公式オリジナル文芸作品

幼少期作品へ  習作期作品へ  ページの頭へ  

目次へ  作品紹介目次へ

To table of contents

目次(製作年)
康子(1992) ビッグコミック賞佳作(掲載なし) 
カフェで(1993) 
掃除当番(1994) 後にミスターマガジン弘兼憲史賞佳作(掲載なし)
蟲愛づる姫君(1994〜5)
M(1995)
(1995)
8月31日(1995) 後にミスターマガジン弘兼憲史賞佳作(掲載なし)
屋根の上の魔女(1995〜6) 小学館新人コミック大賞青年漫画の部佳作 商業誌デビュー作
(1998)
ポケットにナイフ(1998) ビッグコミックオリジナル新人増刊号掲載
シャイ子と本の虫(1999) ビッグコミックオリジナル新人増刊号掲載
蛇を飼う女(1999〜2001) アフタヌーン四季賞佳作(掲載なし)
まんぼう(2001) アフタヌーンシーズン増刊掲載
右馬之佐東行日記(2003)

康子

(1992)

たわいもない話題。なのにこんなに楽しい。お互いに話したいことが共通してるって何てうれしいことだろう。アイドルやクラスの人気者にあこがれる…一方通行の子供じみた恋は卒業した。丸山康子さん!! ぼくの心は君でいっぱいだ!!

リアルな大人の恋の世界に足を踏み入れた喜びに満ちた少年の独白から始まるこの短編。しかしそこからページを1枚めくると急に雲行きがあやしくなってくる。そこから先は少年に思いを寄せられて、そこに魅惑も感じながらもわずらわしさが勝っていると実感している相手の女の子の心情描写に切り替わってしまう。実はこの短編は、思いを寄せられている側の丸山康子が主人公なのである。

康子は高3にしてようやく異性に想われるという快感を覚えながらも、その相手半村が見かけだけではなく全てにおいてつまらない人間であることに、まわりの目が気になってしかたがない。半村とふたりでいても友人の姿を目にすると思わずそっけない態度をとってしまう。そんな康子の態度を、単なるシャイとして、いい方へいい方へ考えようとする半村のピュアな心がますます康子を不快にするのだ。彼の善良さに比べて自分と言えば…。せっかくの相手を切り捨てることももったいなくてできない康子は、どうどうと気持ちよく付き合うことも選べず葛藤の日々を送る。教室ではあこがれの浜村少年のさわやかな笑顔につい目が行ってしまう。

しかし康子ははっと気付く。彼がなぜ自分を選んだのか。そこには善良に混じった打算が混じっている。そしてそれを無意識のうちに封じ込めて自分は善良でいようとし、それが出来ている、むしろそのことに不快を感じるのだった。少し気が楽になった康子は、もう少しの間、幻想でも幼稚でもいい、正直な密かな片思いの恋愛を楽しもうと決意し、半村を遠ざけるのだった。

作者が初めて現在につながる文芸漫画の作風を掘り当てた作品である。通常の漫画では、実は既に本音としては語ることが多くの人に認められているような程度のテーマにとどまるか、現実とは離れた舞台や演出を使って、重いテーマでも、どこか直接読者の生活をおびやかさないような壁をつくるなど、テーマの演出にはかなりの「工夫」が凝らされるのが普通である。しかしそうした作品にのめりこめなくなった読者は何を読めばいいのか? その悩みを作者は実感として持っていた。もっとも悲しい誤解は、作者がこの『康子』以来「描きたいものを描きたいように描き手の気分で」描いている、というものである。これは違って、作者は読むもののなくなってしまった真面目で切実な読者の立場で作品を作り続けているのである。読みたいものを、読みたいように、である。「読みたいもの」とは「テーマ」であり、キャラクターの考え、気持ち、行動を示す「ストーリー」を指す。「読みたいように」は絵柄から設定までを含む「演出」全てを指す。このどちらかに甘さが入れば既にそれはどこにでもある大衆娯楽漫画になってしまう。よく娯楽漫画に対して、「内容がな」く、「絵柄も軽い(または下品)」と言い切る人がいるが作者はそうは思っていない。上に書いたことを逆に書けば、普通の漫画でも、テーマだけ、あるいは演出だけ渋い、がんばっている作品はめずらしくないのである。

この『康子』のテーマと演出は、心理学でいうポリアンナ症候群などへの批判を含んでいる。この要素は多少形態の違う『ポケットにナイフ』などの最近作にもつながっていく。常にでなくともよい。どうしても現代の風潮が許せない時を持つ人にとって、『康子』以後の武富作品は、実はかけがえのない「痛快な娯楽」、「もっともやさしい慰安」なのである。これこそが作者の求める意味での「文芸性」である。現代の風潮に染まることが出来、問題から目をそらすことのできる人間にとっては難しい、つまらない、不愉快なものに映るいわゆる「純文学」「世界名作文学」と呼ばれる小説群、それと共通の魅力に、一歩足を踏み入れた、記念すべき作品として、作者自身、一人の愛読者として今でもこの10年前の作品に親しんでいるのである。

この短編のコンテは、掲載にはならなかった『面食いショウの孤独』の入賞後アフタヌーン誌でデビューに向けて担当編集者の山中氏にたびたびコンテを見てもらう中、数作目に出来たものである。(底までの流れの詳細は『習作』ページの後半を参照のこと)。ひとつ掘り当てたという実感からのがれられなかった作者は、それまではあきらめて別のコンテを切って提出してきたが、その時はどうしても納得がいかず、結局アフタヌーンでのデビューをあきらめてペン入れをして完成させ、元々目指していた小学館の青年誌の登竜門、ビッグコミック賞に郵送で送りつけてしまった。その行為で少し気が晴れた作者はふたたびアフタヌーン向けにコンテ『贖罪』を作るが、そのうちに小学館から連絡があり、ビッグコミック賞の佳作に入賞したことを知った。その時点で作者は修行の場を小学館に移すことを決意した。「あの」『康子』を評価してくれた会社に報いたい、という思いがそこにはあった。掲載にはならなかったが、当時審査員だった小池一夫氏他からの誉め言葉に感激し、文芸漫画家として成長していこうと決意を固めたのだった。おそらく受賞時21歳というのはビッグコミック賞の入賞者の中ではかなり年少のはずである。そのことも誇りとして作風の高貴化をさらに推し進めることとなった。

30ページ、投稿サイズ。(初出 あおやんま40号)。

カフェで

(1993)

『康子』が拾われてからは、作者の修行の場は小学館に移った。担当は大島氏。当時は氏も元気いっぱいという感じで、新しくコンテを持っていってはいろいろと漫画談義をしたものだ。しかしなかなか氏の眼鏡にかなう新作は出来なかった。そしてそれは、当の本人にも納得のいく結果だったとも言える。そんな時、既に漫画から離れ、バンドに力を注いでいた田中宏治に頼んで、お題を出してもらうことにした。ゼロから考えるより、むしろきっかけがあった方が、少なくとも商業誌に掲載するにはいいのではないかと思ったからだ。彼が出してくれたお題は「喫茶店」だった。それでいくつか作ってみたら? とのことで、作者は久しぶりに気持ちよく、自信のあるコンテを完成することが出来た。それが本作である。当時作者の父は、久しぶりの単身赴任で札幌に住んでいて、夏休みと冬休みにはそこを訪ねることになっていたのだが、父の勤める自衛隊の駐屯地と、官舎の間には大通りが横たわっており(この「大通り」は有名な「大通り」のことではない)、そこにはぽつぽつと商店や床屋などがならんでいた。その床屋の隣の土地が当時は空き地になっていた。そこに作者は架空の喫茶店をイメージして、その架空の喫茶店を舞台に、淡い心理劇としての恋愛物語を展開したのだった。その頃から、漫画でもドラマでも、そして小説でも、精神的な内容の重みに比較して、事件や主人公たちの「行動」が大きすぎる話になじめなくなっていた作者は、ここでも3人の主要なキャラクターの心理の動きと成長を重視して、なるべく小さな事件で進む物語を考えた。

あらすじ とある喫茶店でに二人の常連客がいた。一人は美しい女性で、いつも窓際の席を選んでカフェ・オレを注文してしばらくの間文庫本に読みふける。そしてもう一人は、明らかにその女性に想いを寄せて通っていると思われる若者で、決まっていつもエスプレッソを注文していた。ウエイトレスとして勤め始めて2ヶ月の「私」は、ずっと同じ行動を続いている二人、特に若者が気になってしかたなかった。その若者に想いを寄せられながらも全く気にもとめず勘定を済ませていく美しい女性に「私」は嫉妬し、若者に対しては、なんとか気持ちを通わせようと勘定の度にささやかな信号を送るが、彼は全く気付きもしないのだった。閉鎖された時間と空間にいらだった「私」は、ある雨のそぼ降る日、思わず嫉妬にかられ、美しい女性客の机に水のコップを乱暴に置いてそそうをしてしまう。すぐにその行動を恥じた「私」の心を察してか、喫茶店のマスターも、美しい女性客もなにも言わなかった。「私」はますます自己嫌悪を深め、傷ついてしまう。雨の音が重苦しく続く中、思いがけないことが起こった。

今読み返しても、何の遜色も感じない、「短編漫画」とはかくあるべし、といった好篇である。心理描写も演出も、『康子』よりずっとやわらかいながら、木目が細かくなっており、格調は保ちながら十分ふつうの漫画としても楽しめる、武富漫画の入門には最適の短編であると思われる。しかしこのコンテも当時は通じず、さすがに解せなかった作者はまたもや許可なしにペン入れを始めて完成させてしまう。しかしその完成作も、一応『康子』入賞の次(か、もしくはその次)の賞にエントリーは許され、一次審査通過までは進みながらも、『康子』より評価の低い、二次審査での落選に終わってしまった。そのこと自体もショックではあったが、なにより作者の心を振るわせたのは、その回から、ビッグコミック賞は『小学館漫画大賞一般部門』と名前を変え、なんと佳作から上を掲載、すなわちデビューの対象として迎えるようになってしまったのである。これはそのまま、『康子』がもしその回に応募されていたらデビューになったとは言い難い。「佳作」のレベルが上げられたかもしれないからである。しかしそれでも作者は「運命」に嫌われている、といった感触をぬぐえなかった。作品は結局、漫画研究会の選抜メンバーでクリスマスコンパに合わせて作られるコピー誌「想画集」に掲載されることとなった。そして数年後、当然のように、胡蝶社初の短編集「掃除当番・贖罪 他3篇」に収録されている。

なお、主人公「私」と美しい女性客のモデルは同一の女性。内容もその、実は同じ人物、ということをとりいれたテーマになっている。若者と、彼の連れて来た「第3の女性」のイメージは、そのまま後にデビュー作『屋根の上の魔女』の主人公とその恋人(妻?)の姿に重ねられていく。

また、主人公の気持ちにリンクするように雨が降り、そしてやがて晴れ、水たまりに太陽が輝く、などの演出も、その後お気に入りのものとして、時々顔を見せ、武富漫画のひとつの特徴となっている。陰影を強調して室内の空気を表現する手法も、この作品で見出したものである。『何を』『どのように描くか』のうち、後者の礎となったのは『康子』よりもむしろこの短編であろう。

24ページ。投稿サイズ。

掃除当番

(1994)

 今なお作者自身が最高傑作と自認するこの短編。しかしなぜかこの作品がいかにして作られたか、不思議なほどに記憶がないのである。ペン入れまでの流れは、前作「カフェで」と同じような筋道を通ったものであることは間違いないのだが。つまり、小学館向けにコンテを書いたものの通らず、2度ほど直した後にやはり通らないことを知ると、「絵が入り、細かな演出が見てとれれば編集者の反応も違うはず」と掲載の約束もとらずに完成させてしまった。そしてそれをまた賞にかけてもらうが、落選。結局あおやんま42号に初出、ということだったと思う。しかし肝心なところは、なぜこのような作品を描こうと思いついたのか、そこである。もともとのアイデアは、執筆の数年前から創作ノートにあったと思う。その時点でおおまかなストーリーの流れは出来ていた。それが「あの演出」で描かれることになった、そこが思い出せない。

この記憶の欠如は、当時の作者の、まさに『掃除当番』を生み出す最大の原因となった、あまりに困難を極めた漫画研究会の運営に大きく起因しているだろう。当時の漫研は、人数的には非常に栄えた、大所帯のサークルになっていた。そしてメンバーの入部の動機も、また生活の事情も、まさに『人それぞれ』を極めていたと言える。そんな中で指導する学年にいた作者らは、不幸な役割分担の結果、「事情のある側」の部員を擁護する側と、実際の部の活動レベルを持続、強化しようとする側に分裂し、恐るべき葛藤にさらされ続けたのである。特に作者は「漫研のムチ」を自称し、年2回の機関誌の充実や、大学祭の参加内容の充実を自らが先頭に立って、同輩、後輩、さらには先輩に対してもアピールし続けた。その苦労の甲斐はあり、結局作者たちが指導者を務めた年の活動はかなり充実したものになったが、それと引き換えるように作者の立場、そして内面は恐ろしいくらいに打撃を受けていたのである。作者は、あまりに弱い、事情をかざして、居場所だけは確保しようとする多くの存在が、凛として歩もうとしている、強くなろうとしている存在の精神をおびやかすことに深く注目をした。現在もその延長にあるが、バブル崩壊直前の日本には、それぞれの事情を何よりも優先する道徳が満ちていた。そんな中で特別な印を持つわけでもないのに、弱いものを守る社会システムのおかげで不当に傷つき疲れ果てていく存在は決して珍しいものではなく、いわば時代的な問題のひとつであったはずなのである。その叫びを、中学生の教室、という凝縮された空間で、フランス映画的な繊細なリアリズムと、いわゆるそれらしい「リアリティ」を排除した様式美に託して、表現したのが本作なのである。

主人公の康子は、一見、シンデレラからおしんまで、昔からある苦労物語の主人公のかわいそうな少女の流れをくんでいるが、非常に重大な特性は、特に貧乏というわけでもなく、どちらかというと恵まれた側の人間であるということだ。恵まれた故の苦しみ、葛藤は、本来ならば現代日本人の中心となる心の問題であるはずなのだが、苦労した親の世代に、直接嫌味を言われたり、あるいは漫画やドラマなどの媒体を通じて「うらやましいが、かわいそう」という攻撃を常々受けてきたぼくらの世代は、この問題を正視できず、目の前に見える世界の中で、自分がいかに苦労しているか、不幸な生活を送っているか、ということを自分に言い聞かせることをほとんど無意識になるまで努力してきた。その贋の意識を持ち続けている人、あるいはなんとかそれを信じようとしている人にとっては、この作品のテーマは、まるでよそごとになってしまっているか、逆に説教にさえ聴こえてしまう。しかし、作者があえてあばかなくとも、自分自身の中でその苦悩が既に逃げ切れないものであることを察し、せめては自分の苦しみが作品の中に、誰にでも見える形で盛り込まれていることで救いを感じることしか残されていない人にとっては比類のない慰安の作品になっているはずである。

絵柄に関しても、ほとんど神がかりのところまで、繊細な美が過不足なく発現を見せている。これは、『康子』以降推し進めてきた漫画的美化の排除がようやく実を結んだものである。現実の人間の形から、見落としやすく描き込みにくい美しい繊細な特徴というほのかな甘味を、もらさずに紙の上に焼き付けることで、後から砂糖を足したり、苦さを消したりしないでも、自然な甘味を持つ自然食品のような味わいを放つことに成功したのである。

しかし、この自信作は、上記のように、小学館新人コミック大賞で、一次審査落ちとなってしまった。自分としては『康子』『カフェで』『掃除当番』と、確実にレベルアップしていたのが、賞の評価においては全く逆にどんどん低くなった。このことは、商業誌の作品評価基準に対して絶対的な不信を作者に植え付けた。その後デビューを果たした時も、その後、新人同士のコンペに打ち勝って数度掲載を勝ち得た時も、「もしかしたら、ぼくの掲載の裏には、もっと骨のある素晴らしい作品が蹴飛ばされているかもしれない。たいしたことのない作品だから勝負に勝てたのかもしれない」という冷や水を喜びにかぶせて台無しにしてしまうようになっている。

当時もあまりの絶望と、どの方向性にがんばればいいのかを見失った手立てのなさから、さすがに漫画を描く手は止まってしまった。教育実習、卒業論文など、学業に専念。小学校の6年生以来のエアポケットとなった。

なお、99年夏に『8月31日』と併せて講談社ミスターマガジンの第11回弘兼憲史賞に投稿、2作品併せての佳作受賞に終わる(掲載はなし)。その後、小学館と平行して新作の製作にいそしむが、半年後、ミスターマガジン誌が休刊に。小学館ひとすじの修行に戻った。

36ページ、投稿サイズ。

*漫画作品公開ページで全編公開中!

蟲愛づる姫君

(1994〜5)

『掃除当番』完成後、大学最後の年を教育実習や卒業論文など学業に打ち込んだ作者は、卒業の前後から、2つの中編漫画のプロット作りに取り掛かった。一つは『ピアニストに告ぐ』という現代を舞台にした音楽家の物語、もうひとつが平安後期のオムニバス短編集堤中納言物語の中の代表的な1編を元にした劇画『蟲愛づる姫君』であった。このうち前者はどんどん話が膨らみ、連載という形をとることが必要となり、ある程度の段階で作業を中止することになった。作者は『掃除当番』までの商業誌へのアプローチに疲れきっており、次に描く作品は久しぶりに思う存分に描きたいと思ってはいたが、商業誌への進出を全く放棄していたわけではなく1本自由に描いた後は持ち込みのための短編の製作に戻るつもりだったのである。そうしたわけでどうやら前後編で完結する見込みの立った後者に集中したのである。

その頃作者にはもうひとつの活動があった。胡蝶社の創立、すなわち同人誌即売会用のオフセット自費出版本『掃除当番・贖罪 他三編』の編纂である。この初の個人誌の製作は非常に熱のこもったもので、清潔で明治や大正の純文学の私家本を意識した装丁で、それに手作りの化粧ケースをつけるという凝り様だった。即売会参加への準備を整えつつ『蟲愛づる姫君』の製作は続き、イメージラフやキャラクターデザイン表が作られた。そして初めての即売会を無事終えると、本格的に本作の執筆が行われた。

元々作者がこの作品の企画を思いついたきっかけは、大学3年の時にとっていた「日本文学」という授業でこの堤中納言物語が1年を通してテキストとしてつかわれていたことだった。以前から宮崎駿が『風の谷のナウシカ』のモデルにした作品として『蟲愛づる姫君」の名は知っていたが、その授業でじっくりと向かいあっているうちに、これはぼくが描くべきものだ、という思いが湧き出てきた。テンポの遅い先生だったので妄想を広げる隙は授業中にも十分にあった。原作は、あらゆる虫を愛する異常な娘と、いたずらの好きなこれも変人と名高い若者の恋愛ゴッコを、広い知識と深い人間洞察を交えながらも滑稽に描いた短編である。しかし武富は原作者に笑いものにされているこの二人の登場人物の実は深刻な悩みに共鳴し、原作者によって滑稽にされてしまったこの苦悩を生々しいものに蘇らせてみたいと思った。これは半分は真剣な同情であったが、もう半分は、深刻を滑稽に描いた原作者と同じく、いたずら心から出たものである。

特に蟲愛づる姫に興味を示し近づく「右馬の佐(うまのすけ)」という若者の性格は全く共感できるものであったため、これを自分(武富健治)に演じさせてみようと思い立った。そして姫役には投じつきあっていた女性をそのままあてはめた。こうした古典を題材にした原作ものの漫画は、思い切り自己流にアレンジして漫画として楽しいものにしてしまうやり方と、学習漫画のように説明的に押さえた絵柄演出で忠実に描くやり方があるが、作者はそのどちらの形式もとらなかった。というより、どちらの魅力も捨てないことを目指した。そしてその演出は自分でも驚くほどに完全に実現した。この作品の制作のモットーは、原作にある描写は「何も引かない」で、その隙間に様々なものを足すことでその内容と印象を全く違う生々しいものに変質させてしまうことであった。本来緻密な構成が苦手だった作者が、これほどまでに緊密な漫画を描けたのは奇跡に近いものがある。足すものも、なるべく自分勝手な創作エピソードはなるべく使用せず、堤中納言物語のいくつかの別の短編から移植するなど、文学マニアの読者にも楽しんでもらえるような作りとした。

本作品に関してはサイト上に全編を公開しているのであらすじの紹介は省略するが、基本的には、前編全てと後篇の途中までは原作の筋立てを右馬の佐中心に再構築したもので、後篇の後半はオリジナルの後日談となっている。全編は、わかりやすく紹介すると、芥川龍之介が今昔物語集を使って近代文学作品を作ったのと同じような作りになっていると言えよう。

「蟲愛づる姫君」以外に引用した作品を紹介する。まずは「堤中納言物語」からは「花桜折る中将」「はいずみ」。中将の設定に役立てている。中将の設定には他の作品では平仲物語を取り入れている。後編で右馬の佐が訪ねる絵師平秀の設定は「絵師草紙」からのものである。

意外に思われるかもしれないが、作者は自伝的な要素を多くの作品に孕ませながらも、実は自伝的な作品というのは描いていなかった。しいていうとこの原作付きの時代漫画が一番自伝的要素を多く含んでいるのである。この作品の執筆時、作者の頭にあったのは、マーラーなどの音楽家のことであった。作者はマーラーの音楽はそれほど好きではなかったが、その生涯については、音楽的にはマーラーよりもずっと好きなフォーレの生涯より興味深く思っていた。つまり、自分の本来の作風(『掃除当番』など)に興味を持たなかったり好意を持てなかったりする読者でも、もしかしたら作者自身のことには興味を持ってもらえるかもしれない、と思いつつ本作を仕上げたのである。

本作は、原稿用紙のサイズこそ一般の投稿用と同じだが、それを横に用いている。これはちょっとした思い付きであったが、試しに1ページ描いてみたところ(前編で姫を右馬の佐が見るシーン)非常に効果的だったので採用となった。さらにこの形式には2つの重要な意味が加わった。ひとつはこの作品の内容を投稿用とは一線を画するものに徹底させたことである。もしふつうの形式で描き進めていたら、途中で欲が出て、それから先を商業誌を意識した作風にしてしまったかもしれない。もう一つは新鮮で雅なコマ割りの発見である。漫画は国語の教科書などと同じく右綴じ左開きが基本であり、吹き出しの中の文字も基本的には縦書きである。これは日本的な体裁と言えよう。しかしながら、実はコマ割りだけが違うのである。大ゴマなどがそのページにあるなど特殊な場合を除くと、コマ運びは、横に進み、下の段に下がる、というのが基本である。これは原稿用紙が縦長だからこそ根付いた習慣と言える。また、ページの途中で大ゴマをとりたい時、縦長横進みの画面だと、横長のものにおのずとなってしまう。これらの特徴は画面が横長になることで、おのずと変形するのである。つまりコマの運びは日本の文章と同じく、上から下に、それが横にスライドしていく、という形になる。これは作品を読んだ時のほとんど無意識に近い部分に効果的に働いていると思われる。和風の物語、絵柄をさらに和風に感じさせる手伝いとなっているのである。そして画面途中の縦長の画面は掛け軸の絵とおなじような構図の再現に最適となった。さらには横長の画面の迫力も、ふつうの漫画では2ページぶち抜きでつなげなくては出ない迫力を1ページ分で十分に出すことが出来た。

この作品は最初に前編(上つ巻)が手作りのコピー誌として発表された折り、帯に「絢爛豪華な絵巻ではなく」というキャッチコピーが書かれた。これはつまり、少女漫画であるような平安ものとは一線を画する、という主張であった。舞台は平安ながら、主人公右馬の佐(つまり作者)の精神、趣味は、実は鎌倉から室町の絵画彫刻に特徴的な質実剛健や、新古今和歌集などの幽玄を志向しているのである。実はこの作品の続編はある程度設定され、描けば描けるところまで設定が済んでいるが、そこでは右馬の佐は時代に先立って、俳句の発明、能楽の発明をすることになっている。そうした彼の作品作風は保存され活用されることもなくいったん滅び、後世の天才たちが再発見する、という内容になっているのである。

上つ巻(前編)本編36ページ 下つ巻(後編)本編30ページ。

胡蝶社自費出版向け書下ろし 商業誌未掲載

漫画作品公開ページにて公開中!

M

(1995春)

自信作『掃除当番』が一次審査止まりに終わったしまった後、商業誌進出をあきらめることは出来なかったが、再び挑むほどの気力もなかなか復活はしなかった。目先を変えてみたものの、同人誌の世界からも『蟲愛づる姫君』がさほど受け入れられず、さすがに自分一人で何かやろうとする気になれずにいた。そんな時に大学の先輩である小野橋船子氏から誘いがきて、漫画あり児童文学ありの文芸同人誌を作ろうということになった。それが季刊ぴろうである。その第1号に描き下されたのがこのSF異色短編『M』である。

実はこの漫画は大学時代にいったん細部まで用意して途中で投げたものを、何年かぶりに本書きしたものである。最初の2ページは、大学漫研の月刊コピー誌に発表してあるが、絵柄が変わっていたため描き直してある。

あらすじ…若者の間で、『飛び女』という娯楽が流行していた。美しい飛び女を、数人の肩に乗せて助走し、裏山のガケなどからいきおいよく放るのだ。飛び女は空高く飛翔する…。ある日主人公達の持ち『飛び女』Mが飛べなくなってしまう。かろうじて病院で生命維持装置の力で生きているM。しかしMを生き延びさせるには、毎月千羽の折鶴を捧げなくてはならなかった。仕事や学業などでそれぞれ忙しいグループの成員は、いったんは皆同意して鶴を折りつづけたが、しだいに抜けるものが増えてきた。主人公達は話し合い、ついにMの命を終わらすことを決めた…。

この話は、作者白身の経験を、シュールな幻想にくるみながら、象徴化しながらかなりうまく再現している。しかもここで描いているようなことは、かなり普遍的な青春経験であろうと思われる。

飛び女Mは、芸術にも例えられるし青春そのものにも例えられる。恐ろしいことに、これを創刊号に掲載した同人誌「ぴろう」はその後まさに活動が滞っていき、そのいきさつもかなりこの話に近い。さらに恐ろしいことに、作者はその後、小さなみこしの同好会に縁があってしばらく続けたが、そこでも似たような状況に追い込まれ、散会した経験がある。

ちなみに今となってはどうやってこの話の設定を思い付き、発展させたか、全く思い出せず、想像もつかない。

投稿サイズ、22ページ。

初出 創作文芸誌ぴろう第1号 商業誌未掲載

J

(1995夏)

『M』に続き、季刊ぴろうの第2号向けに描き下ろされたのがこの『J』である。やはりややシュールな近未来における青春漫画である。

あらすじ…2007年にあるバラエティータレントのジョークからテレビ用のイベントとして企画された『ハンドサッカー』は、10年の間に本格化しプロスポーツとなった。一方本来のサッカーはその娯楽的な役割を、よりキャッチーで刺激的なハンドサッカーに奪われ、マイナースポーツに転落。時代はいつしかハンドサッカーをサッカーと呼び、本来のサッカーは『ハンドレスサッカー』『旧サッカー』と呼ばれ軽視されるようになってしまった。旧サッカーチーム「クレヴス」のメンバーは客のいないサッカー場で旧来のサッカーにうちこみながらも寂しさを覚えていた。そんな時、テレビのふざけた企画で、最下位のプロハンドサッカーチームアズテックスと異種対抗試合をすることになってしまった。見世物として屈辱を味わう主人公達。しかし敵アズテックスの中に、かつて中学の時、主人公とサッカーで競い合ったという若者の姿があった。サッカーを捨てて華やかな人生を得たものと、サッカーにこだわりつつも実のところ卑屈な思いも持った二人の心が通い合い始めた…。その試合の様子を後日ビデオで見直した主人公は、あることに気付くのだった。

 『J』は『M』に比べると、もう少し知的に構成された、悪く言えばあざとい作品である。とはいえ、この作品の評価はむしろ、心情的な描写の部分にあるとも思える。普遍性はともかくとして、自分なりの美学にしたがって生きてきた人間のうち、葛藤を免れなかった若者、あるいは若者だった人間には、かなり代えのめったにきかない、気持ちのいい慰安作品として響くことは期待できると思える。設定に関して言うと、念頭にあるのは、Jリーグの存在である。作者は、どちらかというとスポーツ観戦好きではないが、子供の頃幼年向けのクラブで楽しんでいたこともあり、サカー観戦は嫌いではなく、十代の頃は何度か、新丸子で降りたところにある川べりのサッカー場に出かげたりもしていた。冒頭三、四ぺ一ジの試合シーンの客席のムードは、当時を振り返ってのものであり、草野球などでも同じ雰囲気は味わえるが、草野球にはない、「その世界では一流という人達がプレイしているのに」という不思議な感じが、特に魅力的であった。それを失ってしまった悲しみが、半ば、怒りとして作品中に噴出しているのは、作家として幼稚な感じもするが、逆に魅力でもあると当時から感じてはいた。その青さゆえ幼稚ゆえの魅力は、『屋根の上の魔女』製作時にも引き継がれ念頭に置くこととなった。自分の分身として漫画家が小説家を主役に使うこと、舞台が、大学であることなど、商業漫画界では青臭いと思われることを敢えて辞さなかったのは、この魅力に対する認識を踏まえでいたからである。

投稿サイズ、24ページ。

初出 創作文芸誌ぴろう第2号 商業誌未掲載

8月31日

(1995晩夏)

 『蟲愛づる姫君』『M』『J』と、商業誌向けの呪いから逃れ羽をのばした作者は、ようやく徐々に商業誌デビューへの気力を回復してきた。そこで久しぶりに本道である叙情的日常短編を描くことになった。そこには、同人誌の世界からも満足には程遠い反応しか得られなかったという、幻滅と諦めもあった。

 記憶があいまいなのだが、おそらくこの作品に関してはコンテの段階で担当に見せに行かなかったのではなかろうか。完成作を『蟲愛づる姫君』などと一緒に持っていったのだったと思う。ともかく掲載にはならなかった。そこで当然のように、『M』『J』に続いてぴろうの3号に載せてもらうこととなった。

あらすじ…夏休みの終わる8月31日、男の子なのか女の子なのかわからない(そのくせ特にかっこいいともかわいいともつかない)容貌の正美は、いつもの美容院でいつもの髪型に切ってもらったあと、銀座に出かけ、マリオン前で恋人気取りの親友マリコと待ち合わせて映画を観た。ところが髪を切ったばかりだからか、その日にかぎって、こんな言葉や反応がやけに耳に入ってくる。「女みてえだな、アイツ!」「女の子かと思った!」かわいい無邪気なマリコにいらだちつつ、正美は帰宅した。またいつも通りの学校生活が始まる…。クリーニングから戻ってきた制服が悲しかった…。

 珍しく、どんでん返しがある短編なので、あまり内容には触れられないのだが、年々テーマが重く厳しくなっている公式作品の中で、「カフェで」以来の淡い切ない短編に仕上がっている本作は、現在においてはじつのところ作者にとって一番のお気に入りである。人物だけではなく、この作品ではめずらしく風景描写も楽しく贅沢に盛り込まれており、それでいてそれらの叙情性をじゃましないようなやり方で気の利いたテーマもしっかりと根を張っていて、バランスのいい短編なのである。大きなドットのまろやかなトーンを活用して陽光や空気の表現が独自になされている。タッチや処理など絵に関しても、実のところ一番武富健治らしいのはこの作品だと言えるかもしれない。

投稿サイズ、22ページ。

初出 創作文芸誌ぴろう第3号 商業誌未掲載

1999年夏に『掃除当番』とくくりで講談社ミスターマガジン第11回弘兼憲史賞 佳作入賞。

屋根の上の魔女

商業誌デビュー作

(執筆1995〜6 発表1997)

『屋根の上の魔女』作品製作について

 この作品は、明らかに商業誌デビューを狙って描かれている。既に作者は小学館のビッグコミック系の編集部に担当編集者を持っており、その担当者とのやり取りがあり、コンテを数回にわたって直している。直しの内容としては、人きく分けて二つあり、一つはネームの変更、省略であり、もう一つはエピソードの変更、省略である。結果として出来た作品について、作者は非常に満足しており、特に変更に関しては担当編集者の意見が正しかったと見ている。省略に関しては、不満に思う点が多かったため、未完であるが、小説版を作り、その不満を解消している。漫画版としては、一時期、完全版を目論むこともあったが、審査員に「コマ組みを凝りすぎて読みにくくなってしまった」と批判を受けるほどに、各コマや前後のぺ一ジとの構成の関係が緊密なため、部分的な補遺や修正が極めて難しくなっているので断念している。

 この作品は本来、単行本一冊分かもしくは三回連載になるくらいの中編として、発表の二年ほど前から、製作ノートに時々補填される形で、整えられつつあったものである。作者は『掃除当番』に代表される日常短編によって商業誌進出を図っていたが、あまりに編集側の反応が悪く、いわば、挫折する形で、この作品が選ばれたのである。編集側からの要望に答えるため、次に見せるコンテは、刺激が強く、ハリウッド的なテイストを持っていなければいけなかった。製作ノートの中には、短編として用意されていた数十本のネタがあったが、全て、この条件には当てはまらないものであった。唯一条件を満たしそうなものとして、中編用のこの作晶を、かなりシンプルに構成して、第一稿のコンテが成ったのである。意外なことに、第一稿のぺ一ジ数は、完成作より少ない、三十ぺ一ジである。この中に、完成作以上の内容が詰め込まれていたのである。こうした事は、作者にとって初めてのことである。それまでは、シンプルなストーリーを大きなコマで割ってぺ一ジ数が多くなっているのを、コマを小さくし、短く直すことが多かった。ここにも、今度こそ、編集に気に入られようというあせりが表れている。

『屋根の上の魔女』登場人物について

 登場人物についてであるが、武富は、崇敬する手塚治虫や松本零士の手法であるオールスターキャスト方式を以前から用いていたが、鈴木章は、高校時代に編み出したキャラクターで、文学青年などの役で何作品かの主役を務めている。(『M』『J』にも登場している。)佐倉陽子は、『掃除当番』などの丸山康子と同人物である。康子は、独立して、大人になるまでの人生設定がなされており、死んでしまっては困るということで、別名に直してある。大間田教授は、別ペンネーム(江露巣主人)で描いた奇形愛玩大河ドラマの主役、大間田平樹教授の別バージョンであり、この名前は、コクトーの小説『大股開き』からとっている。夏紀は、これより先に『ロマンチカ』という大学を舞台にした青春物を企画したときに作ったキャラクターで、そのコンテはボツになったので、本作が初出演となる。最新作の『シャイ子と本の虫』で中学牛時代の彼女が描かれた。ちゃんと本作とリンクしているので、手元にある方は、チェックしていただきたい。章の後ろ姿も登場している。なお、『屋根の上の…』も『シャイ子と…』も、先出の『ロマンチカ』ともリンクしているので、今後、描く機会があれば、さらにこれらの世界が広がることになる。
なお、二人の刑事は、人生派漫画の始祖と呼ばれる永島慎二の重大な作晶『漫画家残酷物語』に登場する二人の刑事へのオマージュである。

*以上、選集1解説より抜粋。

投稿サイズ 32ぺージ。

第39回小学館新人コミック大賞(一般コミック部門)佳作入賞

ビッグコミックオリジナル新人増刊号1997年4月12日号掲載

(ユウ)

(1998夏)

B5同人誌用サイズ 15ページ。

SUNDANCE・胡蝶社合同企画本『夏の日のオーガズム』収録。

商業誌未発表。

ポケットにナイフ

(1998秋)

投稿用サイズ 24ページ。

小学館ビッグコミックオリジナル新人増刊号1998年10月12日号掲載

シャイ子と本の虫

(1999夏 2000春改訂)

投稿用サイズ 28ページ(商業誌バージョン)32ページ(自費出版用改訂版ロングバージョン。

小学館ビッグコミックオリジナル新人増刊号1999年10月12日号掲載

蛇を飼う女

(執筆1999冬〜2001春 発表2001冬)

発表の経緯

ここ数年は新作発表の中心を商業誌に求めていたこともあり、こうして胡蝶社名義の自費出版で新作を披露する、というのは本当に久しぶりです。SANDANCEの本田さんのお誘いで出した二人誌『夏の日のオーガズム』(『勇』収録)から数えても三年半ぶり、『蟲愛づる姫君』から数えると、なんと七年ぶりになります。この間は、それまでに発表した短編と商業誌に発表した短編を織り交ぜて収録した『武富健治選集』の発刊が胡蝶社の主な仕事でありました。

 さて、この度自費出版において久々の新作発表を行うことになったのは、残念ながら決して喜ばしいことではありません。なぜならこの『蛇を飼う女』も、本当ならば商業誌誌上で発表することを念頭に用意され、仕上げられたものだからです。

 平成九年に『屋根の上の魔女』で念願の商業誌デビューを果たしてから、決してとんとん拍子とは言い難いながらも、翌年の秋に『ポケットにナイフ』を、その翌年には『シャイ子と本の虫』をデビューと同じビッグコミックオリジナル新人増刊号に発表することが出来ました。年に一作のペースです。『シャイ子と本の虫』を描き終った時点で思ったことは、来年からはもっとペースを上げて年に二度は短編を載せてもらえるようにしよう、ということでした。実際いいペースでコンテを作り、担当編集者にそれをまめに届けていました。しかし、事実は悲惨なものでした。『シャイ子…』を最後に、ぼくのコンテがビッグコミックの会議で採用と決まることはそれ以後今に到るまで一度も無かったのです。昨年の正月明けに提出した『鈴木先生』『蛇を飼う女』のコンテが春まで待たされた挙句に黙殺された時、さすがに息が切れました。実のところここ数年は、デビュー前後の何年かと比べれば、創作意欲が高まって、ペン入れがしたい気持ちがうずうずしていたのです。そうした気持気持ちを担当に打ち明けると、「載る」という約束なしでいいのだったら描くこと自体はいいことだし、描かないでいるのは確かによくない、という返事がありましたので、思い切って特に思い入れのあった『蛇を飼う女』を本描きすることに決めたのです。正直なところ、「載ろうと載るまいと」というように結果を全く期待しない気持ちではありませんでした。自分の漫画の演出は、おそらく一般のものよりも「過剰さ」に対して非常に敏感なものでした。見易さや迫力など全てが、完成し、吹き出しが写植化され、縮小され、本になった時、ぴったり過不足のない演出になるように描いているのです。その中には商業誌の悪い印刷までが計算に含まれていたくらいでした。担当から受けた、あるいは会議で出された担当以外の編集者の方々からのアドバイスの中には、かなりこの計算を、新人と思って軽んじたのか、軽視したものがたくさんありました。そんなこともあり、コンテでは伝わらなかったものも、完成原稿にしてみれば印象が変わるかもしれない、という思いがあったのです。

 しかしひさしぶりの劇画調という途惑い、さらには掲載になる確証なしの作業の想像以上の苦痛に悩まされ、またアシスタントの数年単位での疲労の蓄積が噴出するなどいろいろなことが重なり、作業はひどく難航しました。無理を言ってアシスタントを半月休み、生涯初となる外国旅行(南インド)を敢行するなど思い切ったリフレッシュを行うなどして、ようやく昨年の春にこの作品が完成しました。

 さっそく担当にあずけ結果を待ちました。ビッグコミック系では難しいだろうということで、IKKI誌の編集にも打診してくれるとのことでこれにも期待しました。しかし残念ながら小学館の青年誌ではどこもこの作品を載せられない、という結果が返ってきました。

 人によって違うようですが、ぼくの場合、例え手元で作品が完成しても、それが発表となる、あるいはその確証を得るまではなかなかその次の作品に気持ちが移らないのです。そのようなこともあり、商業誌がだめと決まったらすぐにでも胡蝶社名義で自費出版し即売会で発表しなければ、とすぐに原稿を小学館から引き上げてきました。しかし友人久野檸檬氏のアドバイスで、商業誌掲載をあきらめずに別の出版社に持ち込もう、と思い直したのです。

たまたま数日後に締め切りのあった講談社のアフタヌーン誌を選び、さっそく投稿しました。秋に出た結果は佳作。掲載はなし、でした。こうした経緯の元、今回(平成十三年冬)のコミケ合わせで、自費出版の形でみなさまのお手元にお届けすることとなったわけなのです。      (胡蝶社主人)

内容解説

 この作品は、巻末に記したように、ぼくの二十代を象徴する記念的な意味を思っています。これは大きく分けて二つの側面においてです。ひとつは武富健治という一人の生身の人間の二十代とはこういうものだった、というもの、もうひとつは作家としての武富健治の作風の問題。『康子』から始まり『掃除当番』に至り、『蟲愛づる姫君』を産み、『屋根の上の魔女』を経由して再び学園を舞台にした象徴的テーマ短編に戻っていく(というかそこから離れられない)、というこの特殊な作風は、まさに二十代が明けるとともに始まり十年の間作家を支配した、まさに二十代の作風といえるのですが、その集大成、金字塔としての意味合いがこの短編にはあるということです。

 とはいえ実のところ、この作品に登場するエピソードは、主人公が蛇を飼っている、ということ以外ほとんど創作であり、いわゆる自伝的な意味はどのエピソードにもありません。全てが象徴、例え話の集合なのです。この作品において「これが僕だ!」というものは、各エピソードにおける主人公の『感情』『感覚』に集約されています。ですから物語が自伝的でないにもかかわらず、僕が実際の自分の二十代での体験を漫画化するよりもむしろ強烈に、ぼくの二十代というものを象徴しているとは言えるでしょう。

 今までによく、直接的にあるいは間接的に、なぜそうした作風の漫画しか描かないのか、あるいはそうした作風の漫画しか描かないような人生を送っているのかという疑問を寄せられたことがありましたが、それはとても説明しにくい問題で、自分自身の行動を持ち出しても、あるいは長々と説明しても、おそらく質問者にぴんとくる説明は出来ていなかったのではないかと思っています。それを感覚的にあるいは感情的なレベルで「なんとなくわかる」というところまで、この作品を読んでもらえれば到っていただけるのではないかと思っています。

 もうひとつ、この作品がぼくの二十代を象徴する、という意味は、実際にこの作品の成立が、細切れに二十代全体に関わっているからということもあります。実のところ、今回発表した形に落ち着いたのは昨年のことですが、『蛇を飼う女』というタイトルで創作ノートにあらすじが書き込まれたのはまだ学生の時分で二十代の初めの頃のことでした。以来、時折それに使えそうなエピソードがノートに追加され、ある程度の形になったのが大学を卒業した頃のこと。その時まではこの話は、「蛇を飼う女が、長く連れ添った平凡な彼氏に幻滅を感じ始めており、結婚を控えて「それがぶちこわしになるような事件が起こってくれればいいのに」という思いに支配され、それに適った幻想を見る(幻想の内容は今作と同じ)、それが夢だと知った時、ため息一つ、つまらない平凡な人生を受け入れていく」というもので、ラストの主人公の気持ちの決着は決定稿とはまるで逆のものでした。その内容で、さらにいくつものバージョンがメモに加えられ、例えば彼氏以外に、同僚の親友が登場するとか、仕事場に若い女性のグループと、行き遅れのグループ、幸せに家庭に入ったグループなどが存在しそれぞれがだめな言動をそれぞれのフィールドで展開しそれぞれのグループを軽蔑し合っている、その間を主人公はうろうろしながらどこにも気持ちのいい居場所を見つけられない、などの設定が用意されたりしました。こうした設定は実は今回のコンテを作るぎりぎりまで残されていました。もしこの作品が前後編や短期集中連載という形をとっていたとすればまるまる残っていたものと思われます。それが、短編として昨年準備された時、切って捨てられてしまったわけです。しかしニュアンスはなんとか残されているのがわかってもらえるかと思います。

 こうした『彼氏と彼女』を主役としたバージョンの次に用意されたのが、「合コン」バージョンです。これは決定稿に到るまで、それほど形を変えていません。残念なのは、合コンの相手に関する説明が、この短編だとかなり削られてしまったことです。いかにその男がだめなつまらない男かを説明するいいエピソードがかなり削られてしまったせいで、正直、主人公がかなりわがままで、振られた男が不当にかわいそう、な雰囲気に感じてしまわれる方も多いかと思います。このあたりは重大な欠陥かもしれません。しかしそれを執拗に描くことで、ますます感情移入できる人間が減る可能性もあります。ぼくとしては、もしこの短編を読んでその方が「この主人公はいやな女」と思われても、仕方ないな、と思っています。逆に、それはそれで事実であり、潔かったかな、とも思っています。

 また、この『合コン』バージョンが採用となった背景には、当時のぼくの個人的な思惑があります。当時(今もそうといえばそうですが)は、ほんとうに主人公のマリと似たような気分の毎日を送っていたのですが、実際に合コン話があったのです。話ばかりでなかなか実現しなかったりしたのですが、ぼくとしてはそれが楽しみで楽しみでそれに気をとられてしかたありませんでした。にわかにその話が現実味を帯びてくるとこんどはもうすっかり不安で、事前に『合コンなんてこんなものさ』と自分をなぐさめ、またいらぬ過剰な期待を少しでもやわらげるために、この漫画のような内容を自分に言い聞かせる必要があったのでした。その甲斐もあってか、実際にあった合コンでは単なる忘年会のようなものに終わってしまったのですが、極端にがっかりすることもなくまさに「無事」に終了してしまいました。

 また、「合コン」の場面で登場する男のモデルの一人には、多少ですが自分も入っています。このことで、主人公のひどい仕打ちを気持ちよく描けることが出来ました。

 主人公の昔の仲間に対する記憶、幻想が各所に登場する、という設定は、実は最後の最後で、この版のコンテを作るにあたって思いついたものです。この設定が実のところ短編としてはひどく煩雑で、削除すべきものであったような気は今でもしています。しかし主人公さながら、一旦ノートの上に登場した「貴世子」というキャラクターに、僕自身は縛られ、このエピソードを削ることが出来なかったのです。結果としていかがでしょう。おそらく一番印象に残っているのはこの、貴世子や昔の仲間に関わる回想や幻想の部分ではないでしょうか。ちなみに裏話的なことでいうと、合コンの後のクライマックスのシーンで貴世子のアップが出てくるあたりの件のイメージは、角川映画映画版『犬神家の一族』で松子夫人が父佐兵衛翁に操られるところを重ねつつ描きました。

 また、この『仲間たち』に関する部分には、もちろんのこと、これまでに知り合った漫画家などを目指しつつも様々な事情で消えていった多くの友人や先輩もことが重ねられていますし、また永島慎二氏の『漫画家残酷物語』も意識されています。こうした志半ばで逝った同志の霊が宿るというテーマは、以前から用意だけは着々と進めているピアニスト漫画「ネオファウスト博士」の中枢をなすものです。ご期待下さい。

 「上履き」のエピソードは、一見別の短編のアイディアを挿入したかのようにも見えますが、これはこの話を作る上で思いついたもので、起承転結のあるストーリーはありません。ただここから肉付けして一つの短編になることはありうることです。貴世子たちとの記憶の部分も、だいぶエピソードが裏設定として頭に浮かびましたので、機会さえあれば一つの作品になることも考えられます。

 主人公の飼っている蛇のモデルは、ぼくが飼っているボールパイソンという小型のもので、実はとぐろを巻けば洗面器に収まるほどの大きさです。この話を描くにあたって、実際に漫画に出てくるほどの大きさになるような種類の蛇にしようか迷ったのですが、幻想性ということを前面に押し出すためにそのままにしました。うさぎを食べたりするシーンは、実際に餌用のマウスを捕食するところをデジタルビデオで撮影してそれをスチルとしてパソコンのプリンターで印刷したものを見たりトレースしたりして使っています。

 パソコン導入でありがたかったのは、夜景に強いデジタルビデオで撮影した渋谷や吉祥寺、武蔵境駅などの映像を、そのまま取り込んで資料に出来たことです。このことで、夜景のシーンは、昼間に撮った写真を使ってそれを夜に見えるようにトーンなどで仕立て上げるのよりずっといいものになっています。

 ちなみに飲み屋シーンで登場する居酒屋『王八』の店名は、是非辞書や漢和辞典で調べてみて下さい。作品の内容に相応しい意味があります。

 ともかくこの作品には、長い話を短編にまとめた、などの理由でいろいろと問題も多く含まれていますが、ともかく作中の言葉通り、『楽しみ』でなくとも、『喜び』『救い』でも、ともかくなにか読者の方の心に残るものはあるかと思います。商業誌の誌上で読むより多少その効果は薄れるかもしれませんが、いかがでしょうか。

(季刊胡蝶別冊『蛇を飼う女』発行にあたって より)

投稿サイズ、32ページ。

講談社アフタヌーン誌四季賞佳作入賞。

*胡蝶社より自費出版、在庫あります。(詳しくは胡蝶社出版物案内ページへ)

幼少期作品へ  習作期作品へ  ページの頭へ  

目次へ  作品紹介目次へ

To table of contents