ネートチカ・ネズヴァーノヴァ
〜ドストエーフスキイ読書会報告原稿〜
|
1. ドストエーフスキイの中のエフィーモフとB〜あくまで結果でしか語れないかもしれない本物と偽者の境界線・成功と破滅の狭間で 第一部での主人公といえる養父エフィーモフ、彼が芸術家としていかなる存在だったかということを、ドスト氏は、雑なおおざっぱな語り口で持ち上げたりやっつけないように、細心の注意を払って描いています。 彼は果たして芸術家としてみた時、どうなのか? 才能はあり、またその発露も見られる。また、気質としても、いわゆる芸術家的とみられがちなものを備えています。 しかし、むらっ気や、努力・根気の足りなさ、あるいは本人の言い分に寄れば、運命や外界の問題により、それらは完全な実現に結びつかず、過程としても何も残さないまま、結末も、ご存知のとおりです。 これを、なれるはずのものがなれなかったととるか、なれないものだからなれなかったととるか、ぼくの読んだ感じからすると、後者に重点を置きながら、前者の気持ちも残す、というような書き方になっていると思います。 その1、成功と才能、二つの軸によって生まれる対比人物3人の配置 《参考図1》 ←才能がない Y 才能がある→ (+1−1)B|S(+1+1) ↑達成能力あり ――――――――――――+―――――――――――X カルル・フョードロヴィチ|エフィーモフ ↓達成能力なし (−1−1) |(−1+1) その2、エフィーモフとBの立ち位置で、互いを見る。 その3、ドスト氏の当時の状態と「自覚」 その4、トニオ・クレーゲルの「至った」境地で ところで、実際、エフィーモフは、何の成功も果たさず破滅していくことで、本物か偽者かはともかく、実際にはとにかく「だめだった」と結論が出ていますが、このことは、どのように現実の人間分析に置き換えることが出来るでしょうか。努力しているか、勉強しているか、また天才があるかどうか、は極めて微妙な場合が多いと思うんです。 実際のところは、結果が全て、と言える状態にもあるのではないか。 このあたりの微妙な問題を、ドスト氏はかなり鋭敏に察していたように思います。それでもなお、例えばこのネートチカという作品でも、「才能が埋もれる不幸」という切り口では描かず、あくまで「結果として、エフィーモフは、何も残さずに破滅した」という例をずばりと描いているのが素敵だと思いました。 その5、ドスト氏が、なぜその時期に、こういう作品を書いたか 一流の大作家に踏み込むための勝負。 もちろん彼の作品は既に認められて、いくつもの絶賛を受けていたと思うのですが、やはり、一流の大作家、というものは、もちろん定義などはありませんが、「誰からも」「広く」認められる、「間違いのない」作品、を描けるかどうか、ということにあると思います。プロとコントラに分れた上での、片方の大絶賛がどんなに大きくても、もちろんそれはうれしいのですが、もしさらに「一流の大作家」の地位を勝ち取ろうとすると、言い換えると、そういう位置にいるという実感を得ようとすると、少なくとも1作、既成の概念にも十分沿った、間違いのないメジャー作品を作らなくてはならないのだと、どうしても思うものなのです。もちろん作家性・個性、あるべきなのになかった新機軸を含めつつです。 その具体的な内容 A これまでの重要作品の集大成たる作品。 B 文学好きの様々な好みをふんだんに取り入れる。 さて、そんな作品が、なぜ未完に終わってしまったかということですが、様々な原因があると思います。ペトラシェフスキー事件などによる、外界からの影響は当然最重要かと思いますが、僕の方では先回りして、補助的な事情、それはそれであなどりがたいと思われる事情、などについて勝手な推理で話させていただきます。 A 規模の予想以上の増大化 B 自分に合う構成の発見からくる仕切り直し C 大人になったネートチカに対しての興味の減少 2. 幼時のネートチカの行動・心理の描写のリアリティ 4.「アレクサンドラとネートチカの教育・学習に見る、ドストエーフスキイの先見の明」 ぼくは教育学科の出身で、少し教育・心理について専門的に学んだのですが、その生かじりで、この小説を読むと、実に、20世紀後半、そして今に至る、今のところの最新の教育や心理の学問を、まるで踏まえたと思えるほど、認識や描写が正確です。このドスト氏の先見の明についての評価は、大切にすべきかと思います。ただ、その上で、今考えるということのバランス、というものは考えなくてはなりません。ドスト氏の時代に関して言えば、明らかに、ドスト氏が提案したような教育方法、児童心理についての理解、というものが不足していたので、主張する価値が高かったと思うのです。しかし、恵まれたことにか、彼の主張したことは、少なくとも知識や意識の上では、現在はかなり行き届き、むしろ行き過ぎになっている危険があるので、このドスト氏の作品のメッセージを、今、強調して武器にして、さらに推進することは、やや考えなくてはならないと思います。 3.ネートチカとカーチャの相愛は、ドストエーフスキイの分裂しせめぎあう女性の好みの和解という妄想か? 文学好きの人間にとっては、ネートチカは自分達側の存在であり、絶対的なあこがれる存在がカーチャになると思います。この観点で行けば、自分の分身としてのネートチカがカーチャの愛に報われる、という、身代わりの幸福、ということになるのですが、もうひとつ考えました。ネートチカは、読者の分身であるのとはまた別に(別とも言えないかもしれませんが)、純粋で心の激しい、不幸な女性(女の子)という側面を持っています。この一面は『罪と罰』のソーニャに、さらに理想化され、また文芸好きの分身としての要素を削ぎ落とした、より純粋な状態で受け継がれていると思うのですが、たぶん、と言うまでもなく、ドスト氏はこの手の女性が好きだったのだと思います。しかし、例えば現実に、こういう女性をただ一人、選んだとして、果たして満足し、幸せになりえるか、ドスト氏には自信のない点があったのではないかと思うのです。もう一つの理想の女性に対する「未練」ですね。これは憶測ですが、この「ソーニャ=ネートチカ好み」というのは、男性の思いとしては、もしや純粋さを欠いた、ややゆがんだものではなかっただろうかと思うのです。キリスト教的な道義心、理性の検閲を受けた、ひどく言えば、「こういう女性を好むのが、人間として素晴らしい」「姿や過去の経験にとらわれず、心の美しさを尊ぶ人間だと自分で思いたい・他人に思われたい」という、ある種、いやらしい気持ち・願望・こだわりに毒された感覚、というものではなかろうか。ドスト氏自身の中に、このような自己分析があったかもしれません。例えば『未成年』を読むと、そういう感じがするのです。 それに対する、もっと、これは別の意味でいやらしい、しかしある意味では素朴で純粋な、王女のように立派な、そして人生もまた神に守られ祝福されてきたような女性、これに対するあこがれ(いやらしい意味で言えば「欲望」とも言えるでしょう)、この二つがドスト氏の心の中で激しく分裂し、せめぎあっていたのではないかと思うのです。この苦しい葛藤が、どこかで和解してくれたら、そんな願望が、いくつか屈折し、なぜか、小説の中に、その当人同士の相思相愛、という形を呼び込んだ。葛藤する自分はさておいてでいい、当人達が和解してくれれば、どこか不思議と自分の中の葛藤も、和解し救われるのだ、という。…こういうことは錯覚に過ぎませんが、それでもかまわないと心が許したのではないかと感じられてなりません。 5. アレクサンドラへの手紙の主〜弱い心の男 ですが、これもごく簡単に、提起だけして、できれば詳しい方にむしろ教えていただこうと思うのですが、この手紙、最初に読んだ時は、感動的な美談だと思って受け取りましたが、2度目に読んだ時、この手紙の主に対するドスト氏の、批判的な目というものを強く感じました。文中に「弱い男」という描写もありますが、『弱い心』のワ−シャと似た、幸せに耐えられない、問題者として、文中の「卑しい、つまらない、滑稽な男」とか、「ぼくは逃げているのです」というところが、これは謙遜でもなくそのものだ、と感じてしまいさえしました。もちろんワーシャ同様、深き同情・共感も、作家にも十分にあった上での突き放しでしょうし、読者としてのぼくの気持ちも同じです。 (武富健治) |
|
1. ドストエーフスキイの中のエフィーモフとB〜あくまで結果でしか語れないかもしれない本物と偽者の境界線・成功と破滅の狭間で 第一部での主人公といえる養父エフィーモフ、彼が芸術家としていかなる存在だったかということを、ドスト氏は、雑なおおざっぱな語り口で持ち上げたりやっつけないように、細心の注意を払って描いています。 彼は果たして芸術家としてみた時、どうなのか? 才能はあり、またその発露も見られる。また、気質としても、いわゆる芸術家的なものを備えています。 しかし、むらっ気や、努力・根気の足りなさ、あるいは本人の言い分に寄れば、運命や外界の問題により、それらは完全な実現に結びつかず、過程としても何も残さないまま、結末も、ご存知のとおりです。 これを、なれるはずのものがなれなかったととるか、なれないものだからなれなかったととるか、ぼくの読んだ感じからすると、後者に重点を置きながら、前者の気持ちも残す、というような書き方になっていると思います。 彼を、読者に、冷静に見てもらうための工夫として、最低二つの切り口において、対比物を作っていることが挙げられると思います。 X軸を、天賦の特別な才能があるか Y軸を、達成する能力があるか これで仕切り、 ←才能がない Y 才能がある→ (+1−1)B|S(+1+1) ↑達成能力あり ―――――――――――+―――――――――――X カルル・フョードロヴィチ|エフィーモフ ↓達成能力なし (−1−1) |(−1+1) という構図を作っています。 単純に、Sとの対比、あるいはBとの対比、カルルとの対比だけでエフィーモフを描いてしまうと、つまらない偽者としてあっさり片付けてしまったり、逆に不幸な素晴らしい芸術家、といった決め付けに陥るところを、この4人を出すことで、一つの言葉で括らないままの、そのままの正確な状態を状態としてそのまま、読者に伝えることが出来ます。ほんとうのところ、どうなのか、などといった答えを文章(言葉)では考えず、小説に描かれた、あるいはこの表の中の、彼の位置をそのまま受け入れる、といったのがいいのではないかと思います。 なぜ、こういうことを執拗に考えたかというと、これは自分のこととして、エフィーモフの人生が語られることがかなり他人事ではなかったからです。 ぼくも、ある意味、かなりエフィーモフに近い状態でこの10年を送っていまして、まあかろうじて異なるのは、数年前に一応商業誌でデビューをし、何度かは掲載まで持ち込んでいる、ということくらいです(性格はまたちょっと違いますが…あくまで芸術家としての「状態」に目をつけて)。 ただ、この微妙な違いを考えた時、もしかしたら、ドストもまた、ある意味僕と近い位置にいた、少なくともそういった自覚はあったのではないかと思ったのです。今、エフィーモフとぼくの性格のほうはちょっと違うと申しましたが、ドストの方では性格のほうはかなり似ているんじゃないかと思うんです。「状態」の方は、くわしく知らないのですが、少なくとも僕の状態よりずっとよかったはずです。しかし、芸術家というのは、登ったなら登ったなりに、自分の位置が低く思えるもので、デビューしてしばらく、売れているとはいえ、どうもまだ、既成作家との比較において、まだまだ自分は不遇で、まったくたいしたことのない変り種のセンセーショナルな新人に過ぎず、古典・一流の仲間入りが果たしてできたものか、という不安があったのではないかと思うのです。 この不安というのは、逆に「そうではないはずだ」という自信がある人ほど、気の弱った時に強烈に襲いかかるもので、彼の中には、「こんなものじゃない、もっと一流のはずだ」という思いもあったと思います。 日によって違うこの実感、また別の日にはどちらとも言えず両方が襲って、葛藤もしたかもしれません。自分は何者かを見るときに、周囲の比較物を探してみるのはよくやることです。 ぼくも、同じような年や下手するともっと若い人が活躍するのが目に入ります。その中で、SタイプとBタイプを発見します。Sを観た時、じぶんは全然偽者に思えます。Bタイプを見たときは、状況は違うが、対等なように感じます(先ほどの表を参照)。そして、ぼくにとってやはりカルルのような人もいるのです。 こうしてみわたしながら、自分の位置を様々に照らしていくうちに、エフィーモフの血肉化が図られていくのだと思います。 その上で、自分はまたエフィーモフとも違う、という認識もあるでしょう。その時には、自分は(エフィーモフに対する)Bのような位置にいます。エフィーモフよりは、努力したり勉強したり、しているぞ、結果をそれなりに出しているぞ、と(笑)。こうした時、切り口は表でいうX軸となり、エフィーモフはカルルとくくられ、おおざっぱに言えば、同類の哀れな偽者、ということになる。B、エフィーモフ、どちらの意識も捨てられないからこそ、小説にする際、シビアかつやさしい念入りな作りを自分に強いるわけです。 以前の読書会の記録でも、佐々木美代子さんが、例に用いていることですし、ここはぼくも安心してひっぱってこられるのですが、トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」ですね。この作品、文中では、トニオの考えとして「作家は死んでいなくてはならない」という表現があるのですが、この作品、実は、最後の最後で、主人公トニオの思想的ステップアップがある。ステップアップしたところで話が終わるので、当然ステップアップした状態でのトニオの思想は文章としては書かれていないんです。しかしそのステップアップというのは、死んでいない自分の再発見と受容、ということなのです。ですから、この作品の真のテーマは、読み方に寄れば、「作家は死んでいなくてはならないと同時に、やはり生き続けていなくてはならない、ということになるかと思います。 つまり、ドストが死んだままの作家だったら、エフィーモフの描写は、もっと完全に偽者としてつきはなしたものになっていたのではないかと思うんです。批判的な描写ではなく、やさしさすら、もっと軽蔑に満ちた、あなどった同情的なもの、それこそ夫ピョートルが妻アレクサンドラにむけていたような同情ですね。こうなっていたかと思うんです。それがそうなっていないのは、親身に、様々の立場に自分をおき、生々しく考えたからだと思います。もちろん同時に、「死んでいる」という面もあってこそ、単なる同情をもって、冷酷な運命や外界の被害者、として描き切ってしまうような甘さも回避しているのです。 簡単に同情するのもやっつけてしまうのも、共に作家の甘さと言えますが、ドストはこの甘さを、回避しようという意志によって回避するのではなく、そうせざるを得ない実感を自分に課すことで、やってのけたのだと思います。 さて、それを具体的にどうやったかという話に戻りますが、一つは今言った、二つの軸による立体的な対比をこさえた、ということですが、さらに、この作品の語り方、にもその工夫と努力が顕れています。 この作品自体は、ネートチカの回想、という形になっています。これを、エフィーモフの伝記部分だけでとらえると、 「娘ネートチカの」「大人になってからの」回想、しかもエフィーモフの前半に関しては「親友にして対比者のB」の脳と口を通して書いているわけです。これによって、さまざまな切り口での、エフィーモフのプラスとマイナスが、しっかり撹拌された状態で活字になることとなります。 ところで、実際、エフィーモフは、何の成功も果たさず破滅していくことで、本物か偽者かはともかく、実際にはとにかく「だめだった」と結論が出ていますが、このことは、どのように現実の人間分析に置き換えることが出来るでしょうか。努力しているか、勉強しているか、また天才があるかどうか、は極めて微妙な場合が多いと思うんです。比較する対象によっては、ある一人の作家も、努力や勉強している方にもなるでしょうし、またそれらが全然足りない、とも見られることでしょう。あまりに明らかな場合ももちろんありますが、そういう人などは実は最初から問題にすらならず、考えるべきは、微妙なところにいる「ボーダー」の場合でしょう。ほとんどの人間は、本物偽者、どちらの要素も複雑に持ち合わせているものだと思います。既に名の残っている作家だけで見てみても、もちろん比較の問題ですが、あまり不勉強でもいい作品を残している人はいますし、天才と修練を共に感じても、やや作品的には負けている人もいます。 実際のところは、結果が全て、と言える状態にもあるのではないか。 ぼくは小説の賞の下読みをしたことがありますが、上からまわってきた、基準を書かれたプリントに沿いつつ、10のうちから3つくらいを残すのですが、この基準で行くと、ドスト氏の小説はこのアルバイトによる下読みの時点で落とされる可能性が高いです。逆に、よほどひどいものは別ですが、ある程度のものであれば、いったんこれはすごい作品だと自分に言い聞かせれば、かなりのもっともらしい薀蓄で褒めちぎり、なぜこの作品が成功したのかも至極もっともに分析することも可能です。このあたりの微妙な問題を、ドスト氏はかなり鋭敏に察していたように思います。それでもなお、例えばこのネートチカという作品でも、「才能が埋もれる不幸」という切り口では描かず、あくまで「結果として、エフィーモフは、何も残さずに破滅した」という例をずばりと描いているのが素敵だと思いました。 先ほど少し話の中に出ましたが、ドスト氏が、なぜその時期に、こういう作品を書いたか、ということには、やはり「同じような立場・時期にいる作家」として(笑)、いろいろ思うことがありました。作家としてのドストの伝記、あるいはドスト以前・当時の他の文学者達の姿などについて、全然不勉強なので、具体的な情報を寄せていただき、検討していただきたいところですが、彼はここで、一流の大作家に踏み込むための勝負をしていたのではないかと思います。 もちろん彼の作品は既に認められて、いくつもの絶賛を受けていたと思うのですが、やはり、一流の大作家、というものは、もちろん定義などはありませんが、「誰からも」「広く」認められる、「間違いのない」作品、を描けるかどうか、ということにあると思います。プロとコントラに分れた上での、片方の大絶賛がどんなに大きくても、もちろんそれはうれしいのですが、もしさらに「一流の大作家」の地位を勝ち取ろうとすると、言い換えると、そういう位置にいるという実感を得ようとすると、少なくとも1作、間違いのないメジャー作品を作らなくてはならないのだと、どうしても思うものなのです。しかし、単に売れる要素をかき集めて、組み合わせて、こさえるだけでは、長い目で見れば、あるいは長い目で見ずとも、これは失敗することが多い。やはり独自の見解、今までに既にあるもの、以上、以外の、しかもあってもなくてもいいものではなくあるべきなのに今までなかったもの、を濃厚に含んでいることも、やはり必要なのです。しかしドスト氏は、その両方を、持たせて作品を作ることを、この時、可能だと感じたのではないでしょうか。それはこれまでにいくつもの、これは数だけでなくアプローチの種類を指しますが、いくつもの作品をものにした経験から来るものだったと思われます。 現に、ネートチカはこれまでの重要作品の集大成たる面を持ち合わせています。しかし、ただの今までの自作品の集大成では、いいものにはなりません。新機軸と、それから、自分のではなくあくまで一般的に「既成の型をある程度踏襲した」メジャーでなくてはならないのです。 ネートチカは、ある強烈な一人の主人公を、子供の時から順を追って描いた、成長記になっています。成長記は既成の型の一つとして通用しています。 また、文学好きの人の好みとして、一つは、貧しい境遇の悲しいお話が描かれているということがありますし、また別に、文学好きの人が、自分に重ね合わせて共感できるような「文学的な気質」の人物が描かれている、ということも、フォローしています。 このふたつを兼ね備えた主人公がさらに、女の子です。 しかし、これだけでは、足りません。文学好きの中には、自分のような人間、自分のような性質を、嫌悪する人、あるいはひとりの読者の中でも、好む気持ちとは別に、嫌悪する気持ち、もある場合が多いからです。だから、ネートチカだけでなく、ネートチカ(すなわち読者)が、絶対的に憧れるような人物も出てこなくてはならないのですが、これもカーチャとして登場します。 さらに、読者の中には、どうしても、(自分から年の離れた)子供時代に興味が持ちきれない人もいますから、大人の悩みもしっかり描かれなくてはなりません。もちろんネートチカが大人になればそういう描写も出てきますが、それまで持たせるために、早いうちから時々大人の悩みや心情を盛り込んでいく必要があります。これも、まず養父や母親のことを詳しく描き、そしてアレクサンドラ夫妻の件を挿入することで、満たしています。 そして、これらのメジャーな要素を、全てドスト風の「度を越した」ものに書き上げていることで、新機軸と作家性・個性を成り立たせています。 この作品は、そうとうに「一流の大作家」としての評価を「狙った」ものだと感じます。絶対成功する。あるいはもしこれで成功しなかったら、心から胸を張ってその世間の評価を馬鹿にできる、という気持ちだったのではないでしょうか。 このことは、原稿を作った後、会の直前に、インターネットの掲示板で確認することが出来たのですが、実際は、作品の計画はデビュー後、かなり早いうちから進められていたようですね。これは、今お話したようなことが、これだけ早いうちからドスト氏の気持ちとして宿り、その計画が着々と進められていた、ということを指しています。 さて、そんな作品が、なぜ未完に終わってしまったかということですが、様々な原因があると思います。ペトラシェフスキー事件などによる、外界からの影響は当然最重要かと思います。それによる執筆の長期の中断、そして新たな経験による作家自身の内面の変貌…。このあたりのその最重要なことについて、ぼくは全く不勉強で、詳しいことが何も語れません。そこはみなさん、他の方に是非ともお願いしたいと思います。そしてそのご意見を、第1番の最重要な理由、とさせていただいて、僕の方では先回りして、補助的な事情、それはそれであなどりがたいと思われる事情、などについて勝手な推理で話させていただきます。 まず思ったのは、第3部にあたる、アレクサンドラなどの挿話、これは、「ネートチカ」という題の作品の中で描くには、いささか規模が大きすぎます。これを書いていたあたりから、一人の主人公を題に立てて、その一代記として描いていく方法にいささか限界を感じていたのではないか、ということです。これは自分には合わない、と感じていた、のかもしれません。実際、ぼくもまだ主要作さえちゃんと読み揃えていないのですが、彼の作品にはいわゆる一代記、というものは他に見当たらないように思います。順を追って、幼少期から青春期、青年期、壮年期、と同じような重量で長く描いていくことに、不可能あるいは苦痛を感じたのではないでしょうか。 もちろん、作家は、好きな通り気まぐれに書くだけではいいものはできませんので辛抱や、自分自身の開拓や挑戦も必要です。しかし超一流を目指すとなると、無理を押すのは、一見理性的に見えて、蛮勇なのです。なにせ、さまざまに実力や個性を持ち合わせた人同士のハイレベルの戦いです。無理を押したところで、その道を(同じ才能や実力を持って)「ほんとうに好きで」書いている人には太刀打ちできないのです。ですから、最も自分にあった形式で戦いを挑むこと、自分の得意なところに勝負を持ち込むこと、はたいへん重要なのです。どうもドスト氏は、ネートチカまで、例えば白夜などもそうですが、いくつかいろいろ形式やジャンルを試してみたとことで、自分にはこれだ、という形式に思い当たったのではないでしょうか。 幼少期から順を追って描き上げていく一代記ではなく、人生のある時期、一番面白い時期、ひとつの事件に絞って、濃密に描いていくというやり方。幼少期のことなどは、その限られた時間的な舞台の中で、挿入的に入れていく。 主人公はいるとしても、題にその名を打って、その人の話、ということを強調せず、多くの強烈で対比的なキャラクターの中で、テーマを描いていく。 などなど。 もちろん、今挙げたのは「ネートチカ」で「これは合わない」と考えて見出した形式ですが、「ネートチカ」で自信を得た形式、というものもあるかと思います。 血縁などの関係者、を語り手とした、事後しばらく経ってからふりかえっての記録、というのは、これでしょう。 もちろん、作家は死ぬまで成長し変化していきますが、ドスト氏の場合、自分に合う形式の発見、ということに注目すると、ここに重大な到達点があったと思われます。それ以後は、その形式の中での、さらなるバリエーション、進歩などにしぼられてように思うのですが、いかがでしょうか。 他には、女性の筆によるという方法が、長く欠き継いでいくにはやはりなかなか苦しかったのではないか、ということも考えました。 もうひとつ、これはちょっと執着がある仮説なのですが、このネートチカというエキセントリックな女性キャラクター、子供のうちはその過剰な感受性も相当に素敵な魅力ですが、これ、大人になったら果たしてどうでしょう? ぼくなどは、カーチャ登場のあたりから、ネートチカに対するファン度は、どんどん下り坂で、アレクサンドラの章になると、かなり嫌悪感も育ってしまいました。もしかしたらドスト氏自身の中にも、この後を書き継いでいくのが、忍びないというか、つらかった、あるいははっきりいって、魅力を感じなかった、というのも少し、少しですがあったのではないでしょうか。 さらに言えば、大人のネートチカを描くのに魅力を欠くというのは、特に「本人の語りとしては」、と言うことがあるということです。大人になった彼女を作者としても読者としてもより好感を持って見つめるには、なるべく今度はかえって(幼少時にはこれこそが魅力を引き立てるベストな提示の仕方ですが)、本人の語りという、彼女にあまりにも近すぎる位置からみつめるよりも、第3者の語りの中で、例えば彼女ではなく、彼女のことを想う・救うような男をメインに見つめる中で、その恋の対象物として外から描いた方が、見栄えがする。これはもちろん『白痴』をイメージしているわけですが…。悪く言えば、主役から下されたということですが、『ネートチカ』でのカーチャの位置に、彼女自身が今度は据えられた、というような考え方をすれば、昇進とも言えるでしょう。 まあ、そもそも語り自体がそんなに老いてからのものではないので、当初から、そんなに先までは書くつもりもなかったのかもしれませんが…。 それにしても、順当に成れば、大人になってからもう一つ、ネートチカ自身を主役とした大きな事件、というものがあったはずです。これについては、今『白痴』を読んでいるのですが、米川氏は、カーチャとアグラーヤの相似について書かれていますが、それより強く、ぼくにはカチェリーナがネートチカの分身と映りました。さかしくエキセントリックに育ったネートチカがいったん堕落して、復活と同時に死を向かえる、と考えるのは、わりとぼくには自然な想像です。 ずいぶん長くなってしまい、この調子で予定に挙げた項目を話したら、とんでもないことになってしまいます。 2. 幼時のネートチカの行動・心理の描写のリアリティ に関しては、簡単に。ぼくは教育学科の出身で、少し教育について専門的に学んだのですが、母校は少しシステムが特殊で、普通教育は教育学部で行われるところを文学部の教育学科だったのです。しかも、独立して心理学科がなかったため、心理学は教育学科の中で行われていました。それで運良く心理学の方も同時に少しかじることができたのですが、その生かじりで、この小説を読むと、実に、20世紀後半、そして今に至る、今のところの最新の教育や心理の学問を、まるで踏まえたと思えるほど、認識や描写が正確です。4の「アレクサンドラとネートチカの教育・学習に見る、ドストエーフスキイの先見の明」についても同様です。このドスト氏の先見の明についての評価は、大切にすべきかと思います。ただ、その上で、今考えるということのバランス、というものは考えなくてはなりません。ドスト氏の時代に関して言えば、明らかに、ドスト氏が提案したような教育方法、児童心理についての理解、というものが不足していたので、主張する価値が高かったと思うのです。しかし、恵まれたことにか、彼の主張したことは、少なくとも知識や意識の上では、現在はかなり行き届き、むしろ行き過ぎになっている危険があるので、このドスト氏の作品のメッセージを、今、強調して武器にして、さらに推進することは、やや考えなくてはならないと思います。 3は飛ばして、 5. アレクサンドラへの手紙の主〜弱い心の男 ですが、これもごく簡単に、提起だけして、できれば詳しい方にむしろ教えていただこうと思うのですが、この手紙、最初に読んだ時は、感動的な美談だと思って受け取りましたが、2度目に読んだ時、この手紙の主に対するドスト氏の、批判的な目というものを強く感じました。文中に「弱い男」という描写もありますが、『弱い心』のワ−シャと似た、幸せに耐えられない、問題者として、文中の「卑しい、つまらない、滑稽な男」とか、「ぼくは逃げているのです」というところが、これは謙遜でもなくそのものだ、と感じてしまいさえしました。もちろんワーシャ同様、深き同情も、作家にも十分にあった上での突き放しでしょうし、読者としてのぼくの気持ちも同じです。 一応最後に、 3.ネートチカとカーチャの相愛は、ドストエーフスキイの分裂しせめぎあう女性の好みの和解という妄想か? ということについて話そうと思います。先ほども書いたように、文学好きの人間にとっては、ネートチカは自分達側の存在であり、絶対的なあこがれる存在がカーチャになると思います。この観点で行けば、自分の分身としてのネートチカがカーチャの愛に報われる、という、身代わりの幸福、ということになるのですが、もうひとつ考えました。ネートチカは、読者の分身であるのとはまた別に(別とも言えないかもしれませんが)、純粋で心の激しい、不幸な女性(女の子)という側面を持っています。この一面は『罪と罰』のソーニャに、さらに理想化され、また文芸好きの分身としての要素を削ぎ落とした、より純粋な状態で受け継がれていると思うのですが、たぶん、と言うまでもなく、ドスト氏はこの手の女性が好きだったのだと思います。しかし、例えば現実に、こういう女性をただ一人、選んだとして、果たして満足し、幸せになりえるか、ドスト氏には自信のない点があったのではないかと思うのです。もう一つの理想の女性に対する「未練」ですね。これは憶測ですが、この「ソーニャ=ネートチカ好み」というのは、男性の思いとしては、もしや純粋さを欠いた、ややゆがんだものではなかっただろうかと思うのです。キリスト教的な道義心、理性の検閲を受けた、ひどく言えば、「こういう女性を好むのが、人間として素晴らしい」「姿や過去の経験にとらわれず、心の美しさを尊ぶ人間だと自分で思いたい・他人に思われたい」という、ある種、いやらしい気持ち・願望・こだわりに毒された感覚、というものではなかろうか。ドスト氏自身の中に、このような自己分析があったかもしれません。例えば『未成年』を読むと、そういう感じがするのです。 それに対する、もっと、これは別の意味でいやらしい、しかしある意味では素朴で純粋な、王女のように立派な、そして人生もまた神に守られ祝福されてきたような女性、これに対するあこがれ(いやらしい意味で言えば「欲望」とも言えるでしょう)、この二つがドスト氏の心の中で激しく分裂し、せめぎあっていたのではないかと思うのです。この苦しい葛藤が、どこかで和解してくれたら、そんな願望が、いくつか屈折し、なぜか、小説の中に、その当人同士の相思相愛、という形を呼び込んだ。葛藤する自分はさておいてでいい、当人達が和解してくれれば、どこか不思議と自分の中の葛藤も、和解し救われるのだ、という。…こういうことは錯覚に過ぎませんが、それでもかまわないと心が許したのではないかと感じられてなりません。 締めがこんな意見で、たいへん気恥ずかしいのですが、まとまった個人発表としては、これで終わらせていただきます。 |
|
1.継父の古くからの友人で今では有名なヴァイオリニストのBから聞かされた、継父エゴール・エフィーモフの伝記です。父は、非常に裕福な地主の領地の貧しい音楽家の家に生れましたが、長い放浪生活の末、音楽狂いの地主のお抱えのオーケストラで下手なクラリネット奏者として居着きました。22歳の時、同じ郡内のやはり音楽狂いの伯爵のオーケストラから不品行を理由に追い出されたイタリアの指揮者と知り合いました。イタリア人は飲んだくれの生活の末、卒中の発作で急死しましたが、彼は継父に、ヴァイオリンを遺しました。これが、継父の仕組んだものだと訴えられる事件もありましたが、それは虚偽の告訴だとわかりました。しかしその後、継父は姿を消したり、地主や伯爵に無礼な暴言、中傷などをしたりするようになりました。継父は、イタリア人にヴァイオリンの手ほどきを受け、ひそかに自分の才能を信じるようになっていたのでした。実際に心を揺さぶる演奏が出来るようになっていたことは、ある夜、地主との二人だけの時に証明されましたが、自分自身のどうにもならない分裂症状を理由に、継父は礼を尽くして地主の下を去りました。ところがその後、才能を生かす努力もせぬまま、ふしだらな生活に陥りました。それが長く続いたため、才能がすっかり損なわれてしまったようでしたが、たどりついたペテルブルグで、若かったBとの共同生活が始まりました。当時30歳の継父の激しい発作的な熱中ぶり、自信・夢想に、ドイツ人らしい生真面目なBはいったん眩惑されたものの、すぐにそれらが根拠のない幻想ではないかと気付きました。その後もBは、Bのささやかな収入をたよりつつばかげた暮らしを続ける継父に忠告し続けましたが、Bに訪れた努力の報酬たる出世を機についに共同生活は破綻しました。 その後、何年かおきに、Bは継父と再会しましたが、その姿はますまず見苦しくいかがわしいものになっていました。継父は、彼の才能に眩惑された、早くに夫を亡くした私(アンナ=アンネッタ=ネートチカ)の実母と結婚していました。しかし継父は、母の持っていた千ルーブリほどのなけなしのお金を使い果たすと、彼女との結婚生活が自分の才能をだめにした、といい理由にして愚痴を言いふらし、生活のため小さな食堂を開いた母の収入を、片っ端から持ち出して飲み食いに使い果たすという生活に陥っていました。母もすっかり怒りっぽい不機嫌な女になってしまいました。それでもまだ継父の演奏がだめになっていないことを知ったBは、彼をある劇場のオーケストラに斡旋しました。そこでも彼は、愚痴を言いつつ、活躍している才能のある他の音楽家についての辛辣な皮肉を披露するようになり、一部の人たちはそれを面白がりました。それは2〜3年で飽きられてしまいましたが、その頃から、継父の精神錯乱がいよいよ本物になり、彼は才能のある自分がこれほど不幸なのはさまざまな陰謀によるものだ、と信じるようになったのでした。 オーケストラを正式に追放されてからの生涯最後の2年間は、継父は、すっかり水の中に深く沈んだような生活を続けました。 |
| 2.8歳になり物心ついた後の私の、主に父と母とに関する思い出です。その頃私たちはペテルブルグの恐ろしく不潔なだだっ広い灰色の屋根裏部屋で、他の家族とは似つかぬ奇妙な暮らしを送っていました。それまでも断片的な記憶はあるのですが、ある日、母がブラシや食器を投げてののしる父をかわいそうな被害者と深く心に焼き付け、彼に母親のような愛を感じてからというものは、子供らしい空想的な思い込みに彩られながら、大人のような認識で悲しく鮮明に記憶されるようになりました。
母の留守中を狙って、父の友人、ドイツ出身の素質も才能も少ない端役役者のカルル・フョードロヴィチ(・マイエル)がよく訪ねてきました。父は彼を軽蔑し、他に人がいないから付き合っていたのですが、彼は父に深く友情を寄せていました。彼らは、ある時見つけた『ジャコボ・サンザナール』というイタリアの不幸な芸術家を扱った戯曲に自分らを重ねて夢中になりました。しかしカルルが熱情にかられて、誉め言葉を求めて一生懸命に部屋の中で踊りを披露すると、父はわざとからかいに、それをいかにも残念そうに否定するのでした。からかわれていることに気付いたカルルを、私たちは笑い転げました。二度と来ないと憤慨する彼でしたが、数日後にはまた同じように私たちのところにやってくるのでした。 ある日、お遣いから戻ろうとした私は、父の葛藤の末の嘆願で、お釣の銀貨を渡してしまいました。同情から、より父を愛していた私でしたが、母への尊敬や愛も根底にはしっかり宿っており、心の中ではたいへんな葛藤があったので、それが破れ出てただ泣きじゃくるのでした。母は事情を知らずなぐさめてくれましたが、私は母への愛情を素直に出すことができませんでした。また父も、あとになって自分にしたがって母に残酷な私の所業を反省するように諭すのでした。それでしばらく憂鬱な顔が続きましたが、それが明けて明るい様子になったのを見た父は喜んで、そっと宝物のヴァイオリンを、その時にかぎって非常におごそかな調子で、自分の不幸と本来の才能を語りつつ見せてくれたのでした。 こうして私の悲しみはすっかり払われましたが、間もなくこのロマンスは父と母の死によって終わりを迎えることとなるのです。 |
| 3.ペテルブルグで高名なヴァイオリニストSの演奏会が開かれることとなり、町はその話で持ちきりとなりました。父は、これまでにも、名の知れた演奏者がくるたびに、とたんに不愉快になるのでしたが、今回は極端で、様子はおかしくなるばかりでした。そんな父を、Bと馬車に乗り合わせていた好事家のH公爵は興味深く見つめていました。 父は、Sの演奏会に行くために、母のなけなしの貯金を狙って、私をなだめすかしてそれを手に入れようとしていました。そんな父のやさしさが、本当の愛でなく、しかも子供だと思って侮っていることを、私ははっきりと気付いてしまいました。それでいながら、演奏会の当日、私はお金をついに父に渡してしまいました。母はこの頃すっかり病気を悪くしていましたが、父の様子がおかしいことから異常を察し、お金はどこかと激しく私に迫りました。そして、父は全く無情に、脅しつけるような目でただ黙って見ていたのです。私は気を失いました。 そんな時、H公爵からの使いが来て、Bから頼まれたと、Sの演奏会の招待券を差し出しました。熱にかられやすい母は、突然父への愛情を取り戻し、一張羅にアイロンをかけ、夫を送り出したのです。そして狂気じみた愛撫を注いだ後、ばったりと深い眠りにつきました。 演奏会から帰った父は、全てが明らかになったように絶望し、蒼白でした。母の変化に気付いたその顔には、一瞬微笑が閃いたように見えました。そして激しくヴァイオリンを弾き始めました。それはもはや音楽というより、絶望的な悲しみの叫び、号泣のようでした。耐えられなくなった私は、突然父に抱きつきました。父は、すっかり忘れていた私の存在に驚きましたが、ふたりはいっしょにそこを出て行く準備をしました。父は母の死を教え、別れを告げさせてから家を出てひたすら夜の街を走りました。母をそのままにしてはいけない、戻ろうという私に、父はうなずき、私はここで待っているから誰かに知らせてからまたここに戻っておいで、と告げました。ところが、ふりむくと父はもう逃げ出そうとしていました。私は驚いて追いかけましたが、ついにある屋敷の門のところで力尽きて倒れてしまったのです。 気がつくと、その屋敷の中でした。屋敷の主であったH伯爵が、私の素性を知り、不思議な縁だと引き取ることに決めて、介抱してくださったのです。 父は、激しい精神錯乱のため郊外で取り押さえられ、病院で死んだということでした。父の苦しみはようやく終わったのです。 |
| 4.新しく始まった、H伯爵家での日々は当惑することだらけでした。一番親しみやすかったH公爵は、もともとが変わり者で孤独な生活を送っている人だったので、見舞いにもだんだん来なくなってしまいました。美しい公爵夫人は、初めのうち、私の母親になろうとの決意からずいぶん情をかけてくれたのですが、わたしがあまりにも期待に応えないかたくなな子供だったのですっかりあきらめてしまいました。構われなくなってからの私は、見張りつきとはいえ、邸内を好きに歩き回れる自由を得ました。屋敷の2階に住む結婚経験のない神経質な老婦人、H公爵の伯母とも会見しましたが、まったく気に入られず、しかも私がはしゃぐ声や足音が聞えると訴えたので(もちろん彼女の気のせいなのです)、私の生活は1階を中心とするようになりました。ある日の黄昏時、その1階の広間で私が顔を覆っているのを見つけた公爵は深く同情し、聖像のある部屋で祈らせてくれました。 私が憂愁に包まれていたある夜、大広間から音楽が聞えてきました。私ははっと喪服を着ると暗い屋敷の中をたどって大広間にたどり着きました。いつもは薄暗く不気味なその広間は、今夜は無数の明かりにまぶしく照らされ、大勢の豪華で絢爛な衣装の人々が集まっていました。そこは、以前夢に見た赤いカーテンの向こうの部屋、そのものでした。『父はきっとここにいる』と信じた私は、壇の上に背の高い老ヴァイオリニストの姿をみとめました。そしてあの父のと同じ、悲痛な号泣のような演奏を耳にしたのです。割れるような拍手の中、私は無我夢中で父を呼び叫びながら老人にとびつきました。気がつくと私を抱いていたその老人は父ではなく、父を殺した人、Sだとはっきりわかり、とたん私は気を失ってしまったのでした。 |
| 5.私がふたたび目を開いた時、目に映ったのは、光り輝くような魅惑的な、私と同年齢くらいの美少女の微笑でした。彼女こそ、2階の老婦人の姉に当たるL伯爵未亡人の元に預けられていて帰ってきたばかりの公爵令嬢、カーチャでした。私は甘美な予感に似た幸福に満たされました。私と正反対で、じっとしていることのできないこの少女は、退屈なのを仕方なく、と断言したものの毎日私の見舞いに訪れ、早く治らないかと急くのでした。私は彼女への好意を告白しましたが、彼女はまだ好きにはなれないと言いました。私は床から離れるようになると、カーチャにぴったりついてまわり、ある時など我慢できず彼女の首に飛びつき、接吻さえしてしまうほどでした。しかし元々おとなしいところに病み上がりだった私は、激しい彼女の遊びについていけず、彼女の興味を失ってしまいました。そんな私たちをかろうじて和解させてくれた監督兼家庭教師のマダム・レオタールの下で、カーチャと私は机を並べて勉強するようになりました。物分りがよくどんどん初歩を覚えていく私を、カーチャは憎み、ついに私を侮辱するようなことを言いました。そこを公爵が発見し、正論でしかったので、気位の強い彼女は真っ赤になって、謝罪を断固拒否しました。しかし、彼女の大好きな父の怒りの解けないことに絶えられなくなったカーチャは数日後、キスで私と和解しました。しかし彼女は私を避けるようになりました。この頃から私の思いは、すっかり恋と言えるまでに狂おしく激しく変化していました。寝ている彼女に忍び寄り、手や髪や足などに接吻することさえあるくらいでした。この頃からカーチャの様子もおかしくなり、見咎めた公爵夫人は、私のせいだとして、二人を会わせないようにしてしまいました。私は胸も張り裂けんばかり苦しみました。 ところがある朝突然に、彼女は戻ってきました。彼女は私のほどけた靴の紐を、そしてはずれていた胸のボタンまで自らの手で直してくれたのです。そしてその晩、カーチャは神経性の発作を起こしたのでした。翌日も彼女はおかしくて、自ら、彼女を嫌っている老婦人を訪ね、いったん和解させるように見せたもののしまいにはかんかんに怒らせてしまいました。その仕返しに、冷静さを失っていたカーチャは、伯母の天敵のブルドッグ、ファルスタッフを、わざと2階まで引き入れ大騒ぎを起こしてしまったのですが、その罪を、私は喜んで自らかぶり、牢屋と呼ばれる小部屋に閉じ込められてしまいました。しかしこの件がきっかけで、カーチャと私の垣根は完全にと 私たちの変化に気付いたマダム・レオタールはつい公爵夫人にその心配をもらしました。後悔先に立たず、夫人は私たちを完全に引き離してしまいました。公爵の計らいで、私たちは隠れて会えるようになったのですが、それもつかの間で、L伯爵夫人のところに預けられていたカーチャの弟が重い病にかかったのを理由に、カーチャはモスクワに戻されてしまい、それきり帰してもらえませんでした。私たちの再会はずっと後になるのです。そして私は、カーチャの父親違いの姉アレクサンドラのところに引き取られることになったのです。 |
| 6. 8年あまり続くこととなった新しい生活は、まるで隠者たちの中に住み着いたような、静かなものでした。アレクサンドラ(アンナ)・ミハイロヴナはすっかり他人との交渉を断ち(断たれ?)、憂鬱な一人の時間を除いては、幼い実の子供の世話と、それよりむしろ私の教育に全力を注ぐといった感じでしたし、夫のピョートルは、絶えず仕事と社交に追われていましたが、家庭での生活とはすっかり二分されておりました。ただし、このピョートルが家庭で常にあまりにも憂鬱だったのは、他にも理由があったようで、特に妻に対しては、見下すような寛容と、深刻な同情が常に表情に宿っていて、アレクサンドラもそんな夫に対し、常に引け目のような緊張感を持っていて、ごくたまにではありましたが、それに対する怒りや憤り・悲しみが発作を起こす時があったのでした。 アレクサンドラの教育は、いっしょにこちらに来ていたマダムレオタールも思わず笑ってしまうほど、あまりに熱意にかられて性急過ぎるもので、最初は空回りした感じもありましたが、その、学問と言えるか疑わしいほど自由で広がりのある血の通った教育は全て、わたしにとっては最高のものでした。彼女と共に楽しんだ、行間を読むような沢山の読書は、私に何も体験する前から、人生に対しての多くを推察させることになりました。 そのうち私は13歳になりました。この頃にはアレクサンドラの健康はだいぶ悪化して、いらだちや悲しみの発作も激しく頻繁になっており、私を遠ざけがちになっていましたが、これは思春期に入っていた私の方でも望む事でありました。私は教育によって啓かれた思想によって、かつてと同じ空想に浸る生活に再び入り込んでいました。私は、この家の夫婦の悲しみの秘密などについて自分なりに思いを馳せました。 そんな時、ある事件がありました。ひょんなことから、家の図書室の鍵を手に入れたのです。それまで完全に検閲された本しか読めなかった私は、小説を中心に、まったく新しい魅力的な世界の虜になることになったのです。誰も気が着かぬうちに、私は16歳になりましたが、やっと私に、年齢にふさわしい本を読ませずに来てしまったと気付いたアレクサンドラが、選んできてくれた「アイヴァンホー」は、既に何度も読み込んでいたものでした。 ある時、私は、ふとアレクサンドラの弾くピアノの音につられ、歌っていました。私だけでなく、夫婦も、Bも、全ての人が、私の隠れた才能に驚き、それからは週に三度、小間使いを連れて、街の音楽教師の元に通う生活が始まったのでした。 |
| 7.私はある時、図書室で、スコットの『聖ロナンの泉』を、思うままに開いたページの文句を読み込んで、深い感動に浸っていたのですが、その中に、S.Oという頭文字の入った宛名のない古い手紙がはさまれているのを発見しました。 「ぼくたちは別れなくてはならない。こんな結末を僕は予感していた。ぼくたちは釣り合わない仲だったのだ。粗野で単純で人並みな、こんなぼくをどうして君が愛してくれたのか、これまでずっと、そして今でもわからない。君の、同情から出た愛情の告白の意味も気付かず、ぼくはすっかり酔ってしまった。自分の高さまでぼくを引き上げようとする愛に対し、ぼくは愚かにも、まるでぼくに夢中になっている女性に対するように接してしまっていた。しかし全ては君の買いかぶりだったのだ。覚えているだろうか、ぼくがひざまずき号泣し、言った言葉を。『これは何の報酬なんだ? なぜこんな幸福が得られたのだろうか?』。ぼくは君に値しない男だった。いつもそれが苦しかった。あの連中の非難に、ぼくは意気消沈してしまったのだが、それも彼らの言うことがもっともだと思ったからだ。いましがた、ぼくは君のご主人にお会いした。彼はみんな知っていて立ち上がったのだ。ご主人は君の救世主だ。ぼくは逃げ出そうとしているのに。彼はみんなに、甘やかし過ぎだ、弱すぎる、と非難されながら、君のために戦っている。石を振りかざし、『私たちは罪がない、しかし罪をかぶる気持ちがある』とのたまう、見る目のない彼らのことは許してやって欲しい。ご主人だけは君を理解しているということは信じて欲しい。ぼくは君にありがとうは言わない。ただただ、さようなら、永久に」 これはアレクサンドラ宛の手紙でした。あまりの衝撃に、私の生活はすっかり病的に変貌してしまいました。音楽もすっかりやめて、ふさぎこんでしまったのです。こうした変化から、ピョートルとの間にも妙な気まずさが生じ、またその様子をみたアレクサンドラは、病気のせいもあって、あらぬ誤解を私たちにむけることともなりました。そんな中、私は、普段私たちの前では完全に無表情を作っているピョートルが、誰も見ていないと思って鏡の前でごきげんで鼻歌を歌ってたのを目撃し、精神的な発作を起こして大笑いがとまらなくなってしまいました。彼の狼狽は言うまでもありません。 |