初頭の東京で魔物退治を生業とする千秋、晶、幻城影人の3人からなる集合体「幻」。彼らのところに音楽大学から事件調査の依頼があった。さっそく魔のにおいをかぎとる晶。校長の案内でとおされた部屋に潜んでいた魔物は彼らの得意である「顕魔」ではなかった。攻撃された晶は腹に大穴を開けるが全く動じない。彼は「不死身」なのである。さらに校舎を進んだ彼らは、あやしいバイオリンを弾く少女に出会う。兄のかたみというそのバイオリンをひきとろうとする千秋たちだったが、彼女は渡そうとはしなかった。当初の予測より事件が大きなものだと察知したリーダーの幻城は学校に赴くが時既に遅く、千秋たちの隙を盗んだ敵は校長を惨殺していた。バイオリンの少女に迫る魔族。彼女の兄の怨念を利用して殺人を繰り返させていた格上の妖魔である。「幻」の3人はそれぞれの特性を発揮して戦いを挑む。 この漫画はそれきりとなって今に至っているが、作者の中では熟成が進んでおり、より高次のテーマをはらんだエンターテインメントとして再度挑戦する機会をうかがっている。 32ページ、投稿サイズ。 |
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習作に入れるかどうか、迷ったのだが、いざ公式作品に入れるとなるとやはり躊躇があり、こちらの最後を締めることにした。 『面食いショウ』でアフタヌーン誌に縁を持った作者は、前述のようにデビューに向けていくつかのコンテを描いては提出した。しかし結局は作画のOKが出ず、苛立ちを覚えていた。そんな中、特別な神感を得て、「これで決まりだ」と思えるコンテが出来上がった。それが『康子』である。しかしその『康子』さえ作画に入ってよいという許可は降りず、さすがに疲れきってしまった。その疲れきった心の底から怒りがこみあげ、そのころ渇望していた日常ドラマの中に重いテーマを盛り込む作風とはまったく別のイディオムからなるストーリーが頭にうかんだ。それがこの『贖罪』である。 元々は、漫画研究会の月刊コピー誌に発表した伝説風の短編を、現代日本版に置き直したものである。額に印を持つ贖罪者が、少女を生贄に殺すという設定はこのコピー誌版から受け継いだ。 あらすじ 総理大臣の息子丸山志郎は、飛び降り自殺と報じられた彼の姉の死は、その瞬間の記憶こそなかったが自らが突き落としたのだと信じ、それを主張したために精神病院へ閉じ込められていた。彼の父が、外聞を恐れて手を廻したのである。正当に裁かれたいという彼の願いは社会には受け入れられず、次第に志郎はその願いを祈りに変えて神にそれを望むようになっていた。ある晩、それに応えるように、美しい青年の霊が彼の隔離病室に舞い降り、あがないとは死ではなく、力の弱った神を救い、神に現実界を救う力を再び持たせるための過酷な仕事を負うことだと説いた。志郎は霊を天使と信じ、贖罪者となる洗礼を受けるのだった。蛇の刻印を額に受けた志郎に、初仕事が命じられた。それは特に罪があるというわけでもない、生贄に選ばれた少女を殺す仕事だった。神の維持力が低下している現在、大勢の人間の死が定められていたが、その多くの死を、たった一つの死で救うことができるという。ただしその死は贖罪の印を受けた人間が、苦痛を伴って手をかけたものでなければ効果がない。志郎がその少女を殺さねば、明日千人の命が失われる。志郎は明日の千人の死よりも目の前の一つの死を選んだ。少女は待っていたかのように彼の刃にかかってこときれた。志郎が自分の行為に絶叫した瞬間、彼は病室の中に戻っていた。一瞬は、全て悪夢だと思った志郎だが、駆けつけた看護士や医師が気付き尋ねた額の刻印に、全ては本当の出来事だったと知らされた。贖罪者の重みを実感した志郎は自分の影が、悪魔の形をしているのを見た。 この作品はいろいろ解釈の成り立つ作りになっている。人は時に、思い込みから実際の傷を生じる場合もあるから、例え額に印があろうとも、その夜の出来事は全て幻想だったのかもしれない。また、贖罪者になったと信じたが実は悪魔となっていた、つまり青年の霊にだまされた、とも受け取れるし、古来から元々悪魔と呼ばれている存在が実は贖罪者だった、ともとれる。世界のために恐ろしい仕事を受ける主人公の迷いと苦悩はそのまま当時の作者の迷いと苦悩を寓話化したものである。そしてそのテーマは日常的寓話に姿を変えて今に至っている。つまり作者が公式作品、あるいは文芸漫画と呼ぶ、ここ10年の代表作品全ての正体がこの作品で例え話として顕示されているのである。この作品のラストのように、公式作品の影を見れば、この作品のシルエットが浮かんでくるのである。 30ページ.投稿サイズ。なおこの作品はあおやんま40号に『康子』と併録された後、胡蝶社創設の旗印であるオフセット個人誌『掃除当番・贖罪他3篇』に収録の際、多少ペンを足して重厚な絵柄に変更されている。 *現在、長編として商業誌に発表しようと再構想中。詳しくは『贖罪』ページを。
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