武富健治 年譜

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1970(昭45)
0歳
 佐賀県杵島郡江北町に自衛官の父紘人元看護婦の母恭子の長男として生れる。 特に影響を受けた作家・作品
主要な自作品
1971(昭46)
1歳
 佐賀の父の実家から愛知県豊川に移る。 おかあさんといっしょ、めばえ、マジンガーZ、仮面ライダー
1973(昭48)
3歳
 豊川から近くの諏訪町に転居。昆虫などの採集や飼育に熱中。全10巻の総合図鑑の中で、昆虫と海洋生物に興味が集中。やはり全10巻の世界名作全集の中ではフランスのはなし、日本のはなし、北欧のはなしに特に反応。また、母の教育方針により図書館の絵本に夢中に。何度も読んで気に入った、と確認できた本を購入するシステムが出来る。読み物雑誌「おひさま」を購読。物語の他、毎月載っていた折り紙に夢中。テレビでは変身ヒーロー物、ロボット物に熱狂。またタツノコやズイヨーなどの児童向け名作アニメも欠かさず観るようになる。初めて買ってもらった漫画単行本は『サザエさん』 ムーミン、ハイジ、けろっ子デメタン、ウルトラマンタロウ、仮面ライダーV3・X、サザエさん

ソフィーのいたずら(仏)、かこさとし

1975(昭50)
5歳
 東京小平に転居。なみき幼稚園に入園。虫捕りに加え折り紙お絵かきに熱中。79年に北海道に越すまで、父母の実家の佐賀、鹿児島や千葉や愛知などのいとこの家に遊びに行ったり叔父たちが遊びに連れていってくれたりするのを楽しみにする。 フランダースの犬、母をたずねて三千里、ウルトラマンレオ、
1977(昭52)
7歳

小1

 小平市立鈴木小学校に入学。入学祝いに白ウサギを買ってもらう。ウサ子と命名。ウサ子、買ってから1週間で庭の毒草を食した疑いで死ぬ。子供の日にモルモットを買ってもらう。モルコと命名。母、近所の医院で看護婦業再開。母方のいとこからドラえもんの存在を教えられて熱中。この頃から漫画(アニメでなく出版物としての)の面白さにとりつかれ、ややアニメからも絵本からも遠ざかる。アニメは特に気に入ったものだけに熱中するようになった。少年サッカークラブに入部。 ドラえもん、コロコロコミック、ザ・ウルトラマン(内山版)、漫画版ゲッターロボ 
1978(昭53)
8歳

小2

 東久留米市滝山に転居。第七小学校に転入。クラスで「ウルトラマン会社」に対抗して「宇宙戦艦ヤマト会社」設立。自由帳に描いたメカやキャラクターをその大きさによって白紙の自由帳何枚かと交換して「商売」とする。謀略で会社は敵会社にのっとられる。モルコ、友人の飼い猫に噛まれ死ぬ。モルコを題材にした紙版画作品が市のコンクールで候補に上がるが最終審査で落選。幼少時からかわいがってくれていた父方の良行叔父、病死。ヤマトなどのプラモデルに熱中。 さらば宇宙戦艦ヤマト、映画版ルパン?世、家なき子、サイボーグ009

1979(昭54)
9歳

小3

 3月に父の転勤に伴い北海道倶知安町に転居。倶知安小学校に転入。サンショウウオやザリガニ、昆虫などの採集に熱中。自由帳に鉛筆でストーリー漫画を描き始める。水彩による友人の肖像画の写実性を担任の井田先生に評価される。母が学校を休ませて数度にわたり北海道旅行を体験させる。
 
自作漫画がクラスの人気を得るが、すっかり漫画としてのイディオムがしみつき、美術の時間に漫画的な絵しか描けなくなり、担任を落胆させる。
 また、この頃『赤い鳥傑作集』を母に購入してもらったのをきっかけに日本の児童文学を再び読み始める。
 この頃から
将来の夢に「まんが家」と答えるようになる
映画銀河鉄道999

赤毛のアン

赤い鳥傑作集(新見南吉・菊池寛他)

カウトラマン、カウトラマンH(ヘース)カウトラマンD(ダロウ)
1980(昭55)
10歳

小4

 オリジナル漫画を描き出す。うまくなってきたスキーに熱中。父の部下いた自衛官の方に初めてキリスト教の教会に連れて行ってもらう。ガンプラに熱中。ブラックジャックを知り、藤子派から手塚派へ。 機動戦士ガンダム、ブラックジャック、火の鳥2772、妖怪ハンター、まことちゃん スノトレマン
1981(昭56)
11歳

小5

 小5の組換えで田中宏治と出会い漫画の合作を始める。広告の裏を綴じた手描き漫画雑誌を大量に製作。この田中との交友と、それまでの昆虫採集系の友人との交友の間で悩む(後半は田中との付き合いを主とする方向で落ち着く)。なおこの年、たまたまテレビで観たサスペリア2に深い衝撃を受ける。またこの頃からテレビの再放送枠などで昔のアニメを楽しむことを覚える。 映画版機動戦士ガンダム(2・3)、ドクタースランプ、火の鳥、どろろ、エコエコアザラク

サスペリア2
雪の女王

原始戦士ハニワット、スペーサーZ、
KUNKUN他多数
1982(昭57)
12歳

小6

 3月に父の転勤に伴い東京へ戻る。田中宏治との文通始まる。目黒区立東山小学校に転入。中学校受験など、都会の生活にショックを受け円形脱毛症にかかる。また週刊少年サンデーの購読開始。この頃はクラスの中心グループに属し、遊び散らすことに熱中。住んでいた官舎が学校の目の前だったこともあり、部屋が仲間の溜まり場になる。この中心グループのませ気味の男女の仲間達とともにきわどくあやうい日々を送る。実行動の率先は他の友人の担当だったが、企画や知識面では作者がその筆頭となっており、その後「エロの大王」などと称されることとなる。
 こうした日々の刺激に押され、漫画の創作は、
第一次スランプ夏休みには小2以来久しぶりに父母の故郷を訪れる。また、母の提案で、子供だけで野生生活を体験しようという企画に参加、小笠原諸島の父島でキャンプ生活を送った。
週刊少年サンデー

うる星やつら、陽あたり良好、ザブングル

テレビの2時間サスペンスドラマ(特に金田一と明智)

映画悪霊島

風の谷のナウシカ

SF金田一くんの冒険
1983(昭58)
13歳

中1

 本気で取り組まなかったこともあり、中学受験はどこも通らず、またそれに何のショックを受けることもなく地元の区立東山中学校に進学。小6からの仲間と楽しい学園生活を始める。しかし、別の小学校からの生徒との合流のため、仲間もいわゆる不良化が進む。それについていけず、中心グループから脱落。それに加え友人をかばったことなどによりいじめ(この言葉は当時生まれたもの)の対象にもなり、苦難の日々を送る。
 こうした状況により、
漫画熱が復活。地味なグループで創作競争を始める。
部活動は剣道部と写真部を兼部。生徒会応援団にも所属。応援団はクラスから数人を選出するしくみで半ば無理やり入らされたものだが、思いがけぬ楽しさに後期から、中3に到るまでは自主的に参加。応援団では岩田泰明と出会う。淡い恋愛を経験。増刊(月刊)少年サンデーを購読開始。
少年サンデー、増刊少年サンデー、ダンバイン、手塚の諸作品

角川青春映画

ワンダースキー
1984(昭59)
14歳

中2

 クラス替えにより、快活な学園生活が始まる。以前の仲間もそこでは善良さを取り戻し、仲も復活。ただし男子のみの盛り上がりで、この年はまるで男子校のような、いわゆる恋愛関係には無縁の楽しさが満ちていた。
 自作漫画も広く受け入れられ、周囲に期待されるままに大学ノートやミニ漫画の形式で大量の作品を発表。
 文化祭では『長距離列車殺人事件』で
脚本・演出他で主要な位置を占め、大いに盛り上がる。部活や応援団、生徒会役員などでも充実した日々を送る。
 またこの頃仲間内で入った学習塾「
本田塾」が青春の重要な一こまとしてこの後高校時代まで続くことになる。担当教師の上岡敏氏には学業の他漫画などの知識も多く授けられた。
 冬には田中宏治の実家を訪れ(写真)
、合作を楽しむ。この頃からさらに文通のリレー漫画や競作も精力的に交わされるようになる。
 なお、この年に経験した林間学校での楽しい思い出は新作「まんぼう」に多少の演出を加え盛り込まれている。
あしたのジョー(映画版、テレビ版2、原作)

夙流カムイ外伝

カムイの剣・ボビーに首ったけ

サスペリア・サスペリア2

コッドローズタラ、古代戦士ハニワット、UEOKAくんパニック、地球警察(テラポリス)2200
1985(昭60)
15歳

中3

 3月に上級生の卒業に際して教師達の一言を集めた冊子に似顔絵描きとして中心的に参加。周囲の生徒以外にも、マンが描きとしての存在を知られ、またそのことにより、漫画家としての意識やプライドを強めていった。
 4月にはまたクラス換えとなり、それまでの付き合いも継続しながらも、前年よりは落ち着いた雰囲気の中でより文系的な成長を遂げる1年となる。ここではなんといっても学園祭の「ギリシア愛の物語」の企画・脚本・演出が重要なこととして挙げられる。これをきっかけにギリシャ神話や
古事記を読むようになる。
 受験を目前にして、漫画の製作も、量的には全く衰えを見せずに続いた。しかしそれらはほとんどがこれまでの続編などルーティーンなものであり、この時に、描き手の熱意の薄い長期連載のむなしさを経験することになった。
 年頃となり女性に対する興味が高まるが、全てたいして付き合いもない女性への憧れの念にとどまっていた。この内面的姿勢は以後継続していく。本田塾の上岡氏に「カムイ伝」全巻をもらい受け、強烈な影響を受ける。
 中学卒業記念に応援団などで親交を暖めてきた岩田泰明とともに、美術教諭だったおおたこうじ氏をゲストにして、初めてのコピー同人誌「
モダンボーイズ」を製作。初めてペン入れした漫画作品を完成させる。 
カムイ伝(第1部)

アリオン

Zガンダム

魯迅「故郷」

「おろち」「イアラ」他楳図作品

アニメ「火垂るの墓」

コッドローズ・タラシリーズ

一番ナウな恋物語

スペーサーα

1986(昭61)
16歳」

高1

 都立駒場高校に進学。これは当時の作者の学力や意識にぴったりと合った進学で、良くも悪くも無理のないゆるやかな3年間を過ごすことになる。小6時代の仲間の人気者がクラスメイトになったため、クラスの中心グループに入ることが出来たものの、ややはぐれた感はあり、この1年間は無理してそのグループに居続けようといった努力に多くのエネルギーを費やしていた。それというのも、かわいい女生徒はこのグループごしにでないと関われなかったからである。
 こうしてクラスではやや金魚のフン状態にいた作者だが、入学と同時に入部した剣道部、そして念願の
漫画研究会(中学には存在しなかった)では全く独立した青春を謳歌した。両者とも、面倒見のいい先輩に恵まれ、多くのことを吸収した。
 特に
漫画研究会にはおたく的な知識に溢れた先輩や、実際に高度な画力を持った先輩が多くいて、漫画ファンとして、漫画描きとして、また良くも悪くもおたくとしても錬度を高めていくことになった。この経験を元に、武富健治の個性の萌芽を感じさせる作品を作り出していく。
ベルサイユのばら(TV版)、萩尾望都・竹宮恵子
白土三平・永島慎二他ガロ・COM系の作家
古代戦士ハニワット伊耶那岐(いざなき)伝説
スサノオ伝説
1987(昭62)
17歳

高2

 田中宏治との文通や競作もさらに真剣なものとなり、年明けに出したモダンボーイズ(以後MB)2では田中も参加するようになる。以後数年間、モダンボーイズは作者の最も重要な作品発表の場となる。
 春には
クラス替えがあり、やや落ち着いたクラスとなる。それに従い、学校生活での重要度は急激に放課後の部活動に傾く。特に漫画研究会では実力・知識・意欲に満ちた女性の後輩が入部し、それがみな魅力的だったこともあり、漫画以外の要素も含めて、多くが満ち足りる状態となっていたのだった。また、当時の本高校では漫画研究会など文系の部活と生徒会の間が非常に密着しており、生徒会から文系部活動のひとまとまりの文化圏を作っていた。そこでも多くの青春的な楽しみを味わうこととなる。ただし全ては控えめでほのかなものであった。秋の引継ぎで、漫画研究会の部長となったことで、兼部が困難となり、剣道部を退部
 この年に、より広い官舎が空いたということで、目黒の東山から
中野坂上に移る。これにより電車通学を経験。また気候のいい時期は新宿に住む友人と共に自転車での長距離通学も楽しんだ。この友人とは一時期早朝に新宿中央公園で待ち合わせ、体を鍛えたりなどして楽しんだこともある。
 
MB3を晩秋に発行。この号から本田塾の先生だった瀬野訓啓氏が参加。冬にはまた北海道の田中宏治の実家を訪れる。これはしばらく恒例となった。
 この年に国語を教わった
河村廣通氏に強烈に心酔。文学への興味が急激に高まり、まずは日本の近代文学を読み始めるようになる。
山岸涼子、村野守美

森鴎外(初期三部作、『寒山拾得』他後期短編)
志賀直哉(『城之崎にて』『焚き火』他諸短編、自伝的中編)
太宰治(『富嶽百景』『女生徒』

旅の途中(MB2収録)

武内宿禰、MASAMI(MB3収録)

シュプール(生徒会機関誌『園生』に掲載)

1988(昭63)
18歳高3  田中の実家での合作(原作と作画を交換したもの)を中心に、2月にMB4を発行。こうした短編や種々のミニ漫画と平行し、超大作「オグナ伝説」の執筆開始。
 この年もクラス換えがあり、そこでの雰囲気は受験勉強をみなで楽しむ、というものであった。真剣かつなごやかでさわやかな中間試験や期末試験の競争は素直に楽しかった。特に
国語倫理は得意なだけでなく興味も強く、そうとう真剣に勉強に打ち込んだ。予備校にも友人と共に通うようになった。また、漫画の技術も格段に上達し、「森の少年」で少年サンデーに初の持ち込みを敢行。全く認められず、その作品は9月発行のMB5に収録。この年、初めて女性からの告白を受け、思うだけの一方的なものではない恋愛というものを初めて実感する。しかし理想に浸る生活に別れがたく断ってしまう。
 一方、文学に対する興味は昨年に引き続き教わった河村氏の他、
山下勇人氏、そして予備校の木村博氏の影響なども加わり強まっていく。文化祭で『レ・ミゼラブル』の脚本・演出に参加したことなどもあり、この頃から外国文学外国思想・教育にも興味を示すようになる。また、この頃文通で田中宏治の友人千街晶之(これは現在のペンネームだが当BBSではこの呼び方に統一する)を紹介される。
永井荷風、田山花袋、国木田独歩
ツルゲーネフ『猟人日記』
トルストイ(自伝的作品、短編、
聖書
ルソー『エミール』

アニメ映画『火垂るの墓』

牙(KIBA)(原案/キャラクターデザイン)、クリスタルムーンストーリー(演出/作画)(以上MB4収録)

森の少年(MB5収録)

オグナ伝説砂漠編

忍風伝説

KとT(初期版)

朝日(初出は生徒会機関誌『園生』)

1989(平元)
19歳浪人  大学受験を経験する。北海道の田中宏治もこの時期受験に上京するが、二人で古本屋めぐりなどを楽しむ。国立大学(学芸大学など)や、早稲田大学を筆頭に多くの大学を受験するが、ことごとく不合格に。浪人はしないと決意した田中にも影響され、一時期は進学を諦め漫画に専念しようとも思うが両親の強い反対と説得に応じて浪人を決意。しかし漫画はこの時期も描き続けた。なお、田中は1年間地元でアルバイトをして資金を貯め、次の年に上京し共にデビューに向けて合作していくことを決意。ただしこの頃から既に両者の作風は片や文学系に、方やアート系にずれており、合作は難しくなりつつあった。
 卒業を目前にして、昨年告白を受けた女性から再度告白を受ける。仲立ちをしてくれた女性との間にも恋愛感情が発生するなど卒業後一時期混乱・葛藤するが、しだいに状況が固まり、元々告白を受けた女性と付き合いが始まる。
 またこの春、父母の実家を訪ね歩き列車で一人旅を楽しむ。この経験を元に、のちに短編紀行漫画を製作する。
 田中の友人の
千街氏が受験に合格し上京。田中の上京に1年先駆けて、東京での今に至る交際が始まる。千街や岩田と共に編集し、初夏にMB6を発行。オグナ伝説予兆編をコピー誌で発行。作者の中で続く葛藤を主な原因に、付き合っていた女性との仲はこの頃から不協和音を生じ始め、秋の始めには女性側から別れを通告されて破局。この頃から加害者と被害者の問題など、深く複雑な葛藤や思想を考えるようになる。自作品だけでなく、他者の作品に関しても、重厚で悲壮な作風を好むようになった。
カムイ伝(第2部)

バロン吉元

一ノ関圭

ラーゲルクヴィスト『バラバ』
リルケ『マルテの手記』
ドストエフスキー『罪と罰』
ヘッセ『デミアン』
ミシュレ『魔女』

岸田国士『ぶらんこ』『古い玩具』(初期戯曲)
横光利一『春は馬車に載って』『花園の思想』(中期短編》

映画『千利休〜本覚坊遺文』『罪と罰』『尼僧ヨアンナ』

アニメ映画『魔女の宅急便』

夕富士(MB6収録)

オグナ伝説予兆編

1990(平2)
20歳大1  7校を受験するが、文学科は全て不合格、唯一合格した青山学院大学文学部2部教育学科に進学。なおこの春も恒例の九州旅行を楽しんだ。
 
田中宏治北海道から上京、作者の実家近くの新宿区落合に住いを借り、本格的にデビューを目指し合作を始める。6月、早速MB7を発行。作者は重大な掌編『木鍵回想』を発表。同時期にオグナ伝説洗礼編を完成、発行。
 6月には
青学漫画研究会を訪ね、そのまま入部。月刊コピー誌や厚木祭・青山祭での似顔絵などの積極的な参加に加え、夏に作られた機関誌あおやんまの37号に大作『劇団ショウの罪と罰第1部』を発表したことなどを認められ、秋からは月刊コピー誌編集長を務め、以後1年間フリートーク禁止令など独自の政策で誌面を充実させる。自らもコピー誌に毎号小品を発表。田中宏治・岩田泰明・千街晶之らとモダンボーイズも製作。
 晩秋に催された漫画研究会OB総会(第1回)でOGの
中山乃梨子氏と出会い、以後数年にわたりヘルプでアシを務める。
 漫研のストーリー漫画描きの間で作られていた同人誌『想画集』に参加を許される。

トルストイ『芸術とは何か』

ガルシン『赤い花』『アッタレーア・プリンケプス』
チェーホフ『桜の園』『かわいい女』
トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』『べニスに死す』
オルテガ『大衆の反逆』

映画『サンタ・サングレ』『ブレードランナー』

アニメ映画『機動戦士ガンダムF91』

『木鍵回想』『香椎の杜から』(MB7収録)

『劇団ショウの罪と罰第1部』(あおやんま37号)

幻譚シリーズ

1991(平3)
21歳

大2

 冬休みを利用し、『古代戦士ハニワット月読伝説(第1話)』を製作、あおやんま38に掲載。月刊コピー誌で『KとT』連載。またモダンボーイズのメンバーで『グラールの聖杯』を合作するなど盛んに活動。春からは父からの原案を元にした『PKO』を製作、スピリッツ賞に投稿するが落選。やむなくあおやんま39号に掲載。夏休みに『面食いショウの孤独』執筆。これが講談社アフタヌーン四季賞準入選に入賞。以後コンテを作り続けるがうまくいかず。
 秋の代替で
あおやんま編集長に。このころから1年女子と上級生の間に様々な問題が発生、部長と共に代理戦争の矢面に立たされることとなり、またそれに個人的な恋愛問題などが絡むなどして卒業間際まで部内での消耗が続いた。
 田中宏治とは春に初のオフセット誌『春愁』を出すが、その後
合作は困難となり中絶。その後田中は音楽方面に進み、作者はソロ活動を決意する。アフタヌーンでの納得の行かぬ直しやボツに業を煮やし、却下された原稿を密かにペン入れ、小学館に投稿。その『康子』ビッグコミック賞佳作(掲載はなし)に入賞。目標をビッグコミック系に変更する。
 またこの年より漫研の他に青学特有の、教授などが主催するサークルの一種であるアドバイザーグループの一つで、児童文学中心とは言いながら実質はジャンルと問わずにいた
藤田アドグル(別称リテラリイギルド)に積極的に参加、久野檸檬などと知り合い、以後交友を深めることになる。
トーマス・マン『魔の山』『十戒(掟)』『マリオと魔術師』『混乱と幼い悩み』『ワイマルのロッテ』

チェーホフ『決闘』

映画『最後の誘惑』

竹取物語

『古代戦士ハニワット月読伝説(第1話)』(あおやんま38)
『KとT』

『PKO』(あおやんま39)

『面食いショウの孤独』(添想画集3)

『康子』・『贖罪』(あおやんま40)

1992(平4)
22歳

大3

 春に漫研内での個人的な恋愛問題が一部解決し、『蟲愛づる姫君』などのモデルとなる女性と交際を開始。様々な問題に悩まされながらも、充実した日々を送る。
 父親が札幌に単身赴任となり、母と共に
荻窪へ転居、初めての民営貸マンション住いを経験(それまでは全て自衛隊官舎)。
 前年より編集部に担当が付き、コンテを直す作業に追われた為にこの頃から一気に作品発表が減る。それでも没になったものの中から自信があるものをペン入れしては賞に応募する。その度に評価が下がり、商業誌デビューを目指す創作活動は暗礁に乗り上げる。同時にあおやんま40号に『康子』『贖罪』合計60ページ以上を同時掲載。部内から不満の声があがり、結局個人的に印刷費の一部を負担することに。
 また、この頃から漫研内でエロ同人誌を作ろうという気運が高まり、後の
高岡基文氏や的良みらん氏などと共に「ゴッドな漫画製作委員会」を設立、以後数年間、コミケ合わせで同人誌を発行することとなる。またこれに合わせ、作者はこの本に参加する時のみ江露巣主人を名乗ることになった。なおこの集団には、後の林マリオ氏なども参加し、青学漫研に成人向け漫画の流れを作った。久しぶりに田中宏治と投稿を意識して合作を製作。新書館の賞に応募するが1字審査落ち。その後もう1作合作に挑戦するが、未完。その後は今に至るまで合作は復活していない。田中はバンド活動に専念。
トーマス・マン『ファウストゥス博士』『選ばれし者』『欺かれた女』

シュティフター『石さまざま』『晩夏』

ディドロ『ラモーの甥』

バイロン『カイン』

堤中納言物語

平仲物語

方丈記

風姿花伝

『カフェで』(想画集4)

『最終快速』(江露巣主人名義)

『幻』(武田治名義/田中宏治との合作)

1993(平5)
23歳

大4

 漫研などでの激しい苦悩などが肥やしとなった自信作『掃除当番』が1次審査にも及ばなかったことで、さすがに息が切れ、商業誌向けの活動を一切停止。
 酒井助教授の指導の下、
卒業論文『現代日本に於ける弱者至上主義に対する批判的考察』の製作に専念する。また、6月に母校東山中学で国語の教育実習を受けるが、あまりの過酷な要求に打ちのめされる。女性との仲もこのころから険悪になる。
坪田譲治『ねずみのいびき』

新美南吉童話全集

有明の別れ

とりかえばや物語

『掃除当番』(あおやんま

論文『現代日本における弱者至上主義に対する批判的考察』

『夏休みダヨ!綿棒地獄』『珍満州氏珍玩コレクション』(江露巣主人名義)

1994(平6)
24歳  新中野(杉並区和田)に転居、留守番という形で一人暮らしが始まる。
 大学の卒業に合わせ、初のオフセット個人誌
『掃除当番・贖罪 他三篇』を自費出版。胡蝶社を立ち上げコミケやコミティアなどの即売会に参加し始める。即売会向けに『蟲愛づる姫君』を執筆。前後編に分けて自費出版。この頃コミティアで原田みどり氏と知り合い、コピー誌ながら二人誌を企画したりする。
『蟲愛づる姫君』

『フリークマーケットで天地無用!』『幼女牧場に神の仔らを見た!』(江露巣主人名義)

1995(平7)
25歳  大学の先輩にあたる小野橋船子氏の発案により、創作文芸誌ぴろう創刊。以後同人として中心的に関わっていく。2年間の自費出版活動とこのぴろうでの自由な創作で活力を取り戻した作者は、久しぶりに商業誌向けに作品『8月31日』を作る。1次審査も通らなかったが、担当は付き、再び商業誌デビューへの戦いが始まる。 『機動戦士Vガンダム』

『伝説巨人イデオン』

アニメ映画『耳をすませば』『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』

『M』
『J』
『8月31日』

『大間田平樹に父の涙を見た!』『みゃあこの思い出』(江露巣主人名義)

1996(平8)
26歳  それまで数年間、毎年2回描き進めてきた江露巣主人名義での作品を、周囲の要望に応え、1冊にまとめ自費出版することにする。それに合わせ一連のストーリーの完結版を製作。『江露巣主人大全』と題し夏のコミケで売り出したところ、一部で話題となった。
 付き合っていた女性との仲がいよいよ悪くなる中、それを打破しようと真剣にデビューに向けて当時としては最後の隠し球であった『屋根の上の魔女』のコンテを投入、手直しを続け、ついに担当からOKをもらい全力で執筆。秋にはその佳作受賞、すなわちデビュー決定の内定を受けるが、間に合わず女性とは破局。以後傷心の数年を送る。
『大間田平樹に76才なりの意地を見た!』(江露巣主人名義)

『江露巣主人大全』(個人誌)

1997(平9)
27歳  3月『屋根の上の魔女』ビッグコミックオリジナル新人増刊号に掲載、これが商業誌デビュー作となる。
担当にスペリオール誌活躍中の
高田靖彦氏を紹介され、『演歌の達』第1回を緊急にアシスト。以後数年にわたりメインアシスタントを務める。
 また、コミティアの原田氏の紹介とデビュー作の評価により、
ワニマガジン社から単発で発売された独特の作家を集めたホラー漫画誌『平成50の怪談』に参加。
アニメ映画『もののけ姫』

『インフェルノ』『シャドー』

『屋根の上の魔女』

『天狗の張り紙』『獣面』『必ず出るコンビニ』『ヴァンパイア』(原作/樋口明雄編著「超怖い話」)

1998(平10)
28歳  両親が武蔵小金井にマンションを購入し、作者は新中野から、武蔵境(三鷹市井口)に転居。本格的に一人暮らしが始まる。デビュー後も次回作のコンテがなかなか通らず腐心するが、なんとかデビュー後第1作『ポケットにナイフ』のコンテがコンペに残り、掲載が決定。初めて掲載確実な『仕事』を経験。また約2週間での締め切りのある仕事としても初めての経験となった。
 また、春に友人の紹介で
本田基氏と知り合い、夏のコミケに成年向け二人誌『夏の日のオーガズム』を出版。同人誌サイズで『勇』を製作。
 他にも、大学時代のアドグルの同級生の紹介で、テレビ東京製作の深夜ドラマ
『つげ義春ワールド』に参加。『やもり』では根津甚八氏の代役で、山口美也子氏の腕にやもりを描く「右腕」を演じ、『義男の青春』では主人公やエロ漫画家の原稿などを製作した。
 さらには
FOX出版から江露巣主人名義での注文が舞い込み、アンソロジー向けに描くなど、思いがけぬ楽しい仕事が舞い込んだ年であった。
楽しいムーミン一家 『ポケットにナイフ』『勇』

『レイプ主人誕生!』(江露巣主人名義/FOX出版『激漫』?2収録)

1999(平11)
29歳  ビッグコミックのコンテは相変わらずなかなか通らなかったが、正月明けに、97年に参加したホラー漫画の責任編集者から「今年も出す」と連絡が来て、再度参加することに。その編集者とヤビツ峠を取材するなど楽しく仕事をする。春にそれを描いている間にちょうど提出中の「シャイ子と本の虫」のコンテにOKが出て、夏はそのオリ『恐怖の実話怪談』という雑誌名で初夏に売り出され、「シャイ子」の方は昨年と同じビッグコミック新人増刊号の秋の号に掲載された。ホラー誌では全員入稿後、打ち上げが催され、黒坂圭太池部ハナ子羽生生純古屋兎丸氏などと飲み明かす。 映画『らせん』

アニメ映画『人狼』

『シャイ子と本の虫』

『ナビゲーター』『まりをつく』『赤い卵』『食堂にて』『団体』(「恐怖の実話怪談」収録)

2000(平12)
30歳  高田氏の職場で菊池直恵氏と知り合う。
 11月、初めての海外旅行で約10日間
南インドへ。これを機にスランプ脱出へ。
2001(平13)
31歳  1月にパソコン購入。春に、1年をかけて仕上げた『蛇を飼う女』、小学館でやはり不採用決定。
 6月、
当ホームページ及び掲示板開設。
 『蛇を飼う女』を講談社
アフタヌーン四季賞夏のコンテストに投稿、佳作受賞。掲載はならずも担当が付き、『まんぼう』コンテの採用が決まる。10月に製作・脱稿。その後次回作コンテをいくつか作るが全て不採用に。年末のコミケ合わせで『蛇を飼う女』を自費出版。

11月頃より、掲示板が文学色を強め、しばらく離れていた古典文学に再び触れ始める。

『蛇を飼う女』
2002(平14)
32歳 5月にアフタヌーンシーズン増刊に『まんぼう』掲載。

その後、新作コンテをいくつか作りアフタヌーン編集部に提出。『鈴木先生』コンテ第3稿が会議にかけられるが、チーフの決断で却下に。方向性を考え直すため沈黙に入る。

8月、長年続けた高田氏のアシスタントを辞める。以後、長い充電期間に突入。

同じく8月に、ドストエーフスキイの会に参加し始める(11月に正式入会)。

9月に、高田氏の若手アシスタント仲間とともに、漫画合宿を企画、参加。

11月頃から、長編『贖罪』の準備にとりかかる。

ドストエーフスキイ『未成年』『弱い心』

川端康成『みづうみ』『千羽鶴』

横光利一『家族会議』『雅歌』

『まんぼう』
2003(平15)
33歳 読書にふける。

2月、大学漫画研究会の後輩達による妖怪専門同人誌「もののけアワー」2号(木の子氏主催)に、7ページの短編『右馬之佐東行日記』を執筆(4月、発行)。

4月、ドストエーフスキイの会で『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』読書会の発表を行う。同日、木戸佑兒氏と知り合う。

5月より、木戸氏がハイナーミュラーザワールド参加の劇『画の描写』上演のために作った劇団「東京(n-1)」に美術として正式参加。8月に、仮公演出演決定。以後、年末まで漫画を忘れて演劇に集中。

9月、池袋路上や公演での野外公演含む仮公演に、鳥役で出演。本公演出演決定。

12月12〜14日麻布die pratzeにて、『画の描写』本公演。男3役で出演。チラシ・舞台美術デザインも担当。自劇団以外にも、フェスティバル参加団体や周辺関係者との交流を深める。

*7月より、『蛇を飼う女』をスタートに、A5廉価版シングルコレクションを自費出版で発行し始める(8月『屋根の上の魔女』『シャイ子と本の虫』)。

ドストエーフスキイ『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』

モーリアック『パリサイ女』『仔羊』

岸田国士『鞭を鳴らす女』『牝豹』

ハイナーミュラー『画の描写』『ハムレット/マシーン』

シェイクスピア『ハムレット』『リア王』

『右馬之佐東行日記』
2004(平16)

34歳 *この時期から先の芸術活動以外のプライベートな情報は、現状では省略してあります。

アトリエ兼住居を三鷹市井口から小金井市前原町に移す。

6月パフォーミングアーツプラン第3回公演『悪女について』(構成演出:山本艶・川崎毅)にて、小島誠役で出演

9月元東京(n-1)の石川靖子・小田幸子氏と3人でパフォーマンス発表(アイヌ神謡集よりトワトワト〜カッパレウレウカッパ)

晩夏より、漫画活動の本格的復帰を目指し準備開始

9月から12月にかけて『鈴木先生』執筆 年末に営業活動。

ドストエフスキイ『カラマーゾフ兄弟』

ラーゲルクヴィスト『巫女』

ラーゲルレーヴ『ポルトガリアの皇帝さん』

2005(平17)
35歳 春より原作付の単発の仕事を抱えて漫画活動再開

『患部撮影』(作画)(『現役医師の告白 病院の怪談』・竹書房)

漫画実話ナックルズ5月号に『奇妙な死1死んだ夫は誰だったの?』6月号に『ハサミ男の影』で参加(作画)

演劇活動一旦全面停止

5月〜6月 『鈴木先生』前後篇が漫画アクションに掲載

志賀直哉『児を盗む話』

加賀乙彦『頭医者』

『患部撮影』
『奇妙な死1死んだ夫は誰だったの?』
『ハサミ男の影』

『鈴木先生』前後篇

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