胡蝶社とは?

 胡蝶社は、武富健治の執筆、製作した文芸漫画作品の制作工房、自費出版の場として活動を続けてきた個人サークルで、平成六年に開設されました。

 文芸漫画、というのはなんでしょうか。そもそも漫画という形式自体、作者がどんなに否定しようとも、どんなに俗悪なものであっても文芸性がない、ということはありえません。しかしここで敢えて『文芸漫画』と呼ぶというからには、やはりより狭義での「文芸性」をたたえている、あるいは「文芸性」がよその平均よりも高い、そうでなくてはなりません。ここでは敢えて「文芸」の定義はなんであるか?ということを追究はしません。噛み付くことがルーティーンになっている方と安い議論のゲームはしないのです。あいまいでいいのです。時には揶揄として使われることもある、「いわゆる」文芸。それを目指しているのです。文芸性が「ある」「ない」ということの判断は難しくとも、今まで存在したものの多くと比較して「より高い」「より純粋に近い」ものが出来ていればそれでぼくはよしとしています。(ただ個人的にはあまりにいかにもな「文芸風味」は避けているつもりです。江戸の市井や文明開化の町並みや花柳界を活写するのは考えるだけでうんざりです)。

ともかく作品に触れてみていただきたいのです。このホームページでもいくつかの作品を全編公開しています。ここでは胡蝶社及び武富健治の意気込み、思想を少しでも理解していただけるよう、胡蝶社旗揚げの際に配布した小ペーパーの冒頭に掲げた文章を紹介します。

胡蝶社旗揚げに際して

武富健治     

こ・ちょう[胡蝶]、蝶のことです。「胡蝶の夢」という故事、荘子が夢の中で胡蝶になり、自分と蝶の区別を忘れた、そこから「現実と夢との区別が付かないこと」「自他を分たぬ境地」また「人生のはかなさ」を表すようになった昔からの言葉があり、社名はそこからお借りしたのです。今のところ、自分の作品のみのレーベルです。ですから「社」ではなく「舎」の方が似合いかも知れませんが方針として「分かるひとだけ分ってくれればいい」という柔らかい売りでは明らかにないので、思い切り気負ってみたわけです。

文化には二つの型があり、ひとつは上層から下層に降り広がる型、もう一つは下層から上層に洗練されて行く型ですが、戦後ストーリー漫画は後者と言ってよいでしょう。オルデガ・イ・ガゼット『大衆の反逆』と指摘したこの20世紀に生まれて間もない、今まで一度も貴族であったことのない文化です。我が社は作り手、味わい手共に「意思の自由」ではなく「能力の自由」を求める活動をして行きます。陸空海を「人それぞれ」で各々一つ選ぶのではなくて、一人一人が飛び、走り、泳げるような、そんな自由を掲げます。もちろん得手不得手はあって良いのです。現実世界の「リズール(精読者)」を僕は求めてなりません。甘くはない誠実な慰安と娯楽を出来る限り提供し、力強い反応を期待します。          甲戌八月

「蟲愛づる姫君」より

*詳しくは作品紹介ページへ。