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人は、能力に応じて働き、欲望に応じて取る 投稿者:もう一人 投稿日: 5月29日(土)23時31分48秒
然るに、あの映画の中に、「ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ」を持った狂人(或いはそのような側面)をこれ以上入れる必要はないのであります。マリアもペテロもユダもただのか弱い人間であり、それ以上でもそれ以下でもない。それ以上でもそれ以下でもないものを、無理に「リアル」にする必要はないと思います。ですから、技術的な側面から何らかの非難はあろうとも、少なくとも内容としては、あの映画はあれで全く完結しているのです。
重要なのは、長いから或いは短いからどうこうとかいう事ではなく、一体何を撮ろうとしていたのかという事だと思います。
それでもなお「2時間強の映画だったらもうちょっと複雑でも、十分味わいを感じさせる余裕は残るのではないかという気はしています」と言うのであれば、やはりどこに何をどのように含めるのかを言わなければ、単に批判のための批判でしかないという事になってしまいます。こういうのは主人さんがやることではなく、むしろ私がやりそうなことでしょう(笑)。くれぐれも役割を誤ってはいけません。
ピラトを高級視しすぎる危険については、あくまでも主人さんの説明によれば、そのような「可能性」があるという意味では同意できますが、しかしそのような危険が「現実的に」招来するとはとても思えません。おそらく「危険」と言っているからには、「可能性のみ」を強く示唆しているとも考えられますが、でも実際に、ピラトを高級視したり崇拝したりしている人なんている(或いはいた)のでしょうかね。デビッドボウイを崇拝するのならともかく(笑)。
・・・と、こんなんで如何でしょうか。
>空さん
>とりあえず療養休暇を2ヶ月取ることになりました。6月1日が多分ボーナスの基準日なので影響があるかどうかわからないので6月1日までは仕事をするというせこい事考えています(笑)。あと数日のところで金額が変わったとしたらくやしいもん。
療養休暇をとったとのこと、安心しました。でも、6月1日まで待つというのは、確かにせこい事ですが(笑)、それくらいの強かさはあってもいいと思います。私なんか、「ボーナスなんていらねえやい!」と、まさしくボーナス支給の直前に突っ張って辞めたはいいものの、不覚にもその後こんなに苦しむとはまさか思ってもみませんでしたので、少しでも貰える物は貰っておいた方がいいかと思われます。(経験者は語る)
自分が親でもあり子でもあるという恐ろしい業について、『苅子後語』という笑話集の中にちょっと面白い話があるので以下に紹介させていただきます。
非常に厳格な老人がいた。老人には、息子と、その子つまり孫があった。息子は、孫を甘やかしすぎたので、老人は家長としていつも厳しく孫を叱っていた。ある雪の日、孫がいたずらをしたので老人は怒り、孫を裸にして雪の中に立たせた。息子は、孫を許してもらいたかったが、「考」に反するのでそれが言い出せない。やがて一計を案じた息子は、自分も裸になって雪の中に立った。 老人は驚いて、どうしたのかと問うた。すると、息子は答えた。「私の子が雪の中に立たされて苦しめられているので、私も仕返しに、あなたの息子を雪の中に立たせているのです」。老人は笑って、自分の行き過ぎを反省した。
私はこれを読んだとき、狂ったように笑い転げましたが、あまり面白くなかったりして・・・
「何の為に生きるのか」や「自分にとって何が幸せ」なのかということについては、できればまた後日書かせてもらおうかと思います。また、子供に対しての読み聞かせについてもお聴きしたいことがあるのですが、これまた後日ということにさせていただきます。私はサムライではないため、この言忠実に守れるかどうかはわかりませぬが、とりあえず予告のみということで、期待しないで待っていてください(笑)。
>もろちょんさん
どうも!
浅羽さんの新著を買われたとのこと、素晴らしい!!私も是非買いたいところなのですが、何分貧乏であるゆえ買い渋っているところであります。私は浅羽さんに関しては、著作も4、5冊しか読んでいませんし、論語の塾の宴会の時にもCGと駄弁ってばかりなので酒を酌み交わしたのも2、3回しかないのですが、う〜ん、そうですね、ではそれまでに予習をしておくことにします(笑)。アマゾンでの書評、もし書かれましたら是非お知らせください。
アイルオブオキのマツケンの文章も面白そうなので、これから読ませていただくことにします。
編集済
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「地上に平和をもたらすために私が来たと思うな。平和ではなく剣を投げ込むために私は来たのだ」(マタイ書10・34) 投稿者:もう一人 投稿日: 5月29日(土)22時56分18秒
>主人さん
不覚にも今週はしどろもどろな言い訳を連発してしまいましたが、すみません、お待たせしました。
という訳で早速ですが、
>他の人の描写にこれ(「ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ」)を導入すると、イエスのそれが、目立たなくなってしまうということでしょうか? 「過剰」な演出、とあるから、そういうことではないのかもしれませんね。話が複雑化して、イエスの問題が目立たなくなってしまうということでしょうか。
一言で言ってしまうと、少なくともこの映画に関しては、そのような「導入」をしなければならない必然性を全く感じないということです。なぜならそのようなものはイエスの中にこそあれば足りている話であって、それをイエス以外に求めるのであれば、既にいる他の人の描写だろうと、新しく挿入されるものだろうと、異物はしょせん異物です。
とは言っても、これだけではいわゆる相対的な見解の相違という話でしかありませんので、少しだけ思うところを述べてみます。
ようするにこの映画は何を撮ろうとしているのかということです。丁度、主人さんから「確かにコンセプトから外れてしまう」という言葉をいただきましたが、つまりはそういうことです。この映画はどう見てもイエスの「狂」或いは「狂者」としてのイエスを撮ろうというコンセプトで作られていると私は考えています。人間イエスを受難に追い込む、周囲の人間の狂いっぷりを撮ろうとしているのではなく、狂人としてのイエスを撮っているのです。
このようなことを書くと穏健なキリスト者からは非難を受けるかもしれませんが、キリスト者ならぬ私の目から見れば、イエスという人は狂人に他なりません。そしてその狂人の像が、自身の死後二千年の長きに亘って普遍史という名の西洋史を作ってきたのです。「それぞれの時代が、イエスの中に自分自身の思想を見出した。実際、それこそがイエスを生かしうる唯一の道だったのである」(シュヴァイツァー) それは、この二千年という歴史(特に西洋史)が、もしかして妄想によって動いてきたのかもしれないという慄然とした恐怖さえ感じさせられます。
それはともかく、この映画の評価として、「人間の残酷さを描いた作品だ」などというものもあるようですが、一体どうしたらこんなデタラメな判定を下せるのか、と私などは思ってしまいます。もちろん、イエスを受難に追い込むのがイエス以外の周囲の人間であるという事実を考えれば、現象としてそのような現われは確かに存在しますが、それは作品上最低限導入せざるをえない現象に過ぎないのであって、本質はイエスの狂気、主人さんの言葉でいえば、「ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ」を撮っています。あのような受難に耐えられるイエスという男は、とてもじゃないがににんがしではわりきれない、わけわからん、しかもとびっきりわけのわからない人間です。そしてそのような側面をリアルであると規定するのであれば、彼は人間としてリアルであるとも言えるでしょう。
最近、というか殊に20世紀以後に生きてきた人間にとっては忘れられていることが多いのですが、別にユダヤ人に限らず、人間というものはあのような残酷なことは幾らでもします。現在は、啓蒙思想だか人権思想だか民主主義の精神だかの見えざるマインドコントロールにより、あんなことをするのは理性の足りていない野蛮人であるかのごとく思う人もいるのかもしれませんが、あれが古来より共同体の侵犯者に対して人間が行ってきたことの真実なのです。そう考えたときに、イエス以外の周囲の人間つまり民衆の狂気などというものは自明の前提であって、もしそれを撮りたいのであれば、そこにイエスを登場させる必然性は皆無です(ちなみに民衆を狂気と規定するのは、現代における良識的な見方の要請を受けた上での方便として言っているだけであって、そこに「わけわからんものとしての人間のリアルさ」を見ているという訳ではありません)。彼らは――ににんがしであることでもってその精神の安定を享受できる――いたって普通の人間なのです。
しかし、そのようなあまりにも普通である、そうであるが故に残酷な人間が存在するからといって、人間に絶望する必要はありません。中には絶望して「神はいない!」と嘯き終局的には狂ってしまったり、また、永遠の調和としての神の王国への入場券を謹んでお返ししたけれども、同じように狂ってしまう人も一部にはいるかもしれません。でも、それはあくまでも一部であって、そうしょっちゅう現れたらかえって薄気味悪いというものです。
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ごぶさたしております 投稿者:もろちょん 投稿日: 5月29日(土)21時10分34秒
今日はいい天気でしたね。
>もう一人さん
陽光に誘われて外出した折に、浅羽通明さんの新著『ナショナリズム』『アナーキズム』買いました。(←ボケです。念のため。)隠岐コミューンについて書いてあるので、これははずせないなあと。
またドスト会でお会いしたときにでも、浅羽さんについて聞いていいでしょうか。
読み終わったらアマゾンで書評を書こうかとおもっています。
さいきん、こうゆう小さい活動が増えてきました。
友だちとやってる同人誌、ホームページができました。まだコンテンツが全然ないのですが、よかったらご覧ください。
週一回マツケンについて書いています。他の同人にもなんかしら書かせようと画策中・・・。
http://isleofoki.bblog.jp/
あいかわらずの営業で、失礼。
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こちらもまた… 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月29日(土)01時25分24秒
ちょっとあわただしくなります。
時々落ち着いて書き込める時があると思いますので、そういうときには是非書き込みます。
明日もちょっと実家に泊まってきます。
明後日夜はHM会議…。
その次は所沢で木戸レッスン、などなど…。
まったく、落ちつかず、すみません。
人生にはこういう時期がときおりあるのでしょう。
漫画で忙しい、という、ひとつのことで忙しいのであれば、
時間は取れると思いますので、今後どんどん書き込めなくなる、というわけではありますまい。
空さん、もう一人さん、書き込みありがとうございます。
見てくださっている人もありがとうございます!
とりあえずまた!
編集済
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もう一人 投稿者:もう一人@もう一人 投稿日: 5月29日(土)00時28分57秒
だ、だめだ、今週は途轍もなく忙しい・・・主人さん、す、す、すみません、本日もレスできませんです・・・明日は一日オフにして、就活関係には一切手をつけませんので、できれば明日には、には、、には、、、たぶん・・・・
それにしても、こんなにも心を亡くした状態が続くと、最近の能天気な天気にも負けずに、勢い、私の影武者はどこかにいないかねぇ、なぁんていつもにも増して阿呆な事を考えてしまいますね!
自意識過剰な一人ツッコミをしている余裕もないのであります。
おおおお、空さん、お元気そうで、なによりです。。良かった良かったです。。文章はまた明日にでも丁重に読ませていただきます。。
布団が俺を呼んでいるのでもう寝ます。
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仕事を辞めたら 投稿者:空 投稿日: 5月29日(土)00時14分38秒
と、時々想像します。まぁできの悪い専業主婦ってところがオチでしょう。家事得意じゃないし(夫に言わせるとかなり進歩したそうですが)。
アンパンマンの歌が頭をよぎります。
(1番の歌詞の出だし)
何のために生まれて何のために生きるのか
答えられないなんてそんなのはいやだ
(2番の歌詞の出だし)
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
分からないまま終わる そんなのはいやだ
どちらの問いにも答えられないよ。でも答えられる人、あるいは答えようとする人すら少ないんじゃないかなぁ。
この歌詞(作詞:やなせたかし)をアンパンマンの歌詞にするというと「哲学的すぎる」と止められたそうですね。
実はちいさいちいさい声で白状すると子どもの本を書く人になりたいという子どもレベルの夢(まだ何の努力もしていない)を持っていたりするのですが(うわー、恥ずかしい、書いちゃったよ)。本屋に行くと児童書のコーナーに必ず立ち寄るし、子どもへの読み聞かせは決して子どものためだけではありません。文章を全く書かなくなると本当に書けなくなっちゃうので、とりあえずまずはここで練習させてもらっています。娘も4歳になるので保育園であったことなどを話してくれるので、何かに使えないかなと積み木のように組み立てたり壊したり頭の中でしています。実際に書いたことがあるのは中学時代の文集と大学時代のアドグルの作品集に載せた2つだけですね(どちらもお見せできる代物ではありませんが)。
他にアマチュア天文家なんてのも憧れます。で、子どもたち相手に星座や天文のことを教えるの。これは物理や天文学の授業を全く取ることができなかったので実現が難しいですね。
いやー、今日は恥ずかしいこと書いちゃったなぁ。
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お久しぶりです 投稿者:空 投稿日: 5月28日(金)23時48分22秒
最近、夫が自分のホームページに競馬の予想を書いていたり、チャットをやっていたりでなかなかパソコンがあかず、書き込みができませんでした。
>もう一人さん、主人さん
私の愚痴につきあってくれてありがとうございます。とりあえず療養休暇を2ヶ月取ることになりました。6月1日が多分ボーナスの基準日なので影響があるかどうかわからないので6月1日までは仕事をするというせこい事考えています(笑)。あと数日のところで金額が変わったとしたらくやしいもん。
>もう一人さん
「あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練と共に、脱出の道も備えてくださいます」
これがオリジナルだったのですね。私も、人は背負えないような荷物は背負わされていないという感じの言葉は聞いたことがあるのですが、「むしろ、耐えることのできるように、試練と共に、脱出の道も備えてくださいます」を知らなかったので、「まだがんばれるはず」「どこまでがんばったらがんばったことになるの?」とか感じていました。脱出の道なんてあったとは。
>主人さん
これしかない(By篠沢教授)という感じさえしますか、うーむ。
「しかし親の存在というのは、ほんとに重いですよね。ぼくも、結局とても重要なしばりを両親から与えられています。」
今度そのテーマで主人さんの書いた漫画を読んでみたいです。親って本当にどうしようもない(どうにもできない)、そして(私の場合)愛(親から私へ、私から親へ)が存在するから余計やっかいですよね。ほんと、どうしようもない。
そして恐ろしいことに私も「親」なんですよ。みなさんもひとごとじゃないですよー。将来悩みの種にされますよー。
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ネット事情当面の解決と、はと続報 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月26日(水)23時39分44秒
予想していたうちのひとつだったんですが、NTTのお薦めで新しく入れたルーターが、ネット更新に必要なポートをふさいでいるらしい。とりあえず、Bフレッツ導入時にお世話になったサービス会社に智恵をもらって、応急処置として更新時はルーターを外してつなぐことにして、当面の解決を得ました。
そのうちNTTに電話して、ルーターの設定などをし直す必要がある。しかし萎えるのは、直で繋いだ時の、この早さだ。
どうも光なのに、遅いなあと思っていたが、ルーターのせいかもしれない。ばからしい買い物をしてしまったか…。
昨日適わなかったはと続報を。
どうもガーデンテーブル下を執拗に狙いすぎると思ったら、なんとその裏の、植え込みコーナーとの境のくぼみに、巣を作っていやがった。
書いたとおり、ぼくはすっかり、やつらはガーデンテーブルとは逆の端の、隣との境の方に巣を作ろうとしていたと思い込んでいたのだが、フェイントだったようだ。
既に巣には卵がひとつ…。
なるべくおびえさせないように気を遣っていたが、それでも、臆病ものめ、ある程度まで近づくと、ビックリ仰天して逃げていってしまう。
しかも夜に逃げると、鳥目のせいか朝まで帰ってこられないらしい。
昼間は、すぐ戻ってくるので、こちらも「勝手に逃げろ」と、平気でガーデンテーブルで煙草を吸っていた。鉢植えに水をやる必要もあるし。しかし結局夜の問題がある。
今では喫煙場所を、わざわざ隣との境側に移し、気を遣いながら煙草を吸っている。
警戒してガサガサ動いている音は聞こえてくるが、なんとか逃げずにすんでいるようです。
しかしなあ…。
一番の問題は、逃げてしまうことですよ。大事な卵なんだから、もうちょっと親の心意気を見せて、踏ん張ればなにも問題ないのに。「ぼくのせい」で逃げてしまって、そのあと取り残されて冷えてしまいそうな卵を見ていると、複雑な痛みで胸が悪くなります。どちらかといえば、つついて攻撃してくるとか、そちらの方がタチがいい。
とりあえず、こんなに気を遣うのは、雛が孵化するまでだ。卵をあたためなくちゃいけないだろうから。冷える夜に数時間もほうっておいたらだめになってしまうだろう。
まったく、自分のことでも手一杯なのに、なんではとにこんなに気遣わねばならんのだ…。
まあ生まれてしまえば、観察もまた楽しかろう。
となりとの境の方に巣を作られるよりはよかった。においなどで隣から苦情が来ることもなさそうだし。
今日の日中見たら、卵がニつにふえていました。
編集済
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更新不能 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月26日(水)00時47分20秒
>もう一人さん わざわざどうもありがとうございます。満を持して、お暇と余裕のある時に、よろしかったらレスしてください。っていうか、ぼくもまだレスし終えてないし(笑)
いや、参りました。こんかいBフレッツに変更する作業を、サービスマンの方にすっかりやってもらったのですが、先ほど、引っ越してから初めてサイトの更新をしようとしたら…なにかヘンなことになってしまって…。更新できないだけでなく、更新しようとしたページが、真っ白に更新されてしまった。
きっとこの接続方法の変更が、HP作成ソフトからサーバへの更新になにかの問題を起こさせているのではないかと。
たまたま今回のその更新というのがサイトの中の、HMW会議HPにまつわるものだったため、武富健治HPには何の問題も起こっていないのですが…。一番の問題は、更新ページの中にHMW会議HPのトップページが含まれていたこと。このページをお気に入りに入れていた、HMW関係の人は、どこもみることができなくなってしまった。会議前だというのに。
明日さっそくプロバイダに電話して、聞いてみます。
はとに関して、昨夜の書き込みの恐るべき続編ができたのですが、ちょっと気分的に今日はやめておきます。無事問題解決したら、気持ちよく書き込みます。
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怠惰な多忙ならぬ多忙な怠惰 投稿者:もう一人 投稿日: 5月25日(火)23時41分5秒
>主人さん
今晩は。レスありがとうございます。が、私のほうのレスに関しましては、ちょっと先程も面接を受けてきて、例の如く質問のし過ぎにより燃え尽きてしまったので、すみませんがレスはまた後日(できれば明日)ということにさせてください。本日は早々と布団の国に逝ってしまうことにします。それでは、おやすみなさい!
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「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい。」(ピラト)「その血の責任は、われわれとその子孫の上にかかってもよい」(ユダヤ民衆)(マタイ27.24-25 日本聖書協会1955年改訳版) 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月24日(月)23時15分28秒
>もう一人さん 少しずつレスします。
まずににんがしの問題。
>この映画にあれ以上そのような異物を入れてしまっては、それこそ過剰な演出となるでしょう。
そうかもしれません。しかし「異物」とは思いません。
>「ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ」は他ならぬ受難者であるイエスの裡にこそあるからです。
とありますが、他の人の描写にこれを導入すると、イエスのそれが、目立たなくなってしまうということでしょうか? 「過剰」な演出、とあるから、そういうことではないのかもしれませんね。
話が複雑化して、イエスの問題が目立たなくなってしまうということでしょうか。
なにせ僕自身、『蛇を飼う女』などでは、まったく同じように、脇役の深みはカットして描くという手法を使っていたのですが、それは短編だから、というわけで、2時間強の映画だったらもうちょっと複雑でも、十分味わいを感じさせる余裕は残るのではないかという気はしています。極端に複雑にしたら、確かにコンセプトから外れてしまうと思いますけど。まあ、詰め込み映画が多い中で、ああいうゆったりした作りの映画があることは、評価もしています。
ピラトの問題は、聖書を読むにつけ、例の、教会では良くありがちな部分読み教育などでセリフなどを見ていく限り、パリサイ人やユダヤ愚衆に比べると、とても叡智のある人のようにも見えますし、また、彼の「英断」によって、キリスト迫害の呪いは、ユダヤ人が全て背負うことになり、ローマ帝国はその呪いをまぬがれている、という印象でも読めてしまいますよね。実際、現行の聖書は、ローマ帝国やパリサイの末裔が太鼓判を押したもの、ということですから、内容の表現には、彼らがかなり手を加えている、とも言われますし、またそうでなくても、都合のいいものだけが残された、ということはかなり濃厚に考えられます。
ちなみに、ぼくの大好きな『最後の誘惑』では、実はちょっとピラトがかっこよく描かれ過ぎているきらいがあります(苦笑)。演じているのは、いい感じに老けて仙人面になったデビッドボウイです。
パッション、では、かといって日和見のダメ政治家、という面を、強調し過ぎることもせず、程ほどにその要素を盛り込み、ピラトが「責任を放棄しようとした」まさにその「卑怯さ」が、体制の中で生きていくための仕方なさ、ということをきちんと踏まえつつも、淡く前面に出ていてとてもいいと思いました。
そういえば、イエスの死ぬ直前のセリフ、エロイエロイラマサバクタニ、もそうですが、ピラトの「エッケ・ホモ」も音声で聞けたのは、感動でした。ある意味、この映画、ぼくの中でもっともしびれたことのひとつに、この原語再現、ということもありました。
実は脱線箇所も、けっこう興味があるのですが、今日はここまでにします。
編集済
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胸の痛むことばかり 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月24日(月)23時05分17秒
今日は悲しいというか、胸の痛むことが続きました。
ぼくは、はとも、なめくじも、けっこう好きです。
なのでベランダの菜園に彼らが良く顔を出すのはうれしいんですが、
なめくじは、ぼくがここに来る前から楽しみにしていたアゲハチョウの幼虫の観察の場となるみかんの木の、新芽を食べてしまうことがわかったのです。
やむなく、今日、茎に銅版を巻きました。うまくいけばそこから上にはいかないはずです。下の方で雑草の葉でもはんでいてもらいたい。と、これはなんとか解決したかもしれない。
はとは、洗濯物に糞をすることと、お隣とのベランダの境においてあるガラクタのところに巣を作ろうとしていることが問題だった。それだけのはずだった。しかし新たな問題が発生した。
室内禁煙にしているぼくが、昼も夜中もたびたび喫煙を楽しむ、古びたガーデンテーブル。どうやらここ数日狙っていたようなのだが、今日決意したようで、日暮れ前、そのテーブルの脚の渡し木のところにとまっていた。どうもそこをねぐらにしたいようだった。
夕方から他でもない、はと対策の小道具を求めにホームセンターなどにでかけてきたのだが、雨に降られ、惨めな気持ちで帰ってきて、一服しようとベランダへ出ようとした時、予感を感じてガーデンテーブルの下を覗き込むと、やはり、はとが眠っていた。
とてもかわいらしいので、実際、彼がそこをねぐらにすること自体はこちらは問題ない、正確に言うと、やや問題を感じるとはいえそれに拮抗するだけの好意を持っている。しかしさすがに喫煙の楽しみをカットしてまで彼にしこを譲るわけにはいかない。覚悟して外へ出ると、やはりはとは勝手にびっくりぎょうてんして、はばたき立ち、隣との境の板の上に止まってうらみがましくこちらを見ている。たばこを吸い終ったら、また来てくれて全然いいのだが、たまたませっかくかわきかけていて夕立でしめってしまった洗濯物に気付き、それを中に干し直さなければならなくなった。
おどかさないようにと、そろそろととりこんでいたのだが、やはりある程度近づいたところで、勝手におびえてどこかに飛び立ってしまった。どうも今夜はもう来ないかもしれない。どこで寝ることにしたのか、鳥目だから今更ねぐらを探しなおすのも苦労しているだろう。
ガーデンテーブルの下で眠っていた時のかわいらしさを思い出すと、洗濯物対策などにしろ、なぜ追い払われるのかわからないはとをおびえさせて追い払うのは、ほんとに胸が痛んでしかたがない。言葉が通じればなあとつくづく思う。
ぼくが喫煙で時折使うことを気にせず眠りつづけてくれるなら、また、さらに重大なことは、洗濯物を汚さなければ、どうやらそうとうお気に入りらしいガーデンテーブルの下は明渡して全然いいのだ。しかし、ガーデンテーブル下には、物干しを通過しないと、たどりつけない。うまく通過してくれればいいのだが、ちょうど止まりやすい位置にあるため、やつは必ず物干し竿にとまるだろう。
とりあえず、棹にはとがとまれないようにと、棹に「棹ピンチ」をびっしりつけてしまった。
はとは、理解できないから、「なにもかも禁止された」と思うだろう。
持ってきたものについてきたアブラムシが、とても日当たりのいい南向きの暖かいベランダに置かれて、さらに増殖して手が負えなくなった。やつらもまた、一匹一匹みているとかわいらしいやつなのだが、あまり大量にとりつかれると葉っぱが、しかもよりによって大事な新芽が病気になってしまうので、なんとか駆逐しなければならなくなった。薬を使うと、アゲハの幼虫もつかなくなるしナメクジも全滅してしまいそうだから、考えに考え、天敵であるてんとう虫の幼虫を道路わきのつつじの花壇で大量に捕獲して、放してやった。彼らの働きは優秀で、ほとんど一昼夜でアブラムシはほとんど姿を見なくなった。ところが、どうもその翌日くらいから、てんとう虫の幼虫が激減している。
例の幼馴染みの昆虫学者の友人が、てんとう虫の幼虫は、日に数百匹もアブラムシを食べるということをメールで教えてくれた。たくさん放しすぎて、食糧不足で減っていったのだろうか。
それとも鳥(はとが怪しい)に食べ尽くされたのか。成虫同様臭い液を出すから、きらわれて食べられないものと安心していたのだが、鳥にもものともしないものがいるのだろうか。
30匹以上とって来たのだが、今数えると、見当たるものは6匹くらいしかいない。蛹になったやつが3匹見つかったのは嬉しい。しかしあとの20匹以上は…。
ともかくてんとう虫の幼虫にはかわいそうなことをした。
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石川さんのライブ と 自転車 と 新居に 乾杯ノンアルコールでグッドナイト 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月24日(月)01時40分56秒
ほんとに行ってよかった。
期待していたが期待以上だった。
しかも打ち上げでは、ちょうどほんとに今の僕が渇望していた会話の内容で満ち溢れていた。
ぼくは聴き役として、すっかりエネルギーをもらった。
ついでに思いがけずよかったのは、実はこれまでは全くあわただしくて、新居を実感する瞬間にとぼしかった。というか、あったのだが、それが、ほんとの実感でなかったことに今夜気がついた、という感じだ。
今日のライブは地元だったので自転車で出かけた。打ち上げももちろん地元だったので、みんなと別れて、楽しさそのまま自転車で帰ってきた。自転車を置き場において、楽しさそのまま、家の中に入った。
それがよかったようだ。
これまでは、出かけて帰ってくるのが、バスか徒歩だった。
考えてみると、この20年ほど、ぼくは住んでいる家には自転車で帰ってくることが多かったんだ。
だから、自転車で帰ってくることが、こんなに、そこに住んでいるという証になる。
その実感にはほんとにあらためてびっくりした。
今夜初めて、ぼくはこの家に住んでいるのだと、「引っ越してくる以前のように」深く実感したのでした。
ちなみに今夜はノンアルコール。
なのにすっかり酔っ払っています。
自らの飲む、水ならぬ、グアバジュースとマンゴジュースをワインに変えたらしい。
はじめて自分の家と実感できた今夜だから、
自転車に乾杯しつつ、
昔どおりのフレーズでグッドナイト。
風呂わいたので、入って、髪乾かして、今夜は寝ます!
また明日。
編集済
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猿橋レポート 投稿者:携帯主人。 投稿日: 5月23日(日)00時06分16秒
霧の深い夜。
蛙の合唱が遠く山の方から聞こえてきます。
父のカレー、おいしゅうございました。
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すみません あるいは 「進行の中の裂け目、同一のものの再来の中の他者、言葉なきテキストの中のどもり…もしかしたら救済となるかもしれない失敗」(HM/画の描写) 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月22日(土)14時05分22秒
昨夜もtcupのちょっとした反乱があって…いやうそです。
ちょっと細々忙しく、昨夜も書き込みができませんでした。
もう一人さんとのやりとり、ここまでくれば満足という相互理解まであと一歩のとこまできましたのに間を空けてすみません。
これから、新サティアンオーナー邸(大月)までゴキゲン伺いを兼ねて、郵便物を届けに行ってきます(郵便局にまだ変更願を届けだしていないらしく、親宛ての郵便物がかなり…。たまたま今週は平日仕事帰りの両親と待ち合わせることも出来ず…)。
新サティアンでは、家具の配置上、以前以上にレコードプレーヤーが使いやすくなり、しばらくごぶさただったレコードを聴いています。
今聴いているのは、水谷豊『普通のラブソング』
♪俺は普通の男 普通に生き そして普通の靴で時を渡り(中略)
♪そんな人たちだけが今日も 幸福って橋を渡るよ
(作詞 松本隆)
水谷豊のキャラクターを活用し、普通の人たちにエールを送ろうとするのが
製作意図だと思うが、「だけ」は勇み足だろう(笑)。
自分は普通から外れた人間であるという自覚の強かったぼくは、
しかし製作者もまた芸術家ゆえに、意識的に、自らを除外しつつ、普通の人の幸福を祈る、
という悲壮な決意を持ってこの曲を作ったに違いない、とセンチに解釈することで、
十二分な慰安としてこの曲を楽しんできた。
しかし最近では、ぼくもまた、普通の人の自覚も多く、
久々に聴くと、また違った味わいを感じる部分もある。
では! 明日の夜はうちのすぐ近くで、劇で一緒の石川さんのライブが。
(てことで、大月からは一泊だけで戻ってきます)。
もしかしたら明日の夜も書き込みむずかしいかもしれませんが、
すみません、お待ちを。
オペラティック即興+演劇+如来の夕べ vol.1
「薔薇の憂鬱〜アフター5は神オ・ロ・シ♪」
5月23日18:30開場 19:00開演
アートランド(JR武蔵小金井駅南口下車徒歩3分 南口左折直進・ジャノメ通り沿い)
¥2000 ドリンク代別(1オーダー制)
編集済
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求められているのは・・・・ 投稿者:もう一人 投稿日: 5月21日(金)06時55分30秒
>で、基本的には、受け手である自分側の問題として解決してしまってかまわないのですが、ひとつ、もしかしたら作り手側の責に当たるかもしれない、と思ったことを書きます。
それはイエスが激しい鞭打ちを受けたり、ゴルゴダまで移動する間にもひどく痛めつけられたりしていた時の、ピラトの腹心アベデナールの登場のタイミングです。
さんざん痛めつけられたあとになって登場し、それをとりあえずやめさせる。
これは、残酷描写を強調する演出を助けるための脚本上の演出、という意味合いがはっきり出すぎていて、いささか問題かと。
こちらに関しては、当該シーンがどのようなものであったのか全く思い出せないため(多分眠っていたのだと思います。いや、ホントの話)、なんとも言えないのですが、、、しかし、仮にきちんと観ていたとしても気がつかなかったと思います。流石に慧眼ですね。
>ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ、が、もうひとつあればもっとよかったなあ、という、そんな話です。
良くわかりました。でも、こと『パッション』にそういった観点からあれ以上のものを求めるのは本末転倒だと思います。なぜなら「ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ」は他ならぬ受難者であるイエスの裡にこそあるからです。この映画にあれ以上そのような異物を入れてしまっては、それこそ過剰な演出となるでしょう。
>加えて、逆に、ピラトを高級視し過ぎる危険もあるわけですが
「さらに、最近の「質問ができない人が圧倒的に多い」という傾向も気にかかっています。あるプログラマーは、プログラムでわからないことがどうしても聞けない。どうでもいいようなちょっとしたことが先輩に聞けなくて出社できないという。僕だったら、新人なら恥も何もないから、聞いて学ばざるをえないと思うのに、聞けないし、答えを自分で探すこともできない。これは、自己愛が傷つくのに耐えられないということが大きいのだと思います」(大久保幸夫『新卒無、業。〜なぜ、彼らは就職しないのか〜』)
こと面接において、面接官から質問を受ける時間よりも自分が面接官に質問をしている時間のほうが長いという従来の面接にはない、倒錯した状況がまかり通っている私としては信じられない話ですが、確かに最近このような人は多いようですね。しかしそれとは逆に、私としては質問力とヒアリング能力を中核としたコミュニケーション能力を自分の強みとして訴えているのですが、しかし人材ビジネス業界ではそのような能力が求められている訳ではないのですよね〜(愚痴)。求められているのは・・・・
(ここで正気に戻る)おーっと、思わず脱線してしまいました。話を元に戻して、こ、これ「ピラトを高級視し過ぎる危険」は初めて聴きました。どのような事なのでしょうか??もし良かったら、もう少し説明していただけるとありがたいです。
>弟子の描き方、の一例としても、『最後の誘惑』は強くお薦めします。
とりあえず、つべこべ言わずに観ろ!と(笑)。ラジャー!!
「最悪だ」「悲惨だ」と言えるあいだは大丈夫。
本当の絶望の淵に立てば、
もう一切の言葉は出ない。
悲劇に酔うな、自分に甘えるな!
(前掲書)
と、自分自身に言い聞かせながら・・・
そういえば、藤沢はしょむしょむさんの住んでいらっしゃるところですね(お元気なのかなぁ)。
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愛の爆弾♪ 投稿者:もう一人@マッチポンプ 投稿日: 5月21日(金)06時48分13秒
おはようございます。何か昨日は、tcupのちょっとした反乱がありましたね。急に主人さんの掲示板に繋がらなくなった。もっとも、主人さんの掲示板だけではなくtcup全体であったようですが・・・(だからこそ反乱)。という訳で、遅ればせながら朝の投稿となりました。
>空さん
昨日の追伸です。
「今の仕事に不満がある」のは、
「今は仕事に就いている」から。
仕事がなくなったその日から、
「不満」は「不幸」に名を変える。
(野村正樹『今の仕事に満足していない人のための本』)
とのことです(笑)。いやはや全くもっともなことです。ただ、空さんの場合は満足/不満足というレベルの話ではないのだとは思いますが・・・何らかの参考にしていただけたら幸いです。くれぐれも私の煽り行為などは真に受けないでくださいね。いや、マッチポンプそのものの発言で恐縮なのですが・・・
>主人さん
こう見えても私はキリスト教について色々と自分で本を読んだり、教会に通ったり、賛美歌を歌って信じてもいない主を賛美したり、信者と喧嘩したり、牧師と論争をしたりしているのですが――映画の鑑賞力に差があるのは当然だとしても――、この分だと、キリスト教の教養に関しても主人さん方が私のそれを凌駕していそうですね。
>ですが、「キリスト者以外の人にキリスト教をもっと解って欲しいと思って作った訳ではなく」とまでは思いません。
ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!
間違えましたー。「訳ではなく」という訳ではなく「というよりは」でした。でも、仮に発信していたとしてもその効果や如何に?という気もします。あたかもエドワード・ズウイックが『ラストサムライ』を全世界に発信し、そのお陰で、私のようにサムライに対して安っぽい憧れを抱く愚か者が瞬間的に現れたとしても、決して永続的な効果は見込めないのと同じように。なぜなら現在のキリスト教にあのパッションのような「狂」の側面はおそらくほとんど看取できないからです。現代にサムライが存在していないのとほぼ同じ意味で、(カルト的なものを別にすれば)現在の世界宗教としてのキリスト教は市民社会の無害な道徳装置として機能しているに過ぎません。いや、もちろんこれは主人さんの推測が正しいという前提での話ですが・・・
>ぼくが重要視しているのは、史実追求の意味でのリアリズム、ではないんです。
芸術作品として、より説得力を持つための、便宜上の、演出としての、リアリズム(またはリアリティ)の問題です。
ありゃまこりゃま〜。やっぱりそうだったんですか。と言うのも「(自作に関しても)」と書かれていたので、それだと史実に関してのリアリズムの話とはどうも整合しないなと考えた時に、当然主人さんの言われている方かとも思ったのですが、しかしながら「もし実際に起こっていることがあると前提すれば」ですとか、或いは「美化」などという言葉が出てきたため、私としては「史実追及としてのリアリズム」の話をしているのかなと思ってしまったのです。なぜならこれらの言葉は、史実を前提とした上での、その距離による遠近を意識して初めて出てくる言葉だと思うからです。単純に芸術作品としての良し悪し(或いは面白さ面白くなさ)を言うのであれば、現実に起こっているかどうかを前提とする必要はありませんし、「これまでのものを「美化」と受け取らねばならなくなる」必要もないからです。
もっとも、主人さんも「これはぼくの書き方が悪かったかもしれません」とおっしゃっていますが、私のほうにも責任は当然あるということになります。私の場合、批評や評論或いはこのように分析交じりの感想に対しては、哀しいかな当然それらは論理的に書かれているものだと思ってしまうのです。やれやれ、マトリックスの時と全く同じパターンですね。ですから、私にとっての「命がけの飛躍」は、永遠の相の下に発生しているこの悪癖から如何に自由になれるかということでしょう(笑)。
>逆に、これまでのイエス映画(あるいは映画に限らず絵画でも何でも)の、今回のものに較べると控えめな描写を観て、こんなにキレイではない、と醒めていた人もいるでしょうし、今回のを見てしまったからには、今後昔のイエスものを観たらそう思ってしまう人も多いでしょう。こういう「批判的」鑑賞眼、には落とし穴が多い。一度ひっくり返したところで悦に入って思考停止してしまう人が多いからです。
いや、ですからこれは歴史的背景を前提にしているから起きる現象なのではないでしょうか。本当に映画を芸術作品(つまりフィクション)と捕らえているのであれば、この種の思考停止はあり得ないはずです。
編集済
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今日は湘南台で稽古でしたが、 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月21日(金)03時31分28秒
以前から気になっていた、
湘南・フジサワ古書まつり(神奈川県・藤沢市)
5月13日(木)〜 26日(水)
10:00〜20:00(最終日は17:00まで)
有隣堂藤沢店イベントホール
JR藤沢駅
に、寄ってみました。
すげえ小さい古本市で、あまりよくなかったです。
気になった本はやや高い本でしたが、収穫ゼロがくやしいので、
買ってしまいました。
どぐら綺譚 松本健一 1000円
永遠の良人 原久一郎訳 1000円
まあ旅行のお土産感覚ですね。後者は、中がひどいヤケですが表紙が(背表紙も)キレイなので、本棚の飾りにはいいな!
これで永遠の夫(良人)の訳は、千草、米川、神西、原(久)と4つ目です。
引越し騒ぎでサボっていて、ずいぶん後退してしまった演技、ここ数日かなり練習したので、今日の稽古はまあまあうまくやれました。あとひと月か!
主よ、わたしの思いどおりではなく、思いのままに…
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(続き) 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月20日(木)04時51分22秒
パッション鑑賞にあたり、ぼくの中には困ったことに、迫力を、イコールリアル、ととらえる安い感覚も、また煽りすぎ、と皮肉に構える安い感覚も存在したんです。
で、基本的には、受け手である自分側の問題として解決してしまってかまわないのですが、ひとつ、もしかしたら作り手側の責に当たるかもしれない、と思ったことを書きます。
それはイエスが激しい鞭打ちを受けたり、ゴルゴダまで移動する間にもひどく痛めつけられたりしていた時の、ピラトの腹心アベデナールの登場のタイミングです。
さんざん痛めつけられたあとになって登場し、それをとりあえずやめさせる。
これは、残酷描写を強調する演出を助けるための脚本上の演出、という意味合いがはっきり出すぎていて、いささか問題かと。
確かに現実には、そういうこともあり得ますが、どうも見ていてリアリティがない。これは、ピラトとその妻の心理描写を丁寧にし過ぎたために、目立ったアラかもしれません。全体的に荒唐無稽の勧善懲悪の演出だったら、気にならないんです。(いや〜マジメな作品って、ほんと損ですよね)。
念のためもう一度きちんと書こうと思いますが、ぼくが、
「またそれ以前に、もし実際に起こっていることがあると前提すれば、それは強烈に生々しく痛々しいものであるのか、そこまでではないのかという問題もあります。」
と書いたのは、史実の問題ではなく、飽くまで想像、イマジネーションとして、現実での経験に照らして、リアルっぽいかどうか、つまり面白く夢中で楽しめるか、を問題にしたかったからです。
表面的な作りとしては、それこそ「最後の誘惑」は、ずっと人工的な、また作家の頭の中の世界、という感じの強い作品です。しかし、史実はどうだったかは当然別としても、あの作品に登場する人間関係は、パッションのそれより、ぼくにとっては生々しく、血の通ったものに感じる、とこういうわけです。これはドストの現実観にもつながる問題です。
ににんがし、ではわりきれない、わけわからん人間のリアルさ、が、もうひとつあればもっとよかったなあ、という、そんな話です。しかしこれも、パッションが一定以上の、かなりぼくとしても思い入れの強い作品であるゆえの、期待のし過ぎ、ということであって、やはりこの映画は好きなものに入ります。
>通常、(今ではどうか知りませんが)高校なんかで習う世界史ではピラトはイエスの処刑を命令した張本人であるかのように記述されていますが、少しでも史実を知っている人の間ではピラトは実はイエスの処刑に否定的だったというのはおそらく常識の範疇ですからね。
加えて、逆に、ピラトを高級視し過ぎる危険もあるわけですが(そういえば、このことを10数年前にぼくに教えてくれたのは千街先生だったなあ)、そちらも行き過ぎていないところも魅力のひとつです。
>でも、「弟子たちやローマ兵、ユダヤ人などの描き方が、あまりに単純すぎる解釈で」とのことですが、だとしたらどうすればよかったんですかね。
弟子の描き方、の一例としても、『最後の誘惑』は強くお薦めします。
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その言葉が私には……『現実は小説にあるほどキタナくてミジメなものとは限らない』〜そんな希望をこめたものに感じられたのよ(『シャイ子と本の虫』) 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月20日(木)04時50分39秒
>空さん
>私にとっての「命がけの飛躍」とは仕事を辞めることかな
いや〜これは笑えません(笑)。ほんとにそうでしょう。そしてまた、今回の話の流れで考えても、これまでの書き込みを見ていても、これしかない(By篠沢教授)という感じさえしますね。
しかし親の存在というのは、ほんとに重いですよね。ぼくも、結局とても重要なしばりを両親から与えられています。それから逃れるには、ぼくの場合、日本脱出しか考え付きません。しかしこれも出来ないので、なんとか親の呪縛から、ここにいてかろうじて重大部分だけでも逃れ得るような、そんな工夫を小手先でやっているのだという気がします。
自分の生れの運命を変えられないのなら、せめてつらいことと同時にあたえられている有効な部分を、活用していき、同時になんとか問題部分への直撃を避けて被害を最小限にすることしかない。
片方だけではとても乗り越えられません。
しかしそれにしても確かに年収500万、はでかいですよね。ぼくもここにきて、異様にお金が欲しいです。
>もう一人さん リハビリに最適のレスをありがとうございます。これで、リハビリリハビリすすむくん♪です。
>あぁ、なるほど、そうお感じになったのですか。
>むしろいわゆるキリスト教信者を意識して作ったということですよね。
そうです。ですが、「キリスト者以外の人にキリスト教をもっと解って欲しいと思って作った訳ではなく」とまでは思いません。ユルい宣教パンフ的な多くの作品を見て、あるいはユルい消費者クリスチャンの言動を見て、キリスト教がとても偽善的で信用ならないものだと早合点し、キリスト者にならないでいる人も、とくに日本などの周辺国では多く存在すると思います。キリスト者に宛てると同時に、そんなアンチクリスチャンに発信しているようにも思えます。
イエスの時代から、キリスト教では、異邦人に多く期待しているようですしね。
>でも正直に言って、この手のものはリアリズム云々の話というよりは歴史的イマジネーションの問題なので、あまりリアリティがあるかどうかを議論しても意味がないような気がします。
これはぼくの書き方が悪かったかもしれません。ぼくが重要視しているのは、史実追求の意味でのリアリズム、ではないんです。この切り口で言えば、おっしゃる通りで、僕自身もまったく同感です。
芸術作品として、より説得力を持つための、便宜上の、演出としての、リアリズム(またはリアリティ)の問題です。もっとも単純に言い為せば、しらけるかどうか、の問題ですね。言葉を変えれば、末梢的テイスト・ムードなどを超えたところで、深いレベルで感動できるか、ということです。
しらけるかどうか、には、作り手の問題だけではなく、場合によっては受け手の問題もあると思うんです。まさにイマジネーションの問題ですね。今回の残虐描写を、やり過ぎ、ととらえて醒めたり不快に思って鑑賞に影がさしたりした人も多いと思うんです。だとしたら、それは作り手の勇み足なのかどうか。こういうことは、考えても意味はあるし、不可能ではないと思うんです。
逆に、これまでのイエス映画(あるいは映画に限らず絵画でも何でも)の、今回のものに較べると控えめな描写を観て、こんなにキレイではない、と醒めていた人もいるでしょうし、今回のを見てしまったからには、今後昔のイエスものを観たらそう思ってしまう人も多いでしょう。こういう「批判的」鑑賞眼、には落とし穴が多い。一度ひっくり返したところで悦に入って思考停止してしまう人が多いからです。(続く)
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千街晶之『水面の星座 水底の宝石』(光文社)第4回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)第57回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)ダブル受賞決定! 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月20日(木)02時56分51秒
常連の方はご存知と思いますが、千街先生とは幼馴染みです。
あの本の内容を考えると当然のような気もするけど、その当然の報いの仕合せというものが、
なかなかこないこの浮世だから、やはりめでたいし、うれしいですね。
ミステリファンはもちろん、文学・芸術評論に興味のある方にもお薦めです。
http://www.mystery-z.com/mn/3/040513.htm
http://www.asahi.com/culture/update/0519/010.html
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子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか(ヨハネの手紙? 3・18 日本国際ギデオン協会訳) 投稿者:もう一人 投稿日: 5月20日(木)01時02分45秒
とりあえず、リハビリとのことですので、私も得意の過剰反応をしない程度に・・・
>主人さん
とうとう観てしまったのですね『パッション』を。私が軽く制止をしておいたというのに(笑)。
>全編から深く感じた製作者の意図、というのは、キリスト教をあたりまえにカルク信仰している一般の信者、やや消費者・鑑賞者としての色の強い信者さんに、あれ(キリストの受難)は、どういったことなのか、「体感」して欲しい、知ってるつもり、でなく深く体で理解して欲しい、というようなものに感じました。
あぁ、なるほど、そうお感じになったのですか。確かにクリスチャン以外の人間が、あの「暴力性」を目の当たりにしたとしても「こんな過酷な受難に耐えたイエスはなんて素晴らしいんだ!」などとはあまり思わないでしょうし、この映画により急激にキリスト教に興味を持つ人が増えるとも考えられませんので、そのような意味では、キリスト者以外の人にキリスト教をもっと解って欲しいと思って作った訳ではなく(そのようなつもりならもっとヤサシサを全面に出したものにするだろうな、おそらく)、むしろいわゆるキリスト教信者を意識して作ったということですよね。
>ぼくの中では、この種類のリアリズムが、(自作に関しても)以前からずっと重大な問題なので、その点からも、この映画は面白かったです。
つまり、リアリズムの断層の問題ですよね。でも正直に言って、この手のものはリアリズム云々の話というよりは歴史的イマジネーションの問題なので、あまりリアリティがあるかどうかを議論しても意味がないような気がします。意味が無いというより端的に不可能だと思います。ローマ法王が「史実に忠実だ」と言ったとか言っていないとかで揉めている人たちもいるみたいですが、なにー言ってんだか、と私なんかは思ってしまいますね。もっともそういった議論が好きな人たちにとっては、それはそれで意味があるのでしょうが、それは単なる主観的な自己満足の話であってリアリティとは何の関係もありませんよね。
ですから、主人さんのおっしゃる「まあこれは、製作者側にとっては「そこがそう描きたかったんだ〜!」というところでしょうし・・・」というのが正しい、いや、少なくとも間違っていない見方であって(つまり誰の視点で見るかにすぎないということ)、その限りでそれが巧く或いは面白く作られているかどうかという話になるでしょう。
で、実際に巧く作られていたかというと、私もピラトの描きかたはかなり公平で良かったと思いました。通常、(今ではどうか知りませんが)高校なんかで習う世界史ではピラトはイエスの処刑を命令した張本人であるかのように記述されていますが、少しでも史実を知っている人の間ではピラトは実はイエスの処刑に否定的だったというのはおそらく常識の範疇ですからね。でも、「弟子たちやローマ兵、ユダヤ人などの描き方が、あまりに単純すぎる解釈で」とのことですが、だとしたらどうすればよかったんですかね。私の貧困な想像力によると、嘆息とは無縁で、あれ位がほんとうの様に思えてしまうのですが・・・
>彼は、状況の変化や相手に合わせて(流れに添う形で合わせることもあれば、逆に逆立てる方向に合わせることもある)、自らの歩みを変化させていきます。
この時代はその人の人柄とその人の説く思想とが未分化の幸せな時代でもあったのです。
ところで、アクションは確かに面白そうですね。個人的には神童のさそうあきらに期待しています。
>空さん
本当に、日々愚痴りたい事だらけのようですね。いや、私もそうですけどね(笑)。でも、人間暗いときは暗いし、明るい時はミョーに明るいし、不思議なものですね。
ところで、できれば仕事をお辞めになりたいとの事ですが、第一コリント(10・13)にこんなことが書かれています(もしかしてご存知かもしれませんが)。
「あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練と共に、脱出の道も備えてくださいます」
クリスチャンならぬ私としては脱出の道とはすなわち退職の道であると単純に思ってしまいますが、実際にはどうなんでしょうね(笑)。まあ、一つだけ確かなことは、仕事辞めても死ぬ訳じゃないし・・・(もしかして自分自身に言い聞かせている可能性大有り)
でも、年収500万だと確かに迷いますねぇ・・・
編集済
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娘が母のところでちょっとやけどしただけで私がパニックになり薬を4倍飲んでしまった 投稿者:空 投稿日: 5月19日(水)22時05分17秒
>主人さん
久々の「主」登場ですね。すっかり落ち着いて生活できるにはまだまだ時間がかかりそうですね。自分の使いやすい場所などに物がしっくり落ち着くのは、自分でしかできないですものね。うちのように夫婦で暮らしていると、場所の取り合い、考え方の違いによる配置の違いなどで私が一方的に怒られています(笑)。さらに生活となると新聞の片づけから洗い物から洗濯物の干し方まで彼のやり方は私が気に入らない。それでけんかをしないようにするのは大変です。けんかをしてしまうという手もありますが、仲直りほどむなしい(結局根本的な解決にならないことがほとんど)ものはないしね。
愚痴を書いてしまいました。これからの結婚生活にでも役立ててください。
私にとっての「命がけの飛躍」とは仕事を辞めることかな(そこ、笑わない!)幼い頃より働くことが当たり前というふうに育てられ、女性が一生働くには公務員が一番と母に言われ、そのとおりになっています。先日も「たとえ離婚はしても仕事は辞めるな」という格言を母からいただいたばかりで…。おまけに男女共同参画を仕事として半年前までやっていたのでもはや私のアイデンティティになっているようです。ところが、不安神経症で仕事に行くのがつらくなり、最近は毎朝パニック状態で何とか薬を多めに飲んで無理やり仕事に行き、職場でもずっとつらくて、薬をさらに飲み、落ち着かなくて机を叩き続けたりすることもあり、ヤバい状況。こんな私に療養休暇を母は勧めますが、昨年2ヶ月取っても効果がなかった。夫は休職を勧めるが、私は一度休職したらもう戻れない気がするのでいっそのこと辞めてしまいたい。しかし、お給料がねぇ。今は「1年がんばれば500万(空の年収)、2年がんばれば1千万」を呪文のように繰り返しています。
あー、だめだ!今日は暗い!!すみません。
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続き 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月19日(水)13時46分43秒
>空さんもう一人さん 肌の方はひどく悪化せず、うまく治まってきました。ご心配ありがとうございます。
>今の自分を変えたくなければ常に変わり続けなければならないという逆説的な考えがありますが、それはそれで正しい精神的な態度だと思いますし、それに、たとえ自分を変えたくなくても、状況の変化という大義名分により、もしかして人間は否応なく変わってしまうものなのかもしません。或いは本当に自分を変えたければ、それよりさらに一段階上の「命がけの飛躍」が要求されるとも言えましょう。重要なのは、自身の中で変えてよいものと変えてはならないものを如何に見分けるかということだと思います。
いや、まったくそうですね。新生活を準備するに当たり、ここしばらくはこのあたり、ひどくリアルな問題です。
首尾一貫、に関しては、ちょうど福音書におけるイエスの行動・発言の変容、というのは考える際のよいサンプルになるかもしれません。
彼は、状況の変化や相手に合わせて(流れに添う形で合わせることもあれば、逆に逆立てる方向に合わせることもある)、自らの歩みを変化させていきます。また、題に挙げたゲッセマネでの祈りのように、人間としてのリアルと「人の子」としてのリアルが、一つ一つの言葉を切り取ってみれば分裂、乖離しています。しかしそれでもなお、だからこその首尾一貫性は感じますし、だからといって、どんな人の場合でも葛藤や分裂・変化が、それにも関わらず首尾一貫しているとは限りません。
新生活の僕は、どのようになっていくのでしょうか。
能力と運の底力を備えていれば、きっとうまく導かれるのでしょう。
また、ちょこちょこを書き込むようにします。今日の午後の部はこれにて。
そういえば、新生漫画アクションは、なかなか骨のある面白い雑誌になっています。
http://www.futabasha.co.jp/action/ac.html
編集済
http://www.excite.co.jp/book/news/story?channel=0002&code=00021064854417
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もしできることでしたら、どうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままになさってください(マタイ26.36 日本聖書協会1955年改訳版) 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月19日(水)13時37分38秒
片付けも大方の配置は終了したものの、それだからこその長期戦の段階に入り、すなわち、細かいところを整理していかねば先に進まない状態となり、見た目には膠着状態と化し、なかなか気分的に落ち着かない日々が続いていますが、なにしろ新しく広い家での生活はやはりいいです。
片付けの他にもやるべきことなどさまざまありまして、なかなか落ち着いてパソコンの前にも坐れません。長く休んでしまったせいもありますが、書き始めるまでにも、書いている間にも、ふだんよりとても時間がかかりますね〜。
特に、レス(会話)は難しい!リハビリに投げ込み形式で始めます。(もちろんこれも、会話にまではならずとも、「反応」くらいにはなるようにとの意識はあります)。
というわけで、とりあえず、これもまたやりたくてやるべきことの大いなるひとつ、映画『パッション』鑑賞を昨日果たしてまいりました。
場所は新宿南口タカシマヤ12階。お台場の映画館と似ていて(これが最新の映画館デザインなんでしょうか)、画面はでかく、前の席との高低差も大きく、たいへん堪能しやすい環境での鑑賞でした。4時20分からの回でしたが、客層は、あまりよくなくて、冒頭集中するのにやや努力と忍耐が要求されました。しかし、内容柄、主人公イエスに感情移入するにはそれがとてもよかったですね(苦笑)。
う〜ん…かなりよかったです。イエスもの映画では、そうですね、第1位である『最後の誘惑』に引続き第2位なしの第3位、といった感じでしょうか。予想以上にシンプルな映画でした。
ぼくの認識の限りでは、現在における聖書解釈の王道、というか定説、をしっかり踏まえていて、渋いこだわりを全体に感じました。全編から深く感じた製作者の意図、というのは、キリスト教をあたりまえにカルク信仰している一般の信者、やや消費者・鑑賞者としての色の強い信者さんに、あれ(キリストの受難)は、どういったことなのか、「体感」して欲しい、知ってるつもり、でなく深く体で理解して欲しい、というようなものに感じました。
絵画史的に言うと、東方正教会系の「イコン」とはまったく異なる方向に発達発展した、カトリック系のリアリズム残酷巨大絵画を思わせました。
映画冒頭とラストに示された、映画製作会社の名が、ICONだったので、えらく不思議な感じがしたんですが、この会社は「アイコン」と読むみたいですね。監督メル・ギブソンとプロデューサーの人が共同設立したプロダクションだそうです。
ぼくの中では、この種類のリアリズムが、(自作に関しても)以前からずっと重大な問題なので、その点からも、この映画は面白かったです。
強調されたリアリティをリアリズムと呼ぶべきかどうか、またそれ以前に、もし実際に起こっていることがあると前提すれば、それは強烈に生々しく痛々しいものであるのか、そこまでではないのかという問題もあります。前者だとすれば、今回の映画の演出を「強調されたリアリティ」とは呼べなくなり、これまでのものを「美化」と受け取らねばならなくなる。
強いて言えば、まあこれは、製作者側にとっては「そこがそう描きたかったんだ〜!」というところでしょうし、これはこれであっておいていいかも、とはぼくも認めているところですが、弟子たちやローマ兵、ユダヤ人などの描き方が、あまりに単純すぎる解釈で、いささかチープな劇に思えたのは残念だったかもしれません。でもこのくらいがほんとうなのかもしれませんよね(嘆息)。
ピラトの解釈はほどほどでバランスよかったと思います。
編集済
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方法としての自己破壊。君の名は、古本 投稿者:もう一人 投稿日: 5月18日(火)22時30分27秒
何かこんなにもしょっちゅう書き込みばかりしていると、空さんほど理性的ではなくさらに自意識過剰な私としては、一体ここの掲示板の主人は私なのではないだろうかという悲痛な幻想を晴らすことができません。
さて、本日も午後一で箸にも棒にも掛からない面接を受けた後に、おカミの思し召しにより聖地である神保町をふらついてきたのですが、いや〜キてますねぇ、相変わらず。以下に詳細(解説つき)をご報告いたします。
夏目漱石『文芸の哲学的基礎』(200円)・・・ゲッツ!。高橋保行『ロシア精神の源』(200円)・・・どういう訳だか高橋先生の本は絶版が多い。『神と悪魔』くらい面白ければ嬉しい。瀬木慎一『名画修復』(250円)・・・絵画は苦手なのですが、ついつい自動的に買ってしまった。田中千穂子『ひきこもりの家族関係』(100円)・・・引きこもり関係の本ということでこれも自動的に。日垣隆『裁判官に気をつけろ!』(500円)・・・何故かこの人の本は古本で買うことが多い。何故だろう。櫻田淳『国家の役割とは何か』(300円)・・・決して『弱者という呪縛』が面白かったからではなく、人間学アカデミーの出身の本だからという理由により。松本健一『ドストエフスキイと日本人』(300円)・・・当然、前述した本は全て美本ですが、本書もカバー、帯、中身、は美しい。しかも笑えることに売上伝票までついているというスグレモノ。ただ一箇所、残念なことに天井部分が汚い。天井が綺麗なことが一番重要である!という天井フェチ以外の方に、抽選でプレゼント致します。最後にリーマン本を少々(但し詳細は面倒なので省略)『サラリーマン悪い奴だけが生き残る』『サラリーマンよ悪意を抱け』『サラリーマン犯罪図鑑』『サラリーマン絶体絶命賃金崩壊』『サラリーマンは永遠に不滅です』
ところで古本によって身を持ち崩し、都会の片隅でボロクズのようになって死んだ人なんてのは、果たしているのでしょうか・・・。もしいたとすれば、それこそ豊かな近代が生んだサイコーの病理と言えるであろう。
>空さん
>そんな空の好きなものは読書と天体観測というところでしょうか。
じゃあ、いつかお会いしたときには、是非宇宙人を見たときの話を聞かせてください(笑)。
また、ラストサムライも是非ご覧ください。かぶれること請け合いです。
アンジャッシュは、以前フジテレビで放送されていた、深夜とゴールデンを行き来していたお茶目なお笑い番組(名前は度忘れ)に出ていたのですが、その頃から私もなかなかいいなと思っていました。
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「常識」「普通」について、そして変わるということ、変わらないということ 投稿者:空 投稿日: 5月18日(火)16時37分7秒
>もう一人さん
「身を乗り出したくなるような良い問い掛けをしてくれるんですよねぇ」
やったぜ!もう一人さんにこう言わせたぞ!ほんと、嬉しいです。
さすがに遅い時間の書き込み、次の日の午前中はほとんど寝ながら子どもの相手をしていました(笑)。これというのも、夫が最近チャットにはまっていてパソコンがあかないせいだ!(笑)今日は生理休暇を取ってぐっすり休んだ後、書き込みをしています。
それにしても「マトモな社会人意識」ってヤツは何なんだろうね(あ、同じものをさしているかどうかわかりませんが「常識」とか「普通」とかいうヤツです)。私には私の考え方や感じ方があるのにずかずかと入り込んで押し付けてきて無理やり仲間にさせようとする。思えば、小学校時代から私は自分の「やるべきこと」と「やりたいこと」以外はどうでもよくて、例えば歌番組(当時の女の子たちの「常識」)を全く見なかったので、やたらと友達に「見なよー」と押し付けられ閉口していたなぁ。大人になって歌番組がニュースや新聞(女性だとグルメ・ファッション・かっこいい芸能人も)などになっただけじゃないの?と思っているのですが。(ちなみに夫は「社会的常識」そのもののような人で朝日新聞とニュースステーションな人です。一番苦手な人と結婚しちゃったよ。)そんな空の好きなものは読書と天体観測というところでしょうか。どちらもたいしたレベルじゃないですが。今、彗星が来ているので天体望遠鏡(全くの初心者。子どもの頃からの夢をかなえてやっと買った)でぜひ観測しようと思っていますが天気が…。
話が横道にそれました。でも脱線好き(自分のも人のも)なもので。変わるということ、変わらないということ―ずーっと意地張って変えずにいたものは「素直であること」(こんだけひねくれてて?でもだからこそ守ってこられた)、「それは自分の考えなのか常に検証すること」、「やるべきことでもやりたいことでもなければやらないこと」「プライドのある意地っ張りであること」「子どもらしさを忘れず、知的好奇心旺盛であること」(子どもと遊ぶときも、大人として遊ぶというよりは、一緒に子ども感覚で楽しんじゃう!)というところかな。これらは本当に必死で守らないと守りきれなかったって感じですね、「常識」や「世間一般」から。
そんな私に足りないのは「突っ張るときと、そうではなく妥協してもいいもの、それとのバランスをとること」でしょうね(笑)。現実生活では妥協しまくりですが(それで結構傷つく)、心の中まではなかなか妥協できないですね。「妥協していいものはうまく妥協する」ということができたら楽になれるかな。でも「妥協していいもの」を見分けるのって難しい…。
「ラストサムライ」父がDVDを買いました。今度借りようと思っています。
「エンタの神様」はもともと妹が見ていて、父に勧め、私が父から勧められ、今は夫と毎週楽しみにしている唯一の番組です。アンジャッシュ・インパルス・陣内とものり(字忘れた)・青木さやかが好きです。
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おうちでおしごと 投稿者:mi- 投稿日: 5月17日(月)08時54分33秒
こんにちは。突然失礼いたします。
自宅からできるお仕事で5万円から10万円の副収入にご興味のある方はいらっしゃいませんか。
わたしは母子家庭で解雇病気更にまた失業と、そんな中でこのお仕事に出会い、とても助かりました。
今は子供との時間を多く持ちつつ働く事ができてとても助かっています。欧米で既に10年成功を収めている新システム導入により更にやりやすくなりました。HPをご覧ください。www.yourreallife.bz
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読み流してください 投稿者:820 投稿日: 5月17日(月)02時01分15秒
ここのところ、ネット上でも、仕事先でも、人を傷つけ、傷つけられ、
自分の全ての行いが偽善に思えて、何をやっても空回りするばかり。
胡蝶社掲示板ではたくさんの方にお世話になりました。
特に胡蝶さんには、たくさんご迷惑をおかけしました。
皆さん元気でがんばってください。
それでは。
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デーモンとの闘争 投稿者:もう一人 投稿日: 5月16日(日)22時13分11秒
>主人さん
ゴミ埋立地の上で太鼓を叩くって、なんかいいですね・・・(いや、いいのか?(笑))
でも、「鋼鉄のガード」は看板に偽りありでしょう。
見かけは鋼鉄でも我々の場合は基盤そのものが脆弱なんですから、当然へなちょこパンチもガードできないという寸法です。
そんな訳で、本当に「デーモンとの闘争」という季節に突入してまいりましたが、ま、お互い負けずに頑張りましょう(く・る・し・い・笑い)。
ところで、私も「エンタの神様」はたまに観ています。
下らなくて、面白いところがイイ。
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変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を我に与え給え 投稿者:もう一人 投稿日: 5月16日(日)21時56分28秒
精神的に追い詰められているなどと嘯きながらも、何か空さんにノセられて、身を乗り出すように書き込みをしている自分がいたりします。いや、お世辞でもなんでもなく、本当に空さんの書き込みは、身を乗り出したくなるような良い問い掛けをしてくれるんですよねぇ・・・(なぁんて、人のせいにしてはいけませんね。なぜならそれこそブシドーに反する行為だからです(笑)。「私」がそれを望んでいるということでしょうか)。
>空さん
それにしても、2夜連続でずいぶん遅い時間帯の書き込みということで、睡眠時間が後退しているようですがお体大丈夫ですか?それとも覚醒時間の方が前進しているということなのでしょうかね(笑)。いずれにしても、あまり無理はしないでくださいね。。
一貫性と矛盾に関する話は、この辺で一応の幕引きという感じになりましょうか。それとも、主人さんが必殺の遅れてきた現代の預言者を装い、天空より真打として登場してくれるのかなぁ。ちょっと怖いような、楽しみなような。
>考えてみたのですが、私は中学の頃、高校の頃、大学生の頃、今現在とかなり考え方が変わってきています。中学の頃は安手の漫画の正義感あふれる真面目な女の子、高校の頃は友達の少ない、その分「考え事」の習慣がつき始めた頃、大学時代は「考え事」の習慣がどんどん進んできた時期、そして今は現実や昔の理想の生き方とのずれで、精神的に崩壊して神経科に通っている時期です。
私も似たような道を歩んできているとも言えます。中学校の頃はサッカーが大好きで、将来本気でプロになれると思っていた能天気で愚かな男の子。高校の頃は今とは違ってマコーレ・カルキンにかなり似ていて、友達はほとんどいない、その分「読書」の習慣がつき始めた頃。大学時代は「読書」の習慣がどんどん進んできた時期。そして今は現実や昔の理想の生き方とのずれで、マトモな社会人意識が崩壊して公共職業安定所(ハローワーク)に通っている時期です。(笑えねぇ)
>そんな中で考え方、ものの捕らえ方も随分と変わりました。矛盾も起きています。もしかしてこれは「首尾一貫性」のない方なのかな。
そんなことはないと思います。例えば、今の自分を変えたくなければ常に変わり続けなければならないという逆説的な考えがありますが、それはそれで正しい精神的な態度だと思いますし、それに、たとえ自分を変えたくなくても、状況の変化という大義名分により、もしかして人間は否応なく変わってしまうものなのかもしません。或いは本当に自分を変えたければ、それよりさらに一段階上の「命がけの飛躍」が要求されるとも言えましょう。重要なのは、自身の中で変えてよいものと変えてはならないものを如何に見分けるかということだと思います。
知り合いでキャンペンガールなんぞをやっている破廉恥なおっさんは、自身の言論活動をする上で、「これは絶対に曲げられない!」と突っ張るときと、そうではなく妥協してもいいもの、それとのバランスをとることが重要だと常々言っています。一見当たり前のようにも感じますが、もしそれを本当に実践するとしたらかなりの精神的な強さを要求される行為であります。そのような意味でこれは、言論活動の一貫性においても、物語的な連続体としての人間の生き様の一貫性というものにおいても、基本的には同じだと思います。
そう考えると、何かを変えるという事は、殊更否定されるべきものではないと考えます。ただし、意識的にであれ無意識的にであれ、何かを変えるという段においては、それなりの総括は必要でしょう。周囲に大言壮語をしたのにもかかわらず、変えざるを得ないなどという場合は尚更です。何も無かったかのように涼しげな顔をしているような人が、一貫性を死守できなかった人と比べて一番タチが悪い。いくら有能でも、そのような人はインテグリティ(誠実さ)という意味で、実存者としては合理的な疑いを取り除くことができません。
と、自分自身を省みることなく、調子に乗って何やら日ごろの恨み辛みを恥知らずにも書き込んでしまいました(苦笑)。が、私の場合は、常日頃の言動の不一致により、幸か不幸か客観的には精神的な病気という形では認定されずに、精神よりも先に皮膚の方が崩壊してくれたのでした(不幸にもそれも幸だと考えつくす)。
それはともかく、話がリンクしているということもあり、この勢いで、予告しておいた変身物語の話もしてしまおうかとも一瞬思いましたが、あたかも精神的露出狂のようにここで何もかも話してしまうというのも気持ちが悪いので、やはりそれは機会があったらまた後日ということにさせていただきます。
そういえば、傑作『ラストサムライ』も、自分の過去に苦悩する主人公がサムライと出会ったことにより変わっていくという、やはりある種の変身物語と言えなくもありません。
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レス 投稿者:空 投稿日: 5月16日(日)03時44分0秒
>もう一人さん(サムライさん)
さっそくのご回答ありがとうございます。勉強になりました。でもこれを実感として「自分のもの」にするのには時間がかかるかもしれません。でもそういうの好きです。
考えてみたのですが、私は中学の頃、高校の頃、大学生の頃、今現在とかなり考え方が変わってきています。中学の頃は安手の漫画の正義感あふれる真面目な女の子、高校の頃は友達の少ない、その分「考え事」の習慣がつき始めた頃、大学時代は「考え事」の習慣がどんどん進んできた時期、そして今は現実や昔の理想の生き方とのずれで、精神的に崩壊して神経科に通っている時期です。そんな中で考え方、ものの捕らえ方も随分と変わりました。矛盾も起きています。もしかしてこれは「首尾一貫性」のない方なのかな。
主張と言動の不一致はしょっちゅうです(気の弱さも原因なのですが)。これも「精神崩壊」の原因の1つみたいと自分では思います。
「手段としての学問により積み上げられてきた歴史的な知見は、もはやそのような観念を許容し得ない病的なところまで進行してしまっています」そうなんですか。悲しいです。
「それにしても、空さんは今は「議論をしたい!」という欲求が非常に高まっているということなのでしょうか」
「議論」という言葉について認識のずれがあるかもしれませんので補足します。ここでのある程度内容のあるかるいおしゃべりでも十分「議論」です。なぜそんな認識になったのかというと、職場の友人たちと話しているとちょっと内容のある話を始めると「議論」と捕らえられ避けられてしまったからです。そのうち「あぁ、こういうの『議論』ていうんだ、一般的には」とかなしく思うようになったのです。
ですので、かるーくおしゃべりにつきあってくださるだけでも癒されます、私はね。大体本格的な議論をするには哲学・宗教・倫理等全く勉強したことがない(授業も取らなければ本も読んだことない)ので、まだまだ無理です。私にできるのは自分の「考え事」に基づくものを書くくらいです。(おまけに生理になってしまって今現在議論できない状態。無理すると無茶苦茶書く)
「>何かあるような気がするのですよね、そういうものが。学校で勉強したりするときにちらっと見えるように感じることがあったものですから。
逆にご質問させていただきたいのですが、これは何か、抽象的なものではない具体的な経験がおありなのでしょうか。差し支えなければ、教えてください」
抽象的なものです。学校で先生が授業で教えていても、数式、教科書に書いてあること、先生が教えようとしていることの背後に何かとてつもないものを感じたのです。先生、私先生の意図していること以上のこと学んだよ、といいたい感じです。
>主人さん
主人さんは太鼓も叩かれるのですね。炎症早く治まるとよいですね。ひどいようならお医者さんに行って下さい。
最近「エンタの神様」というお笑い番組にはまっています。若手お笑い芸人が毎回違った顔ぶれで出演するのですが(常連もいる)、マギー審司さんも何回か出ていました。お師匠さんの流れを汲んでいるなぁと感じます。
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鋼鉄のガードを打ち抜くパンチ 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月16日(日)01時24分21秒
今日は阿波踊りの遠征で多摩日の出町まで。
*下のリンクから「多摩環境フェスティバル」のページをご参照下さい。
谷戸沢処分場という山奥のゴミ埋立地の上で、真昼間かんかん照りの中、太鼓を叩いてきました。
晴れそうだったのでしっかり日焼け止めを塗ってガードしていたのですが、それでもなお、ひどく焼けて赤く炎症になってしまいました。塗ってなかったら、と思うとぞっとしますorぞっとしませんね。
明日はゆっくりできるので、今夜もとりあえずの報告のみにさせていただきます。
夕方阿波踊り解散後、吉祥寺に使い捨てコンタクトを買いに出ましたが、ちょっと探していたツヴァイクの『デーモンとの闘争』を見つけて、ちょっときたなかったけど安かったし(きたなさを考えると高いけど)買ってしまいました。帰りの電車で前書き読んだのですが、えらく燃えた。いい文章だなや〜。もちろん『贖罪』にも『ネオファウスト博士』にも直結の内容で、漫画執筆欲は高まります。
ほいでは明日!
追加:マギー審司ショー、5分だけ観たけど、ちょっと面白かった。
フリーマーケットでは350円で体重計を買った。
編集済
http://www.tokyo-shobunkumiai.com/
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ダイモーンの声を聴く〜考えることの愉悦〜 投稿者:もう一人@ラストサムライ 投稿日: 5月15日(土)23時32分7秒
いやー、やっぱりラストサムライはいつなんどき観てもイイですね!この目くるめく顔面力!!素晴らしいー。・・・が、「サムライは矛盾が多い」(ラストサムライ)とのこと。およよよよ・・・
>空さん
早速のレスありがとうございます。別にスベっていた訳ではなくて、私が強引にスベらせたようなものです(笑)。
>だからわからないことは聞いてしまおうと思いますのでご迷惑かとは思いますが書きます(嫌だったら流してください)。
ただ、読み返してみて気づいたのですが、昨日の書き方だと何か空さんにレスを返すのを嫌がっていると取れなくもありませんね。もしそう感じたのならごめんなさい。私のあのようなスタイルでの書き込みは、少なくともこの界隈ではもはや周囲の深い諦めを経て半ば公認されているものだと早合点していたのですが、そこは違いのわからない男ということで、やはり思慮が浅かったのかもしれません。お詫びとして、本日は特別にサムライになったつもりで書き込みをしてみます(できるのかこの俺に・・・)。
さて、それで、論理的整合性と首尾一貫性の違いとの事ですよね。よりわかりやすくするために例を挙げてご説明します。例えば一冊の本を書くことを想定してみてください。その内容は物語、ではなく哲学書やら評論のような本来論理的に書き進めていくべきとされているものとします。
通常、論理的に何かを主張するというときにみられる文章の構造は、例えば主張A→主張B→主張C→・・・ときて=結論。というようになっているかと思いますが、論理的に整合していない(=論理的整合性がない)という場合は例えばこの主張Aと主張Bとの間で矛盾があるということです。
それに対して、首尾一貫性がないというのは、まれに上記のようなことを指して言う場合もあるのですが、どちらかというと殆ど、例えば前回の本と違った新しい本を書くといった場合に、前回の本の内容で主張されたものと、今度書く本の内容の主張との間に矛盾があるという状態を指していう表現です。その他には、何らかの主張とそれに対しての行動との乖離を指して、「言動が首尾一貫していない」とも言いますよね。
私のイメージでいえば整合性は空間的なものに近く、一貫性は時間的なものに近いと言えるかもしれません。あくまでイメージですが。
このような感じで如何でしょう。
それから「本当のこと」(真実)が、「宇宙に住む私たちのあらゆることを解き明かす解答というイメージ」を意味しているのであれば、その言葉がどのようなものであろうと、実はさしたる違いはないのです。問題とされているのはむしろその「観念」なのですから。もちろん昨日も書きましたように、個人的なレベルではそういった観念は完璧に共感できます。それはプラトン以来およそ大多数の不完全かつ有限な存在である人間が共有してきた観念でありましょうし、真に人間が原理の真空地帯に耐えられない存在なのであれば、そのようなものは否応なく持ってしまうものなのかもしれません。
しかしながら、手段としての学問により積み上げられてきた歴史的な知見は、もはやそのような観念を許容し得ない病的なところまで進行してしまっています。それに、その不可逆的な時代の流れに先鞭をつけた超人などは、そのような「確実なもの」を求める心性こそが弱者のルサンチマン(怨念)であるなどと酷いことを言ったりしています(笑)。もっとも、これは笑えないことに、そのような人は終には独りでに狂っていくしかなかったという歴史的事実が、逆に、やはり人間は原理の真空地帯に耐えられるほど強靭ではないということを物語っているような気もします。
>何かあるような気がするのですよね、そういうものが。学校で勉強したりするときにちらっと見えるように感じることがあったものですから。
逆にご質問させていただきたいのですが、これは何か、抽象的なものではない具体的な経験がおありなのでしょうか。差し支えなければ、教えてください。
それにしても、空さんは今は「議論をしたい!」という欲求が非常に高まっているということなのでしょうか・・・。もしそうなのであれば、私の能力の及ぶ範囲内でお役に立てればとも思いますが、現在の私自身の実存的な状況が本格的に極相を迎えているということで、実はこう見えてもかなり精神的に追い詰められていたりします(笑)。最近はもっぱら空元気が専門です。そのような訳ですので、時にはもしかしてレスが遅れたりすることもあるかもしれませんが、その際は何卒ご容赦ください(しかしながら、このような実存の真空地帯もおそらく早晩終わりを告げることになるであろう)。
始まりがあるものにはすべて終わりがある
編集済
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(無題) 投稿者:空 投稿日: 5月15日(土)03時16分49秒
>もう一人さん
危惧していたようにスベッたみたいですね、私。まぁ、もともともう一人さんとお話しするのは私にとっては「背伸び」(これが成長に効果があると信じている)のようなもので、このようなことは覚悟の上なのですが。
とにかく人と議論をしたことがあまりなく(男の子は苦手で、女の子はファッションやおいしいお店やテレビのかっこいい人の話しばっかでつまんない、という偏見のせい)、「議論初心者マーク」というより教習所レベルです。また、本も物語を中心に読んできて、後は実生活で感じることを元に自己流に「考え事」をするという感じでした(ちなみに「交際相手としては決して愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。」というのは実生活から私自身も考え出したことです)だからわからないことは聞いてしまおうと思いますのでご迷惑かとは思いますが書きます(嫌だったら流してください)。
基本的なことなのですが、首尾一貫性と論理的整合性の意味を説明してくださるとうれしいです(あー、恥ずかしい、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥)。
「本当のこと」(真実)の補足説明をさせてください。これは私の半ば宗教観に近いものなのですが、この世界(宇宙レベル)には本当のことがあって、それに近づくために様々な学問や宗教、思想などが「手段」として存在しているのではないか、と学生生活を通して感じたのです。本当は「真実」という言葉はあまり使いたくない(いろいろなニュアンスがあり誤解を招きやすい言葉だと思います。)ので個人的には「本当のことと」いう言葉を他人とは違ったニュアンス(宇宙に住む私たちのあらゆることを解き明かす解答というイメージ)で使っています。何かあるような気がするのですよね、そういうものが。学校で勉強したりするときにちらっと見えるように感じることがあったものですから。
娘が病気で保育園を休むと大変です。病院の待合室で何冊か読まされます。外遊びができないので、家でも読まされます。一番ひどいときで一日で20冊近く読まされました。本は私の好みで選んでいます。年齢より上のものが多いですね。でも最近は私自身の病気(不安神経症)のせいであらゆるやる気が減退、本を読む機会が減りました。運よく娘がひらがななら全部読めるようになったので時々絵本を自分で読んでいます。それでも「読んでもらう」というのが嬉しいのは分かっているのですが。
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今日は早稲田、行ってきました。 投稿者:胡蝶社主人。武蔵小金井サティアン支配人 小島誠 投稿日: 5月15日(土)03時00分52秒
まあまあのものを大量に収穫、という感じです。
実はそのしわよせで、夜の間はえらく忙しくしていて、
明日ははよから阿波踊りの本番(多摩環境フェスティバル)なので、
このまま寝せていただきます。
>820さん どうも! 来訪の件歓迎します。詳しくはメールででも!
>空さん もう一人さん う〜参入したいです。
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ワーグナーの妻 投稿者:もう一人@東京パフォーマンスドール 投稿日: 5月15日(土)00時56分59秒
序なので簡単に、一貫性と矛盾について(もう一人の場合)
私も学生時代は一貫性〈及び論理的整合性)が三度の飯より大好きでした。矛盾は毛虫のように嫌いでした。ただ、空さんとの違いはおそらく空さんは個人的にそういったことを突き詰めていたのだと思いますが、私の場合はその観念の外延を他者にまで拡張させ、そのこと(自己の無矛盾性の追求)に自覚的でないふしだらな人間はおよそ人に非ずという感じで、方々で論争を吹っかけ、およそ人間のなしうる最大の苛烈さを持って日々議論ごっこに戯れていました。それを本気で信じていたという意味では、ある意味、遅れてきた近代主義者とも言えます。
「交際相手としては決して愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、我々は敵の鋭い監視のもとに生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつ行うことを学ぶのである」(カール・ヒルティ『幸福論』)
こんなのが当時の私の座右の銘でした。あたかもサイヤ人よろしく強い相手を求めひたすら彷徨していました。一番強かったのが、当時東大の大学院で科学哲学を専攻していた人で、この人とやりあったときにはボロクソにやられました(まあ、当方がまだ大学1回生の嘴の黄色い小僧っ子であったので当然といえば当然です。キャリアが違うってやつですね)。なかなか手強かったのは同じ大学の友人であり、現在A新聞の記者をやっているI君という人で、流石は自称弁論部のエースだけあって、A新聞に入ったからといって単純サヨクではなく、決して一筋縄ではいかない人でした。この人とは、学生時代はよく飯田橋にあるシャノアールで、周りの客や店員の迷惑なんぞ露も顧みずコーヒー一杯で5時間くらい延々と議論をしていました。最後の頃になると、もはやどちらがより高級な屁理屈を捻り出せるかという勝負になっていましたが・・・青春時代の懐かしき思い出です。
それはさておき、それではなぜそのようなゴリゴリの論理原理主義者、或いは論理真理教の信者であった私が(「狂人とは理性をなくした人のことを言うのではなく、理性しかない人のことだ」(G・K・チェスタトン))、現在このようなキャラになってしまったのか(いや、どう見られているのか本当のところわかりませんが)。すなわち、一貫性からの離反としての人間の可能性というものについて書いてみたいのですが、これまたできたらその内に書きたいと思っています。
何かダラダラとした内容になってしまいましたが、私の場合こんな感じです。
ところで、私は空さんが娘さんに本を読んであげるという話が好きです。私らしくもなく、ほのぼのした気分になるというか何と言うか、不思議な気持ちになったりします。そんな訳で、こちらこそ、これからもよろしくお願いします(笑)。
>兄様!(←まだ、かぶれ中。皮膚が、ではなく(いやそれもあるけど)、もののけ姫に)
早稲田は通り過ぎるつもりはないのに、天空から神を気取ってそのようなイジワルをしたいというのであれば、私も悪魔となり言わせてもらいますよー、『パッション』の乾燥、否、感想を。ズバリ「みんな、みんなー!」ってカンジですね。いや、すごい映画です。
最後に老婆心ながら、どうやら最近流行っているらしい、小島という名字について一言。
小島・・・どう考えても大島や中島には劣るが、横島には羨ましがられるという残念かつ半端な名字。なぜ一部の人はこんなものを有難がるのか、頗る謎だ。残念かつ半端なものに憧れているふりをして、実は馬鹿にしているのではあるまいか。
まあ、私は両親のマインドコントロールの所産により、ナポレオンを意識して、小さな島に一人で行くために生まれてきた人間だと思っているので、関係ないといえば関係ありませんが、でも、いくらなんでも小島奈津子さんに失礼だとは思わないのでしょうか?安易に使っている人は、是非それを使用するに当たっての思想的な根拠を明らかにして欲しいものです。
因みに、本日の書き込みはノンフィクション度数約85パーセント。
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魂の錯覚、或いはすばらしい新世界 投稿者:もう一人@東京パフォーマンスドール 投稿日: 5月15日(土)00時45分9秒
こんばんは。う〜ん、それにしても最近暑いですねぇ。いよいよ地獄の季節の到来ですかね。こまったこまった。
>空さん
すみませ―――――――ん、遅れました!!アーンド、初読では気がつかなかったのですが、(今再読したらやっぱり大きくずれているところは発見できなかったものの)もっと本質的といってもいいずれを発見してしまいました。やったね、ユリイカ!
さて、それは何かと言いますと、「何故私は空さんに〈レスをする〉と言ってしまったのか?」ということです。いや、と言いますのも、私はかの書き込み――多少の気恥ずかしさを覚えながらも通りすがりを装って主人さんの不手際を軽く批判したもの――で、それに対してのレスが返ってくるとはまったく想定していなかったのです。なぜなら私の中では全くの冗談で書いたつもりのものだったからです(そのような意味では、あの書き込みの書き出しは「それならば私は阿呆ということで」と書いた方がよりわかりやすかったのかもしれませんが・・・。因みに、私が普段ここに書き込みをしている文章の恐らく半分くらいはノンフィクションだと思います、念の為)。このように書くとなにやら空さんを批判していると思われるかもしれませんが、勿論そのような訳ではありません。という訳ではなくて、多少は批判をしていることになります〈笑〉。
つまり、う〜ん、空さんに一杯食わされましたなぁ、残念!という感じのやけっぱちの批判ですね。レスが返ってくるとは思っていなかったし、それに対してまったく無意識に「レスを返します」と書いてしまった自分に対して更に吃驚したという訳です。この果てしのない人間心理の摩訶不思議。そのような意味で言うと、68さんがお書きになられた、<ひとりの人間に10分間しゃべらすと、必ず、そのなかには一貫性のない矛盾したことが出てくる。それが人間というものだ>という言葉ともつながる非常に示唆に富んだ面白い話を最近聴く機会があったので是非とも紹介したいのですが、できれば一月以内に書き込みたいと思います〈多少の余裕をもって)。
話を戻して、私が空さんの書き込みを再読して感じたのは、空さんの書かれた事はいわゆる論理的整合性という話にも関係しているのではないかということです。首尾一貫性と論理的整合性。似ているようで実は微妙に違います。主張に整合性があると言える為には一貫性は必須条件ですが、一貫性を保つためには必ずしも主張が整合的でなくてはならないという訳ではありません。妄想としての一貫性は、ほんの少しの勇気を出せばアチラコチラで容易に見ることができますし、テレビをつけたらうっかりと見ることもできたりします。
哲学史的に言うと、20世紀以前の近代哲学というものは整合性及び一貫性を具備した体系的なものでなくてはならないという哲学的真実に呪縛されていたのですが、それが20世紀になって、そのような矛盾に拘束されない体系的な哲学的真実はフィクションにすぎないという事が暴露されました。その後も、箸にも棒にもかからないものを含めて様々な思想が出現し、ガイガイワヤワヤと色々な事が言われてきましたが、基本的な流れは変わっていません。その流れでいうと、空さんの言われる「本当のこと」(真実)という観念も実はフィクションに過ぎないということになります(「人類の進歩」という観念ももはや自明のものではありません)。
もっとも、空さんの言われていることは殆ど個人的な信念の話ですので、その限りでは私も共感します。なぜなら人間は原理の真空地帯に耐えられるほど強靭ではないからです。でも、そのように言いつつも、そのような信念を語るという行為には、人類の見果てぬ夢である整合的でありたい、首尾一貫していたいという欲望がどこかに存在しているという証左でもあります。しかしながら、そのような人間の基本的欲求と近代以後の哲学が見出した「真実」とは今のところ相容れない関係にあって、その狭間において人間は引き裂かれ、我々はその拘束からの自由な境地というものは今もって発見できていないのであります。
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(無題) 投稿者:空 投稿日: 5月13日(木)23時32分25秒
>主人さん
とりあえず、無事ネット開通よかった、よかった。主人さん不在時の話題にもからんでいただけるとおもしろいですが(流れ的に合わなければいいです)。
今日はマッサージに行ってきました。いつもは30分コース(夫がケチで(笑))なのですが、私は今月誕生日を迎えるので半額サービス券がきていたので60分コースにしました。平日なら同伴の方も半額、ということで夫も行きました。やはり60分はいい!30分だと物足りない。背中の感覚が鈍っているそうで、「普通ここまで押しませんよ」と言われました。あと、肩こりと腰痛。今の仕事が書類の審査なので職業病ですね。うちの係の人はみんな肩こりに悩んでいるそうで、職場に肩たたき用にハンマーを持ってきている人もいます。
今日のマッサージ店では回数券も販売しているそうなので通ってみようかな?
そう、もうすぐ32歳。32歳になったら連絡を取ってみようと思う人がいます。その人が32歳のときに出会ったから。メールのアドレスを偶然見つけたときからそう思っていたのですが、そのHPが数年前のものみたいなのでアドレスが変わっているかもしれない。住所も電話番号ももうわからない。賭け、です。
何かのドラマみたいですね(笑)。でも日常にドラマを仕掛けるのも結構好きです。(ときどき想像もしなかったドラマに巻き込まれてしまうこともありますが。人生は思っていたほど平凡ではなかった…。それをつまんないドラマにするかどうかは運と縁と自分しだい、かな?)。
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薔薇小さければ 宿せる雨粒も(千原叡子) 投稿者:820 投稿日: 5月13日(木)15時13分44秒
この季節にぴったりの俳句があったので題名に引用してみました。
以下の内容とは無関係です。
胡蝶さんお引越しおめでとうございます。(?)
6月の演劇、面白そうですね。ちょっと『藪の中』っぽくて…。
もしかしたら観に行くかもしれません。
今日はいくつか報告とお願いがあります。
まず報告としては、先月末を以ってT田さんのアシスタントを辞めました。
理由はいろいろあるのですが、自作に専念したいというのが一番の理由です。
今は、読書をしながら家でバレーボール漫画を描いています。
以下、質問とお願いです。
今年の新年パーティーで知り合った新人作家Tさんと
コミティア用に一冊作ってみようと話を進めています。
A532ページで20冊作るのにいくらぐらいかかるか教えていただけますか?
それから、今T田さんとこでアシを続けている男性Nさんが、一度胡蝶さんに
会ってみたいと言っていました。私は「やめた方がいい」と
忠告したのですが、聞き入れません。
お借りしていた本も返したいので、近々TさんかNさんか連れて
新サティアンにお伺いしてもよろしいでしょうか。
その際、久里子さんの本も胡蝶さんに預けてよいですか?>久里子さん
読書の話を少し。
相変わらず龍之介関連の書物を読んでいます。
先月までは龍之介や彼の友人達の著作を読んでいましたが、今月は彼が愛読した本を中心に読んでいます。
ボードレール『悪の華』、森鴎外訳『諸国物語』、福永武彦訳『今昔物語』、雨月物語など…。
『悪の華』に収められている中でおそらく一番有名な「我とわが身を罰するもの」の、
「俺は傷であり、短刀!
殴る掌であり、殴られる頬!
車裂きにされる手足で、また裂く車!
犠牲(いけにえ)であって、首斬り役人!」という箇所は、
高校時代好きだったなあと、懐かしく読みました。
とりあえず今日は胡蝶さん宛てのみで失礼します。
尚、報告には多少虚偽が含まれている可能性があります。
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