右馬之佐異界行覚書

 過去ログ

(うまのすけいかいいきおぼえがき)

   どうかmmanosukeikaiyikioboegakiと発音して下さい…なんてね。

読書、映画鑑賞など、日常の現実以外での体験にまつわる感想などを覚書程度に書き付けます。
もし話にノって下さる方がいらしたら、それはいつもの掲示板に書き込んで下さい。
そこから先は、ぼくも入り混じって掲示板の方で展開させましょう。

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*タイトルと違うジャンルの作品に着いての書き込みが含まれている場合があります。

映画 読書 その他(漫画・アニメ他)

マイノリティーリポート VS デモンズ’95

2003/09/25

古本購入記録が脱線して、クラウス・マン『メフィスト』〜ハインリヒ・マン『嘆きの天使』

2003/09/27

中村融訳『地下生活者の手記』

2003/09/28

石森章太郎サイボーグ009「ディープスペース」入手アンド読了

2003/10/08 (水)

デモンズ’95 補遺

2003/09/26

ハムレットを福田恆存訳で読了、したんですが…

2003/09/30

木下訳ハムレット/ピーター・ブルック著作物/ねずみのいびき/人間の建設/フィリップ全集〜穴八幡青空古本市などでの収穫

2003/10/01

超楽しみにしていた映画『黄金の法〜エル・カンターレの歴史観』鑑賞、とジョーアンド飛雄馬最終号購入

2003/10/28 (火)

マハーバーラタ前半のあらすじ

2003/10/17 (金)

またもや古本購入記、だけではあんまりなので、スタニスラフスキイ『俳優と劇場の倫理(エチカ)』について少し

2003/10/04

ドスト『小英雄』読了仮報告

2003/10/11 (土)

辻希美ソロ写真集ついに発売(涙・涙・涙)

2003/11/15 (土)

黒沢清『ドッペルゲンガー』、『CURE』以来初めての納得

2003/11/22 (土)

今日の収穫〜対訳ハムレットついに入手!他

麻原彰晃『マハーヤーナ・スートラ』など

2003/10/25 (土)

小田島訳、いいんじゃないの??

2003/11/01 (土)

続・辻希美ソロ写真集ついに発売(涙・涙・涙)

2003/11/17(月)

ユリイカにおけるハイナー・ミュラー     

2003/11/01 (土)

ハムレットは狂ってる

2003/11/04 (火)

@BUBKA今月号の超絶スクープの20秒の映像に果てしない感動。

2003/11/19 (水)

小田島訳リア王読了。

2003/11/22 (土)

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2003.11月

小田島訳リア王読了。

2003/11/22 (土)

若い頃数作読んで唯一気に入っていたシェイクスピア作品である「リア王」ですが、

今回読み始めてみると、やはり他の作品同様の部分で抵抗感を感じ、やはり、20代前半からつい最近までの間に読み手としての僕自身のストライクゾーンがせばまっているのだ、と深く感じました。

しかし、ここ最近(ここ1年くらい)では、それがまた開きつつある。

その流れもあるかもしれませんが、中盤からは、ぐっと面白く読み、読み終わった今では、やはりこれは好きな作品だった!と、昔とはまた違う切り口も加えて、そう思います。

余裕がないのであまりしっかり書けませんが、まず一言書くとすれば、実感は、

間に合わなかった回復

ということでしょうか。

この悲しさは、ぼくの、まさにストライクゾーン中のストライクのひとつです。

他のシェイクスピア悲劇でもこれまで読んだものはみなそうですが、とりかえしのつかない悲劇の発端は、既に最初のシーンが始まる前に、済んでしまっているんですよね。

リア王で一番わかりやすいのは、リア王自身のこれまでの人間としての学習不足。

これが、彼自身に帰ってきた、また彼が王たるゆえに国までも巻き込んだ、問題の最大事ですよね。

対人的な学習や訓練の不足がたたり、教育も間違ってしまってきていた、しかもそれが既に先送りされてきたあるいは無視されてきた問題が水面上に出てきてしまっているということが、既に冒頭から多くのエピソードに盛り込まれています。

リア王に限らず多くの人物が、劇中で、いろいろ「反省」したり「後悔」したり、また「目が開けた」と自覚したりするわけですが*、

とにかく遅い。全て間に合わない。

*しかもその「反省」や「目が開けた」も、単に、以前第1印象に囚われていたのが、第2印象に囚われただけに過ぎない、どうも進歩や成長とは断言しにくいものもあって、極めてビミョウです。

反省した人物に向けて、過去の失敗や罪が、他者を通して帰ってくるのですが、それを読んで(観て)、その他者の行動を憎む人もいるかもしれませんが、やはりここは、ただただ悲しむべきかと。

枝葉の単純な教訓を導き出すための素材としては、大いに問題がありますね。

そのくせ、妙に勧善懲悪的な作りになっているのは、これはもはやシェイクスピアのいたずらなんでしょうか。

ハムレットと同様、リア王の悲劇は、なんといっても自分自身の内なるものの悲劇なんでしょう。

当たり前なことばかり書いていて申しわけない。

訳としては、同作品での他の訳者との比較はしていませんが小田島訳の比較の中では、あまり感心しませんでした。

キラキラしていたのは、道化と、身をやつしたエドガーのみ。こういうのが得意な人なんでしょうね。

他の方の訳も読まないとだめかも。

しかし、オセローやハムレットはいくつも映画となりビデオ化されているのに、マクベスとリア王は全然見かけない。

これはどういうことなのでしょう?なーんとなくわかるような気もしますが、これに関しては留保、留保。

黒沢清『ドッペルゲンガー』、『CURE』以来初めての納得

2003/11/22 (土)

以前、ビデオで『CURE』を観て、気に入らないところはあるものの、かなりいい監督であるとの実感を得たので、その後も、何作かチェックしていたのですが、

どんどんぼくの趣味から離れてつまらなく、また不快になっていく…。

それでここ1〜2作は観てもおらず、ぼくの中では彼の作品を観ることの優先順位は果てしなく低くなっておりました。

今回は、上演していたことも全く知らなかったのですが、

ぼくの役者としてのなにか参考となる作品を紹介して下さいとお願いしてあった、劇団の和田さんから、「友だちがいいって言ってたよ」と、又聞きでのお薦めがあったんです。

なにしろ黒沢清監督作にはかなりの不信感を抱いていたので、疑問はあったものの、思うところあって、また、もうすぐ上演も終わると聞いていてあきらめかけていたところに

ふとドンピシャでその上演時間に暇が出来たという偶然の縁の助けも感じ(ぼくの場合何に関してもこれはかなり大切にする)、先ほど出かけてきました。

上演が新宿武蔵野館のレイトショウだったこともあり、上演前の予告のラインナップは、ぼくが吐き気を催すようなテイストのものばかり。

それでまず頭痛がしたのですが、

冒頭も、ぼくの嫌いな黒沢節全開で、「うわ・・・」って感じ。しかしすぐにところどころ、ハッとするシーンが増え、気に入ってきました。

前半、とてもうれしかったのは、『CURE』で評価していた、異様なほどの「コワさ」が復活していたことです。

ワンシーン、ワンシーン、いちいち細かいとこまでコワい。

これでぼくのハートをつかんだ本作ですが、後半はいわゆる「笑える」「ヒートする」意味での面白さで引っ張ってくれました。

ぼくの好きではない、正統派痛快ムービー、ロードムービーの正統な後継、という感じでしたが、そのキラいなものをぼくにも楽しませてくれるなんて、やるなあ、という感じ。

バッドエンドかハッピーエンドか、どっちに転ぶのかが最後まで揺さぶられてわからず、結局すごい状態でオチを迎えました。

このオチもぼくとしては◎。最高。

さすがに気になったのは、日常会話でのやりとりのセリフの内容や言い回しでしょうか。時々、あまりにイカニモ過ぎる。電話を受けて「なんだ、キミか」というような(そんなシーンはなかったですけど、失笑するものが随所にありました。わざとかもしれませんが、これはぼく的にはマズいと思います。

もともと和田さんに頼んでいたのは、不条理的な発声や語りの参考、ということだったのですが、そういう意味では、イマイチわからなかった。

むしろ正統な娯楽映画の演技の楽しさを感じましたね。役所氏の評価も復活した。

役所氏に限らず、黒沢(清)映画の主要役者は、存在感もまた経験やテクニックもすごい人をかき集めて、そういう人たちの過去の遺産で、成り立っているような、そんなイヤさを感じたものですが、

今回の役所氏は、そういう部分はあったにしろ、気にならなかった、魅力的でした。

ユースケ・サンタマリアも、今回はとてもよかった。

永作博美は、ぼくは「ああ、この人が永作博美っていうの」という感じで、最初は気に入りませんでしたが、後半は合格点に達した。役にはぴったりですね。

佐藤仁美がきれいだった。こういう助手、いいなあ。

柄本明氏の演技は、上記の「そういう人たちの過去の遺産で」という印象の中にとどまった。というより、ほんとに「お仕事でやってます」みたいな感じで精彩がなく残念でした(精彩のない役だったから、という意味とは違うレベル)。

*和田さんご自身、是非ご確認ください(笑)新宿では来週までやってます。

しかしなにより、ぼくの精神衛生上の大いなる助けになりました。ここまで今の僕の心に、細かいところまで寄り添ってくれる映画もあまり他に

ないように感じます。

ちょうど今日小田島訳リア王も読了したんですが、後半部の世界観に重なるものを感じました。たぶんぼくの今の心がますますそうさせるのでしょうが。

もうひとつは、黒沢監督の評価がぼくの中で回復したこと、今後がまた楽しみになりました。

自分の中の誰かや何かの評価や期待が蘇ることって、それだけですごくうれしいですよね。

いい心の洗濯になりました。

しかし、確かここ数作の黒沢(清)映画は、わりと多くの映画館でかかっていたと思うのだけど、今回単館ロードショウに限りなく近い状態での公開というのは、やはりそのここ数作の評価や興行などが祟っているのだろうか。

これこそ大々的に公開すべきだと思うんですがね。

「ここのところの」評価って、怖い…。

BUBKA今月号の超絶スクープの20秒の映像に果てしない感動。

2003/11/19 (水)

雑誌を久々に購入。@BUBKA2004.1月号(苦笑)。

おまけのDVDに入っている映像も(というか、それがかなり目的のものだったりするんですが)、期待通りのもので、いやまったく、裏で高い金払ってだまされる(=クソ画像)ことないなあって感じです。

こんなものが1000円弱で手に入るなんて、ね。

もちろん目的の記事(と動画)は、

「超絶スクープ映像!あの国民的アイドルグループの見てはいけない禁断の驚愕映像」

全員分ではないのだが、肝心の、肝心のぼくの●の様が、入っている(だから買った)。

こうした、人の目に触れない行動様式まで、やはり他のメンバーと較べても断然僕好みだったのは、ほんとに泣けるほどうれしい。

なんてさわやかで小気味いいんだろう。

しかし、は、早い!まるでシャア専用ズゴックだ。

ほんとに素晴らしいので、やましさも感じないほど。他のメンバーのものを見ていると、さすがにうらぶれた気分になってくるのだが。

真摯に生きてみようという、力が湧いてきますね。

この20秒の映像はぼくの宝物にします。

…なんかここのところ、少しばかり内容が荒れているなあ。

まあ、トーマス・マンや川端康成が好きなんだから、しかたないですよね。

きっと『牝豹』を書いた岸田国士も、辻希美の真価は評価するでしょう。

といっても、『牝豹』の勝浦ヒナのようには、のの様にはなって欲しくないですが。

続・辻希美ソロ写真集ついに発売(涙・涙・涙)

2003/11/17(月)

昨日のに書き忘れた、もうひとつのお気に入りショット。

輪投げの連続写真。

ののは、注文をつけられたときの表情は、芸能界の中で見ると、いささか硬い(そこがいいのだけど)。

なにしろ好きなものにむかっているときの、あるいは何かに打ち込んでいる時の、素の顔が最高だ。

どなたかのホームページで見た、テレビ放映のものをとりこんだアメ細工制作時のスチールの横顔。

また、モー娘。特別編集のムック本での、お菓子制作ショットの、これまた横顔、これも素晴らしい。

今回の写真集では、この、コーンに向けて輪投げをしている間の、真剣かつ活き活きした、まさに新鮮な魚のような魅力的な表情の変化。

予備校だとか私立中高校、大学などのポスターやパンフでよくある、授業を、シャ−ペン片手に真剣に聞いているあの女学生の眼にも似ている。

連続写真だというのがまたよい。

なお、ふと気付いたが、裏表紙の、草原で、サンバイザーつけての、左手腰、右手突き出しポーズは、

トーマス・マン原作、ビスコンティ監督『ベニスに死す』のタッジオ(ビヨルン)を思わせて、なかなかよい。

しかし、この写真集、書いたように、脚の露出が大変少ないのだが、キャミやタンクトップなど、やたらと肩から二の腕への部分の露出は多い。

また、以前お太りになられていた時は、ひとりだけ露出を許されなくて本人ショックだったという、ヘソ・ハラは今回はとてもよく見えている。

素晴らしい。

写真集とは全く関係ないですが、ついでに書くと、小田島訳『リア王』もうちょっとで読了です。

辻希美ソロ写真集ついに発売(涙・涙・涙)

2003/11/15 (土)

 

              

今はちょうどツタヤの半額期間なので、久々にビデオヤDVDをレンタルしてきました。

4つともシェイクスピア関係。

前に観て最高に気に入っていた「タイタス」、それからオリビエの「ハムレット」、それから最新の、現代版の「ハムレット」、「ロミオとジュリエット」。

1階の書店に寄り、ふとカンが働いて、写真集コーナーを見てみると…

な、なんだ? こんなの、いつ出たんだ?????

知らぬ間に、のの様(辻希美)のソロ写真集が!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

しかも加護ちゃんとツイン発売とかいうのでもなく!

ああ、ようやく時代がぼくに追い着きつつあるのか!

のの様は、最近きっとなにかあったのか、少し大人の汚れと疲れが顔に出ているので、

ばかもの、最高の時期を逃しおって、という気持ちもどうしても少しはあるのだが、

なにしろやはりいい。

これまでの、加護ちゃん映えのするシチュエーションでの、まるで引き立て役みたいな写真とはだいぶ違い、自然派の、ボーイッシュな感じや、動物好き、お菓子好きの、少女風の要素はふくんでいるものの、待ち焦がれていた歳相応のポーズや服装での写真も多く、(特にこれまでのことを思うと)非常によい企画となっています。

なにしろ、1〜2年前に企画された、モーニング娘。全員ソロ写真集発売の時には、さんざん待たされた挙句、加護ちゃんと抱き合わせの「辻加護」という写真集でお茶を濁されてしまった。

これが、上記の、加護ちゃんの引き立て役の最たるもので、ああいうコスプレ風ロリータは、加護ちゃんの独壇場で、のの様の本領は発揮されないのであった。

しかも当時は、あまりにも太りすぎていたし…(苦笑)。

しかし、やはり多くの怒りの声、疑問の声が相次いだのだろう。

それにしても、やはりあまり話題にはならないのがのの様の奥ゆかしさ。いつの間にか、ひっそりと、モー娘。水着写真集発売の話題の影で、出版されるのね。


のの様は、実は、ピンポンパンなどのお姉さん役や舞妓役などの似合う、モー娘。きっての、いや他を探しても現在の芸能界ではなかなか探し出せぬ高レベルの、きれいなおねえさん顔で、いわゆる娼婦風ではない、大人らしさにあふれているのだ。特に横顔は、明治の日本画画壇の作風を思わせる、武家娘顔。

今回はまだ、この横顔は数が少ないが、十数のパートに分かれている、その最後の方のひとつのパートでは、髪を下ろし、縦ロールの貴婦人風になっている。これが最高だ。

彼女の顔は、イメージに邪魔されない目で見つめれば、ゴマキのクセをなくしたより地味な正統顔、ややキツネ顔に偏った森高千里と、タヌキ顔に偏った飯島直子の中間にあたるであろう。

往年の竹下景子も思わせるものがある。

服装に関しては、貴婦人風の他に、キャミにペインターパンツ、水着、運動着、複数のジーンズ、そしてチェックのスカートなど。

こういった写真集としては、異例なほど、下半身の露出が少ない。

これは足が太くて短いからかもしれないが…。なにしろ最近では、年齢相応の少女の格好、と目されているものが、ドール風か娼婦風かのどちらかしかないような時代なので、ほんとうにこの写真集は貴重品だ。

服装的には、広末と、少し古い話になるが、一色紗英の写真集を思わせるものがあった、と書けばなんとなくわかってもらえるだろうか。

ああ、早く『贖罪』を世に出し、できれば映画化時の夏美役は、のの様に演じてもらいたいものだ。早くしないと、ほんとうに大人になってしまう…。

発売はワニブックスから。2500円。

表紙はここ

ハムレットは狂ってる

2003/11/04 (火)

読書日記の流れとは少し異なりますが、掲示板にふと書いた文章、ここにも載せておきます。

そういえば、ここのところ凝っていた「嫌いだったはずの『ハムレット』」読み比べ、ここまではまるのはなんでだろうと自分でも理解不能でしたが、なんとなく理由がわかってきました。

『贖罪』には特に顕著ですが、かなりのテーマや構図などが、ぼくの作品にかなり直結してるんですね。ハムレットの表面的なキャラクターがぼくの嫌いなタイプなので気付きにくかったのですが、解釈さえ加えれば、ぼくの描く主人公とかなりリンクするんです。

ぼくがハムレットを面白く読むために必須の解釈は、ハムレットは狂ったふりをしているのではなく、実際狂っていた、ということです。

ユリイカにおけるハイナー・ミュラー     

2003/11/01 (土)

ドスト会用の、ハイナー・ミュラー紹介プリントに寄稿した文章、ここにも載せておきます。


ハイナー・ミュラーに関しては、この紙面でも、既に他の方が様々な切り口で紹介をされていると思いますので、入門者代表のぼくとしましては、加えて書くことも見当たりません。

ここでは、彼について書かれている雑誌(といってもユリイカだけですが)を2冊、簡単に紹介しておくことにしました。興味のある方がそれをあたっていただけるといいかとも思いますし、また、ハイナー・ミュラーがどのあたりの人に、どの程度注目されていたかというのが、なんとなくわかっていただけるかとも思うからでもあります。

ユリイカ 1996.5増頁特集『ハイナーミュラー〜ハイパーテクストとしての演劇』

村上春樹、プルースト、アントナン・アルトー、ベケット、永井荷風、太宰 治、バタイユ…ここ10数年の間に、ユリイカの増頁特集に個人で取り上げられた作家や芸術家には、このような人たちがいますが、その中に、ハイナー・ミュラーも含まれています。

本人のテキストとしては、「ゲルマニア3」「エレベーターの男」「ロバートウィルソンへの手紙」の他、インタビュー「真実、かすかな、そして我慢のならぬ」を収録。

日本人では、谷川道子、鈴木忠志、岸田理生、岡本章、川村毅、鈴木絢士、内野儀、西村龍一、多和田葉子、堀真理子、岩淵達治、太田省吾、可能涼介、中村雄二郎、巻上公一、明石政紀、市川明、河合純枝、石光泰夫、山本耀司、木下健一、そして今回のフェスティバルの主催者である西堂行人の各氏が寄稿しています。

外国の方では、R・ウィルソン、J・ジュルドゥイユ、S・ノルディ、T・レーマン、G・シュルツ、G・リューレ、H・ゲッペルス。

ユリイカ 1985・11増頁特集『世界の演劇人は語る』

まずこの特集頁の頭を、ハイナー・ミュラーの『エウロパ・トランジット』というテキストが飾っています。それに「ヨーロッパ劇場とクライスト」という詳細な解説をつけているのが佐伯隆幸氏。他には、岩淵達治氏によるH・Mの代表作『ハムレット/マシーン』の全訳と、『ハイナー・ミュラーと現代ドイツ演劇』という評論も載っています。

 ハイナー・ミュラー以外の記事にどんなものがあるかというと、例えばピーター・ブルック演出「マハーバーラタ」に関するものなどもありますが、例えばアラバールが「ブレヒト、アルトー、ベケット」などという歴史の流れを振り返りながら現代演劇を語る、というように、過去の人間の名を挙げて、本人がインタビュー形式で語っている記事はいくつかありますが、現在活躍している演劇人個人を取り上げた記事はありません。まあ、そのくらい、現代演劇の世界的展望の中ではハイナー・ミュラーが数少ない注目株にあたっていたようである、という印象を抱いていただけるでしょうか。

このような記事で、少しでも感心を持っていただけると幸いです。  

小田島訳、いいんじゃないの??

2003/11/01 (土)

なんか、嫌いだったはずなのに、すっかりはまってしまった「ハムレット」。

ついに、昨日出会いが重なり、岩波文庫旧版(市河・松浦訳 *知ってます?最近新訳になったんですよ)、ちくま文庫(松岡和子訳)、そして白水uブックスの小田島雄志訳をもちろん古本でまとめてGETしてしまいました。

とりあえず冒頭だけ読み比べしてみたのですが、小田島訳だけが、バナードーらに対するフランシスコーのセリフが敬語になっている。

ケネス・ブラナー主演・監督の映画でも、このような感じになっていました(フランシスコーが若く、他が年配の配役となっている)。これ、いいんじゃないですかね。邪道の特殊解釈なんでしょうか?

今日は電車の中で小田島訳を読んでみましたが、今のところ突出してよいです。

とりあえず今日はこんな感じの途中報告でした。

超楽しみにしていた映画『黄金の法〜エル・カンターレの歴史観』鑑賞、とジョーアンド飛雄馬最終号購入

2003/10/28 (火)

今日は、なんとしても見逃せないゼと数週間前から肝に銘じていた映画『黄金の法〜エル・カンターレの歴史観』 を観ることが出来た。

ソウデス。大川隆法総指揮の、宗教映画デス。

いや、実は数年前に、たまたま前作『太陽の法』の、叩き売りチケット(たしか500円)を手に入れ、冷やかし半分、暇つぶし半分で観たところ、トンデモ歴史好きのぼくには、けっこうツボの内容で、

また、AKIRA上映やジブリ創立以降の大型アニメ映画からは失われてしまった、大胆な壮大さが生きているという貴重な存在としても、なんだかありがたい気がしていたのでした。

火の鳥2772とか、地球(テラ)へ、とか、ぼくの大好きな時代の劇場大作アニメのにおいがして、それが快感なのだ。

もちろん、いかにも宗教宣伝的な匂いも強く、薄っぺらい不快さもあるわけで、まともに評価は出来ないけれども、最初からそこさえ覚悟して、期待せずに観れば、チンケな今風のアニメや文芸風味小劇場映画よりもゼッタイ評価は上になる。

で、今回も、夏の終わりごろからこの新作の宣伝が駅や街頭などで目に付いて、お、今度も見逃せないぞ、と気をつけていたのです。

なにせ、このシリーズはレンタルビデオ屋にも入らないし、わざわざ高い金を出してソフトを購入する気にもなれない、という理由も前提として手伝っていますし、ゼッタイ劇場で観るぞという決意の中には、セットで「ゼッタイに格安でチケットは入手してやる」ということも含まれている。

こないだ池袋に用事があったついでに格安チケット屋に寄ったら、期待以上の「300円」というひどい投売りがされていて、狂喜して購入していた。

その後、演劇などで忙しく観る時間がなかったが、ようやく今日はその時間が取れたというわけだ。

で、感想は…。うん、前回と同様な意味で、よかった。期待通りの方向で。しかし較べると前回の方がもっと感動したな。

こないだは、地球の生成から、正史にはないアトランティス時代の繁栄、それからその後に出たブッダなどの宗教的超有名人物の紹介など、そうとうに映像的にも構成的にも壮大なものに仕上がっていた。

今回は、未来の少年少女がタイムスリップして、という「シカケ」のもとに、詮索の後半部と似たようなシーンが串団子状に「紹介」されていく、それとともに主人公達が精神的に成長していく、という形になっているのだが、

このシカケが、あまりに粗雑で、さすがに寒い感があった。

いや、まあそれも覚悟済みの鑑賞なので、さほど気になったというわけでもないのですが、まあ強いて前作と比較すると、です。

観た人のために、書いておくと、最高にぶっ飛んだのは、クライマックスの選択シーン。

タイムマシンの故障で、あと1回しかタイムとラベルが出来ないという状態に陥った時、最初にタイムマシンに乗ってきた少女の時代(30世紀)に戻るか、それとも途中で拾った主人公の少年の時代(25世紀)に戻るか、という「究極の、エゴの克服と自己犠牲を試される」感動葛藤シーン(笑)があるのですが、

彼らは譲り合った後、結局主人公の時代に戻ることを決意する。帰れなくなって悲しむ少女、なぐさめようとする主人公の前に、彼女の親がタイムマシン2号機で追いかけてきてくれて、ハッピーエンド、ということになるのですが、この選択、それにともなう苦悩は明らかにおかしい。

迷わず30世紀に帰って、タイムマシンを修理してエネルギー補給し、少年を25世紀に送り返す、というのが正解だと思うんですが(苦笑)。ぼくはわりと揚げ足とりは好きじゃない方だと思うんですが、そのぼくにこう言われるというのはさすがに問題なのでは…。

まあ、そんな感じのことは、そこまでではなくとも全編にごろごろしているのですが、せっかくなので評価していることを書きましょう。

実はこれはけっこういくつもあるんですが、たったひとつ選ぶとすれば、

釈尊(ブッダ)のツラがたまらなくキュート(*正面のみ) 、ということでしょうか。他の聖人や神は、いわゆる美形、なんですが、ブッダだけ違うんです。この点だけでも(数百円でなら)観る価値ありと言っておきましょう。

この映画のユニークな点のひとつは、日本アニメではめずらしい、人物による作画監督分担をしていること。ディズニーでは当然として昔から使われている手法です。

釈尊と、ヘルメス神は、ベテラン須田正巳氏。

キャラクターデザインは、少年少女もわりとダサめで落ち着いていてよかった(清水恵三氏)。わりと好きな、羽根章悦氏の名前があったので、どこが氏の担当だろうと思っていたが、観ている間は気付かなかった。

調べてみるとイエスとモーセだったのだが、これはあまりよくなかったので、ちょっと悲しかった。彼には美少年を描かせておけばいいのだ。

この映画の伝えたかった、最大のテーマは、ヘルメス神を筆頭に、イエス、ブッダなどの優れた存在はすべて最高神エル・カンターレの意識の一部が地上に降りた姿で、実はそれが、今の日本にも降臨しているのだ!ということのようだ。

これはつまり、たぶん、(というかパンフを読めば、明らかにはっきり書いてあるのだが)、それが大川隆法氏である!ということなんだと思うのだが、当然僕としては、それは僕ではなかろうか!という気持ちで楽しむのである(笑・笑・笑)。

さて、今日は別の収穫も。ここ数年毎月の発行が続いていた、講談社の「ジョーアンド飛雄馬マガジン」 が、今月号で最終を迎えた。この二人(ちば氏・川崎氏)の描く画面は、雑誌サイズで読むと、えらく単行本や文庫版と違って、魅力の再発見がたくさんあるので、なるべく立ち読みするようにはしていたが、

あまりにかさばりそうなので、購入は避けてきた。でも最終号だけは記念に、と、購入しました。

さきほど読んでみましたが、やはりちば氏の作画の神憑りはすごい。物語後半の方がよくなっている。それに対し川崎氏の場合は、むしろ後半は、センスのない劇画風味でいたく汚れており、ときおり肝心なシーンで見るに耐えないところがある。特に、ラストで星親子が見つめあうシーンの飛雄馬のアップだけは犯罪級にヤバいでしょう。

それでもなお、今の気分で読んでみると、あくまで内容的には、巨人の星のラストの方が切実で、泣ける。

今日の収穫〜対訳ハムレットついに入手!他

麻原彰晃『マハーヤーナ・スートラ』など

2003/10/25 (土)

今まで話してきた中で、何が一番大切かって言ったら、「消極的なウソをつかない」ということじゃないかと思う。

初めにやらなければいけないことは、「自分が決めたこと、口に出したことを実行する」と言うことだね。

私は近頃九割八分くらいは実行しているけれど、二分くらいはウソをついているみたいだ。忙しすぎて。実現に1週間とか2週間とかの遅れが出ている。例えば、信徒さんの皆さんに約束したことがあるね。

まず、九州支部道場。九州支部は9月の初めという予定だったんだけど、10月15日からの契約となった。

これは45日意志の力が遅れているという証拠なんだよ。

それから静岡の道場建立の件。これも予定より動きが遅れている。土地が以上に高いという理由でね。

なぜ私がこういうことをあなた方に発表して、それをそのとおり実践しようとしているかというと、

私もシャクティパットをやっているので、意志の力が弱くなっている可能性がある。いや、実際にシャクティーパットの影響が出ているわけだけれども、それを取り戻そうとしているんだ。一所懸命。そのために有言実行という努力をしているんだ。

(麻原彰晃『マハーヤーナ・スートラ』) 

さて、今日は、掲示板に書いたとおり、神保町の古書センターでの古本市で、7冊(2000円)の収穫が。

とりあえず、特にうれしかったものを書き留めておきます。

1、『HAMLET』(澤村寅二郎訳注 研究社 昭和28年)(200円)

いや〜ついに発見。こういうのが欲しかったんですよ。対訳ハムレット!!!!

これでより楽しく各翻訳の比較検討が出来ます。しかも200円だし。

2、ユリイカ1982.11号「増頁特集ベケット」300円 300円なら買いです。ベケットは作品集しか読んでいなくて、なにか解説的な本が安く手に入らないかと探していたのです。

3、ブレヒト 演劇論 (200円) これも安くで手に入らないかと物色していたんです。

4、観覧席にて 岩田豊雄(読売選書)(400円)どういう本か説明するのに、帯の文句を書き写しておきましょう。

 『新劇ははたして危機にあるか?演劇界でもつとも指導的にある著者が、高い見識と自由な立場から述べる忠言、苦言はすべて、演劇へのはげしい熱情のほとばしりであり、新しい発展への指針である。』

冒頭の『新劇危機説』だけ読みましたけれども、なかなかよさそうです。岸田国士についても書かれています。

5、定本 横光利一全集10巻 (500円) 『春園』や『実いまだ熟せず』が収録されている貴重な巻で、しかも美本なのに、投売りとは解せない。この全集は相場がすごく高く、普通3000円くらいで売られている。

6、角川文庫「リチャード三世」福原・大山訳(200円) たまたま今日の昼に木戸さんとシェイクスピア話になった時、興味深い一冊としてあげておられていたので、これまでは対象外で買わずにいたのを、これは縁と、買いました。

そして最後に、冒頭に挙げた、

6、『マハーヤーナ・スートラ〜大乗ヨーガ教典』(麻原彰晃著 オウム出版)(美本300円)

最高です(笑)。オウム出版出版物としては2冊目のコレクション。期待に応えてくれる。

後半の第2章は、有能信者の修行(解脱)体験談集で、25歳のマイトレーヤ大使のものもある。

うれしいのは、写真がいっぱいついていること。

ケイマ大使はほんとにかわいいなあ…。


映画ハムレット味較べの結果はもう少しお待ちくださいね。

2003.9〜10.17

マハーバーラタ前半のあらすじ


2003/10/17 (金)

ちょっとここのところここの書き込みが出来ていないんで、つなぎに、掲示板に書いたピーターブルック演出『マハーバーラタ』の前半あらすじを載せときます。

これを把握してご覧になるといいですね。
なお、現在、映画版ハムレットの見比べをしています。(ケネス・ブラナーVSメル・ギブソン)
結果をお楽しみに!

*前提(大昔)部分では、

魚の匂いのする美女サティアバティと放浪の賢者との子が、語り手ビアーサ。

既にビシュマという一子を持つサンタヌウという王が(賢者と交わったことで魚の匂いの消えた)サティアバティに恋した。

サティアバティは、王との間に出来るであろう我が子に王位を継承させてくれれば結婚すると言った。王子ビシュマがいる限りその約束を果たせないと、しおれていた父王の嘆きを見かねて、王位継承権を捨て、一生娶らぬ決意を立てたビシュマは、その美しい決意を神々に認められ、死の瞬間を自らで選べる能力を与えられる。ビシュマの決意により、サンタヌウ王はサティアバティと結婚する(ふざけた親だ)。

サンタヌウ王とサティアバティの子(ビシュマの腹違いの弟)は弱い王で、子供が作れなかった。
その二人の妃にビアーサが忍びより、それぞれの妃との間に出来た子が、
兄ドリタラシュトラ(盲目)と弟パンドウ(青白)。

兄の家族が、【カウラバ家】。弟の家族が【パンダバ家】と呼ばれ、この間の争いが、マハーバーラタのストーリーの主軸となる。

*物語当時の関係は、

兄ドリタラシュトラは盲目ゆえ王になれず、ガンダリという妻をもらう。(ガンダリにはサイコロ賭博に長けたシャクニという兄弟がいる)。

弟パンドウは王となりクンティとマドリという二人の妃を迎えるが、妻を抱けば死ぬという呪いにより、子供が作れない。

クンティはある魔力を持っていて、こっそりと太陽神を呼び、子供をこさえるが、若すぎたため、ひそかにその子を川に流した。その子が御者に育てられ、カルナとなる(カルナは実はパンダバ5人兄弟の長兄である)。

その後、クンティは夫であるパンドウに魔力を明かし、神を呼んで正式に(パンドウとの子として)息子を3人儲ける。マドリにも魔力を貸し、彼女は双子を生む。

ここに生まれ揃ったユディシティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデバが、パンダバ家の5人兄弟と呼ばれる。

一方、カウラバ家のドリタラシトラとガンダリとの間には、凶暴なデュリオダナを長兄、デュシャサナを次兄とする100人の息子ができる。

王パンドウが死んだため、カウラバとパンダバの息子達はいっしょに育てられたが、

いつも争いが絶えない。それを憂いて、王家の貢献をしていた、前述の、先々王サンタヌウの弟ビシュマが、ひとりの教師を呼びよせる。それがドローナ。その指導のもとに、特にアルジュナは弓の能力をひきだされるが、やはり争いはやまない。

そこに、御者の息子と名乗るカルナ(実は5人兄弟の長兄)が腕試しに乗り込む。身分違いと無視するアルジュナに対し、デュリオダナが迎え入れたことにより、カルナはカウラバ家側の人間となり、パンダバ5人兄弟と敵対する。

パンダバの5人兄弟は、5人でひとりの妻を娶ることになる。その妻がドラウパティ(最高!たまらん!)。

と、こんな感じでおさえておくと、わかりやすいのではないでしょうか。

そこに神の使い(化身)クリシュナが入り込み、さらにデュリオダナとその叔父シャクニの陰謀(サイコロ賭博)で、5人兄弟は身ぐるみ剥がされ、放浪の旅に出る。

そして約束の13年が過ぎても、権利と領地を返さないデュリオダナにブチキレて、ついにパンダバVSカウラバの大戦争が勃発する…。

ドスト『小英雄』読了仮報告


2003/10/11 (土)

今週末(というか、明日というかもう今日)行われるドスト読書会にあわせて、なんとかぎりぎりで昨日、『小英雄』(米川訳では『初恋』)を読了しました。

しっかりと描く余裕がありませんので今夜は仮報告。

強烈過ぎるキャラクターの出てこない、愛すべき佳作、と聞いていたので楽しみに読んだのですが、もうひとつ夢中にまではなれませんでした。

今度は甘すぎる、というか…。全体的に甘さが強烈に謳われている感じがつらかった。語り手の調子が肌に合わないんですよね。

もちろん辛いだけだったら最低ですが、一つ一つのシーン、ひとりひとりのエピソードやキャラクター作りなどには、それぞれ魅力も感じながら読むことはできました。ただ、どこかがまんしながら、息を止めながら、心に薄い壁を作って強弱の幅をせばめて調整しながら味わう必要がありました。

心を開いて受け入れることが出来たのは、最後の最後、ラストシーンくらいです。まあ、最後がよいというのはかなり救いだと思います。そんなわけで、読後感はとてもよかったです。

読中の気持ちを思い起こすと、ややダウンしますけれども。

この作品は…本を読んでいる間だけはこころおきなく善良になれる人向けかなあ、などと感じました。

あと、ヒロインに関しては、ぼくは当然のことながら、やや脇役のブロンドの暴君の方が好きです。なにせ『ネートチカ』でも断然「カーチャ」派ですからね(苦笑)。

石森章太郎サイボーグ009「ディープスペース」入手アンド読了


2003/10/08 (水)

ほんっとにひさしぶりに漫画を買いました。

少年サンデーコミックスサイボーグ009シリーズ、全12巻の最終巻『ディープスペース』をGETしました。

再発本は抜きにして、サイボーグ009は秋田書店版(サンデーコミックス)とその続編にあたる小学館版(少年サンデーコミックス)が存在します。

ぼくは初期の絵が嫌いなので、秋田書店版の10巻以降から、少年サンデーコミックス版の全ての絵が好きなのですが、

この小学館版、特に後半の巻が希少なのです。若い頃、ちょうど今文学をあさるのと同じ熱意で、ちょこちょこと買い集めていたのですが、この最終巻だけはどうしても手に入らなかった。

たまに見かけるのは、全巻セットで、あるいは3000円くらいの高値くらいのものでした。

90年代に、秋田書店版以降の全てのストーリーを網羅したハードカバーの全集、その文庫化があったので、値が下がったのかもしれませんが、

たまたま近くの大型量販古書店で、500円で見つけたので買いました。

内容は、ちょっとゆるいですが、絵は石森章太郎の一番いい時期のもので、もううっとりです。

小学館版には多いのですが、やや幻想的な、漫画詩のようなおもむきとなっていて、そうした種類のものでは最大規模のストーリーかと思います。

001から009、そしてギルモアまで、全10話の構成で、それぞれ1話完結風ながら、最終話で全てがまとまる作りになっている。

手塚の生み出した映画的な手法を、ぐっと高めたのが石森氏ですが、この009後期の幻想風短編は、青臭さが抜けた実験性に満ちていて、気持ちがいいです。(まあ、どっちつかずという感じもあるんですが。だからゆるいと書きました)。

コレクターとしては、とにもかくにも、再発本に頼らずに、すべての009が揃ったことはやはりうれしいっす。

漫画といえば、最近はコンビ二の廉価本で、埋もれていた名作が次々復刊され安くで入手できるようになっているので、

若い人、特に漫画家を目指す人にはチェックして欲しいですね。

廉価本ではないですが、池上遼一の『信長』と『男大空』が復刊されているのは、うれしいことです。

信長は、権利問題の関係で、後半はこれまで単行本未発売でしたし、男大空は男組の影に埋もれて、なかなか再発本が出回りませんでした。

惜しむらくは、月に1冊か2冊のペースでの発行だということ。信長はまだいいけど、男大空は、最終巻にありつくまで1年近く待たねばならんのじゃないか?

買って積んどくのも苦しいし…。

とまあ、たまには漫画オタク的なことも書いておこうと思って。

またもや古本購入記、だけではあんまりなので、スタニスラフスキイ『俳優と劇場の倫理(エチカ)』について少し

2003/10/04 (土)

既に今日、神保町の古書センターで古書展があるということは確認した上で、(神保町から程近いデイケアの職場に)出勤しました。体調すこぶる悪かったに関わらず、懲りずに、やはり仕事後には、寄るのである。

 ただし、今日のは、先週のとは参加店が違い、半分以上の棚には、珍本貴重本が表紙をこちらに向けて陳列されてござる。そういうのには興味ないんで、時間もおしているし、ほとんど無視。半分に満たない、しかもあまりぼくのツボに入らない棚をざっと見て、去りました。時間がおしている、というのは…実は、これ以外にも、高円寺の西部古書センターでもまた、古書展が今日明日開催されていることも既にチェック済みだったんです。神保町のが充実していたら、こちらはあきらめるつもりだったんですが、行くことが決定しました。

 しかし御茶ノ水駅に向かう間に、思いがけないところでプチ古書市が立っているのを偶然発見。まあまあ面白そうで安い品揃えだったので、そこで普通なら3〜500円する岩波文庫の美本(例『エレミア書』)を数冊と、西洋のかなり古くの精巧な、あやしくも素晴らしいエッチングを集めた洋書の画集があったので、演劇のチラシと美術用に、それでもしぼりこんで1冊だけを購入しました。

 その後、電車に乗って高円寺へ。収穫もあったし、つまらぬ、とはいえなくても、なにしろ思いがけない寄り道で、着いた時には終了25分前。超イメージ検索フル活動で、脳内ハードディスクがグルグルゴロゴロ鳴りながら、なんとかきっちり全ての棚をチェックしました。ここでの収穫はなかなかでした。

 久しぶりにトーマス・マンの本を買いました。竹山道雄訳『混乱と若い悩み』です。以前何度か見かけたことはありましたが、汚いわりに高価だったりして買わずにいたものです。300円なら買いだ。他の収録作品は『トニオ・クレーガー』と『マリオと魔術師』。いいチョイスだ。らしいチョイスだとも思う(笑)。読むのが楽しみです(特にトニオ)。

 鎌倉文庫版、岸田國士『風俗時評』150円もうれしい。彼の円熟期の戯曲を集めたもので(『風俗時評』は戯曲の題名です)、他にもやはり後期の名作である『歳月』『牛山ホテル』などが収録されています。これらはおおかた読んでいるのですが、標題作だけは未読で、実は所有している本にもこれは収録されているのですが、やたらとでかくて重い本で、持ち歩いて気楽に読めず、今ひとつ読む気が高まらずにいたのでした。鎌倉文庫は、紙が悪くまた古いので、入手した本もかなり汚らしくはあるのですが、なにしろ小型でソフトカバーだし読みやすいと思います。

 もうひとつ、いい収穫がありました。ユリイカ1985.11「増頁特集 世界の演劇人は語る」300円。これは、まず背表紙の(例の赤字の)特集内容の表示に目が止まり、棚から引き抜いたのですが、その瞬間に思ったのは「ピーター・ブルック関係の記事があるのではないか」ということでした。この予想はドンピシャ以上で、中をめくると、マハーバーラタについての記事が、ピーター・ブルックのインタビューも含め、かなり充実して掲載されていたのです。それを確認した瞬間に購入が決定されました。その他にも買った本はあるのですが、省略。

 そのユリイカを脇に抱えつつ残る棚を激しく検索しながら、ふと思ったのは「この本って、もしかしたらハイナーミュラー(以後HM)関係のことも載っているのでは?」「だったらさらに儲けものだが」ということでした。

 帰ってきてチェックしてみると、やはり載っている、それどころか、既に入手済みの1995年発行だかのHM特集号にも載ってなかった「ハムレットマシーン」の全文が掲載されている! これは、劇団の木戸さんにコピーしてもらえば済むものではありますが(実際春にはちょい借りしてざっと読みしてしまっている)、やはり雑誌といえども、ちゃんとした本の中で読むというのは、気持ちも高まり、読みが冴えるし、やはりうれしくてしかたがない。春の時は、元になっている『ハムレット』自体、詳細はうろ覚えだったし、演劇についても身体的な理解は今よりうんと浅かった。そういう意味でも、今回読むのは楽しみです。

 とりあえず、昨日の皮膚科の待ち時間に、木下訳ハムレットの読みがだいぶ進んだので、これを終えてからにしたいと思っています。

 って、ほんとに今日は、すっかり古本購入記ですね…。

 これではあまりにあまりなので、最近読み終えたスタニスラフスキイ『俳優と劇場の倫理(原題「エチカ」)』について、ちょこっと書いておこうかと思います。

 スタニスラフスキイの著作は、今回のこれが初めてなのですが、若い頃、それこそ文芸漫画に目覚めた頃ですが、何かの本から孫引きで、彼の演劇手法・思想などについては少しく知っており、こういって馬鹿げていなければ「著しく影響を受けた」という過去があるのです。

 ところが、今になってようやく演劇との関わりを持てたと思ったら、それがHMという、近代演劇をむしろ批判的に活動している男のテキストを演る、なんて形だったから、少なからずぼくとしては複雑な思いでいたのです。しかし、木戸さんや山田さんの発言や、文章、それに実際のやり方などに触れるうちに、つまらない誤解から生じるものということが、最初はおぼろげながら、今ではかなり明確に、わかってきたのです。

 よく言われるブレヒトとスタニスラフスキイの思想や方法の「対立」なんていうことも、あまり意味のない妄想のようなもので、HMに至るまで、これらの天才たちは、深いところでは同じことを目指していたということが、ほんとうに生々しく感じられてきました。途中、ベケットなんかを読んだのが、またよかったのかもしれません。

 そうしたことを踏まえつつ、この「エチカ」を読むと、いちいちがほんとうにリアルで、胸がふるえます。もちろん、今まさに演劇集団にいて、様々な体験をしている、それゆえということはありますが、これは、掲示板や、古くは漫画研究会の運営の苦悩の日々…こうしたことにもかなりダイレクトに直結していますし、それらを含めた、これまでの実人生全てのことが、生々しく重なります。

 そして生身の自分を振り返れば、ここに書かれていることには自らを恥じ入り、また甚だ痛い。しかし描いてきた漫画を思うと、「スタニスラフスキーに読ませたかったよ〜」なんて叫びが心の中で炸裂したりもします(笑)。

 なにしろ、この本は、いたく僕の気に入り、彼のことがもっともっと知りたくなりました。ということで、今では引続いて、今度はスタニスラフスキイについての本を読んでいるところです。そこで選ばれた本は、アテネ文庫『スタニスラフスキイ』山田肇訳 …総ページ数70強!(笑)「いたく」気に入っただの、興味が湧いただの言うわりに、これかよ! 『俳優修行』だの『芸術におけるわが生涯』だの、『スタニラフスキイ伝』だの、もっと分厚いどっしりした本を読めよ!

 と、落ちがついたところで、今日のところはおしまいにしましょう。

 まあ、ひとつ、この本を読んでいて思いがけずうれしかったことをひとつ書いておきます。スタニスラフスキイが初めて手がけたドスト作品は「ステェパンチェコヴォ村」なんですね。ドスト氏が、最初から戯曲として書くつもりだったところを、いろいろな事情で、小説として発表「してしまった」作品。だからこそまずこれを!という彼の選択は魅力的です。どうも食指が動かなかった「スチェパンチェコヴォ村」、これでようやく読んでみたい気持ちが湧いてきました。

 ちなみに今は、チェーホフの『かもめ』上演で大当たり、のくだりを読んでいるところです。

*実は、投稿時に、プロバイダかサーバーの方の問題で、この文、いったん全部消えてしまったのです。その衝撃は当然大きく、いったんは萎え、多くの人がよくやるように、ぼくも短くまとめて済まそうかとも思ったのですが、悔しいのが勝ったのと、あとは、どうもここのところの演劇での訓練のたまものか、繰り返し同じことをやることに、免疫ができ、また闘志さえわいてきたので、再現を目指して書き直しました。

それでもなお、少しく短めになってしまったかと思います。それに、文体が…なにしろ先ほど消えたものは、自分としてもまれに見る、自分らしさを確立し得た事を実感できる最高のものだったのですが、その良さは、かなり失われてしまいました。逃した魚は、大きいです。でも記憶や再現能力が、著しく劣っていることが売りだったぼくとしては、ここまででも再現できたのは奇跡的、またやはり演劇経験のたまものだと思ってしまいます。

木下訳ハムレット/ピーター・ブルック著作物/ねずみのいびき/人間の建設/フィリップ全集〜穴八幡青空古本市などでの収穫

2003/10/01 (水)

一応前回のとつながるように、ハムレットを題に持ってきました。

くわしい前後の面白い(かどうかはわからないですけど)いきさつの方は、自由掲示板(左のホームページアイコンから飛べます)の書き込みを読んで下さい。

今日の収穫はほんとに素晴らしかったのですが、それは、様々なタームで探していたものが見つかりまくったということなのです。

まずは、下の書き込みにあるように、なにしろ誰か福田恆存氏とは対照的な訳、できればぼくがのめりこんで読めるような…ハムレットを探していたわけです。

これは、ちょうど昨夜から今朝にかけての劇団の夜明かしで、メンバーの方からいろいろ情報を得ていました。それも参考に、ぼくとしては白水Uブックスの小田島氏訳か、もし安くで見つかればちくま文庫の松岡和子訳全集あたりが手に入るといいかなあと思っていました。

しかしそれらは意外と見つからず(なぜか両者とも『真夏の夜の夢』はよく見かける)、その代わりに福田氏より前の版の新潮文庫の木下順二訳『オセロウ』が100円で手に入りました。

ちょうど福田氏のオセローもあったのでその場で読み比べてみたのですが、土臭く、(『大衆』になる以前の←ここは重要)庶民らしい素朴な饒舌体で、これはいけそうだと思い、それからは木下訳を探していたのですが、なんと、わりとすぐに、1作ごとに1冊の新潮文庫ではなく、木下訳だけでまとめた『ハムレット・オセロー・マクベス』(講談社ライブラリー)が500円で入手できました。わりと小型でソフトカバーの、持ち歩きやすいシリーズです。

帰りの電車ではそれを読みながら帰ってきたのですが、まあ、ビミョウ(またか…)。あまりに素朴で飾らないので、さすがに福田氏の気の利いた言い回し(イヤミじゃないのもけっこうあるんです)や語彙を懐かしくも思いましたが、それは時々ちょっと物足りないという程度の感触で、福田訳を読んでいる時のようなストレスやむかつき、胃もたれは今のところ感じていません。

二人とも、負けず劣らず実演のことはかなり考えていますね(対処は正反対ですが)。木下氏のはなにしろ、聴きやすさ、を重視していて、聴いての楽しさ、面白さは控えめです。いいなと思ったのは、発声での言葉は、ひとつひとつの単語が浮かんではすぐに消えていってしまうので、長大な修飾語を伴う単語(人物名であることが多い)を出す場合、わりと最初の方に受ける主語を出しておかないと、聴いていて頭に映像を展開しにくい(英語の場合は長い修飾は名刺より後に連なるのでやりやすいと思う)。なのでなにか言い回しの順序だてに工夫が要るんですよね。それは福田氏も出来ているけど、まあ好みでしょうか、木下氏のセリフの方が、とらえやすい部分が多いように感じます。

ただし、語彙やその使用法がやや古いので、とまどう感はあります。例:「きっとなる」…これは今風に表記すると「キッとなる」でしょうか。漢字だと「屹となる」。警戒してそちらを凝視する、ということなんですが、ちょっと一瞬迷ってしまいます。福田訳では素直に「急に立ち止まる」となっています。

まあなにしろ、もし気に入ったらマクベスもオセローもこの本で読んでみようと思っています。

(下と話題がリンクする)ハムレットの話題はこれでおしまい。

収穫の話題という切り口に戻して話を進めます。ついここ数日探していたのがこの木下訳ハムレット(他2編)でした。

さらに短いタームでは、実は今朝方、寝る寸前に、ふと思い出して、どこかに売っていないかとネット検索した本があったんです。

それは坪田譲治晩年の境地が遺憾なく発揮された連作童話『ねずみのいびき』の単行本でした。

児童文学で一人作家を選ぶとなると、ぼくは新見南吉なんですが、作品で選ぶと、この坪田氏の『ねずみのいびき』になるのです。

語りのよさでいえば、児童文学というジャンルに限らず、もしかしたら一番評価している文体かもしれません。

なにしろ面白い。岡潔先生が童話を書いたらこうなるか、という感じもしますね。

この初版単行本がぼくの宝物だったんですが、以前人に貸したきり、返ってこなくなってしまった。

それで買い直しを意識していたんですが、ほんとうになくってあきらめかけていたんです。それが、この間講談社文庫で(これとて超レア)姉妹作の『かっぱとどんこつ』といっしょに安くでGETできたのですが、逆にそれによってやはりあの子供向けの挿絵入りの大型本が欲しくなってしまった。それで検索したんです。

これが池袋の某書店にあるということでしたので、これは、まあ今回の古本屋巡りの一番の目的でもあったんですが、きちんと入手することができました。

ある意味では長いタームで探していたものでもありますね。

中ぐらいのタームでは、この夏に、もろちょんさんの読書掲示板で存在を教えてもらっていた、ピーター・ブルック『なにもない空間』、これもかなりそれ以来真剣に、第1の標的として探しまくっていたのですが、これを650円で手に入れることが出来ました。

じつは順番としては、これより先に、同じ著者の『殻を破る〜演劇探求の40年〜』という分厚い本を500円で青空市で発見、狂喜した後でのさらなる出会いでした。

手に入る時は手に入るのだなあ…。

長〜いタームでは、というか、もはやあきらめきって探しさえもしていなかったのですが、『フィリップ全集』全3巻を3冊1500円で、これもやはり青空市で入手しました。

フィリップは、かなり前に、没落氏(男爵)から薦められてハマった作家で、岩波文庫や新潮文庫で、手に入る限りは手に入れて、おおかたは読んでいました。その後、バラで、この全集の1巻と2巻を、たしか1冊2000円くらいで買うことが出来たのですが、どうしても3巻がみつからず、また3冊揃いだと、ものすごく高かったりで、もうだいぶあきらめて「万が一の出会い」に賭けて、期待も意識せずに待ちをかけていたのでした。もし3巻だけでも、3000円以内で見つけたなら、買っていたでしょう。

それが、今日の青空市ではあっさりと3冊1500円で売られていました。

もともと美本が少ないらしく、持っていた2冊と、今回のそろいの3冊は、見た目の汚れは同じくらいです。中は今回のものの方が焼ケが少ない。ともかく3冊がそろい、夢みたいです。

この他、普通では1000円くらいする岸田国士の研究本、そして忘れてはならないのが、『対話 人間の建設』(岡潔×小林秀雄)です。

両方500円で手に入れました。

予算オーバーで買えなかったものは、悔しいので書きません。忘れよう、忘れよう。持っている本の美本なので、まああきらめもつく。

他にも30円〜200円くらいで、なかなかいい文庫本がいくつも手に入りましたが、これも省略します。

とりあえず、木下訳ハムレットと『なにもない空間』を持ち歩いて優先的に読むようにするつもりです。

ハムレットを福田恆存訳で読了、したんですが…

2003/09/30 (火)

テキストで読んだのは実は初めてなんです。

若い頃、生だのテレビだので演劇自体は観ていて、筋は覚えているし、内容的にも、また印象に残る部分もあったりして、けっして嫌いな作品と言う意識はなかったですね。

しかし、その後、僕の方の趣味が狭くなったという変化はあったので、いささか覚悟して読んだのですが…。

読んだのはごく当たり前の新潮文庫版です。

シェイクスピアのテイスト自体が、けっこう嫌いになっている危険が高いと踏んで、あえてわざわざ、福田氏の(一応ファンなので)訳で読むことにしたんですが…。

う〜ん、どうだろうか。

この覚書の一番最初の『マイノリティーリポート』の時と同じ問題につきあたったのですが、

果たして、いいと思った部分は、そして不快だった部分は、シェイクスピアの問題か、福田訳の問題か…。

解説を読むと、ますます複雑な気分に…。

ちょっと、これについて書くのはひとまず待って、他の人ので読んでみようと思っています。

たぶん、たぶんですが、ぼくの落ち着くところは、

シェイクスピアは、本で読むもんじゃなく、やっぱ劇でみるもんだ!というところでしょう。

それは、今回の読書が、あまり燃えるほど面白くなかった、ということにしても、

シェイクスピアはやっぱすごい、福田氏の解釈はやはりいい、ということを否定しないですよね。

この福田氏の訳による上演が観てみたいです。きっとしびれるんだ。

…なんかいや〜な覚書だなあ。

それにしても、単なる読者であれば、シェイクスピアは、あるいは福田氏のは、上演向き、ということで済まされるかもしれないが、

精読者(リズール)うんぬんを胡蝶社旗揚げ文でえらそうにぶん回している身では、これはまずいのでは???

しかも今、演劇に関わって、しかもどうやら出演することになりそうだってのに、こりゃやばいだろう!

いや、その、それは…声に出して読んでみれば…舞台上での身体性が…福田氏だって言っているぞ、演じることの喜びを…ブツブツ。

中村融訳『地下生活者の手記』

2003/09/28 (日)

今日はドストエーフスキイの会の例会で、人見氏による「謎解き『地下室の手記』序章」という発表があったので(詳しくは掲示板参照)、数日前からちょこちょこと、『地下生活者の手記』を再読していました。

春に初めて読んだ時は、米川訳だったのですが、今回の再読では、新たに入手した角川文庫版の中村融訳を選びました。

地の文に関しては、それぞれに魅力があり、ぼくの好みとしても、どちらが勝るとは言えない、部分ごとにはこちらがいい、というのはありましたけれども、ただ、売春婦リーザとの対話に関しては、だんぜん中村訳が、読みやすく、リアリティがありました。ようするにまざまざと情景を感じ、よりどっぷり作品世界を体感することができたのです。

もちろんこう感じるのにも個人差や時代性と言うものがあるでしょう。米川訳のリーザは、語り口が上品なんです。米川さんの中では、売春婦はこう語る、というイメージがあったんでしょうね。

もしかしたらその方が正確なのかもしれない。しかしぼくのイメージでは、リーザは(ドスト氏の頃のロシアの売春婦の多くは、と言い換えてもいいですが)、もうちょっとくだけた、はすっぱで投げやりなしゃべりをしていたのではないかと。

「そんなことをきいて何になさるの?」「それには及びませんわ」(米川訳)

「それがどうだっていうの?」「余計なお世話よ」(中村訳)

いい悪いはこの際別にしよう(今抜き出しで読み返した分には、米川訳調もそそる)。全然違うキャラだろう!

翻訳の具合というのは恐ろしいです。

ドスト例会の2次会で、ちょうど木下豊房先生の隣に座ることが出来たので、ちょっとこの中村訳の話を聞くことができました(持ち出してくださったのは演劇でもお世話になっているCogitoさんですが。ありがとうございます>Cogitoさん)。

中村融氏は、まあぼくもその名を最初に意識したのはまさにそれでだったのですが、ガルシンの翻訳者として知られているのだそうです。ドストに関しては他の翻訳者に比較するとそれほど読み込んで詳しいわけではないようです。

中村という姓が珍しいものではないので全く意識したことはこれまでありませんでしたが、やはりロシア文学の翻訳者として有名な中村白葉氏の娘婿にあたるそうです。

中村融氏のガルシンは、ぼくの宝物のひとつである『ガルシン全集』で読めればもちろん最高ですが、その中から寄り抜きで、福武文庫に入っています。これもなかなか見かけませんが。

今書棚を調べたら、岩波文庫ではツルゲーネフの『ルーヂン』なんかも訳していらっしゃいますね。

白葉先生の方は、ぼくとしてはやはり岩波文庫旧版『罪と罰』が印象深い。第1次ロシア文学マイブームの初期で出会っているので…。チェーホフの『決闘』もいいですが、なにしろ初読の神西清訳がよかったので…。

さて、最後にもう一度、中村(融)訳と米川訳の比較を。

あの『いまいましい』あまをぺしゃんこにやっつけて(米川訳)

この「女(あま)っちょ」をぎゅうぎゅうの目にあわせて(中村訳)

それに、あいつ、あの「すべたあま」、出してもらえないんだ(米川訳)

それにああいう『売女(ばいた)』は自由に出してはもらえないんだ(中村訳)

「女(あま)っちょ」は最高だけど、「バイタ」よか「すべたあま」の方がいかしているし、やっぱ米川訳も捨てがたいっすね。

あ、最初から、地の文に関しては勝敗はつけていなかったですね。うん。

…しかしあらためて思うのですが(まだ書くのか…)、この「バイタ」と「すべたあま」、入れ替えることは不可能ですね。

「ああいう」「は自由に…」というクールに見下したような文の間に「すべたあま」は入らない(効果的でなく浮いてしまう)。

「それに、あいつ」「出してもらえないんだ」というようにぶつ切りで熱く吐き出しているような文の間には、「バイタ」も入るけど、この場合は「すべたあま」にはかなわない。

やはり前後の関係は重大ですね。また、最初に思いついた文句が、「それに、あいつ」だったか、「それにああいう」だったかによって、次に浮かぶ語彙が限定あるいは選抜された状態、他に選択肢のない状態で、頭に浮かぶのではないかと思うのです。

そういうった意味では、よく文章の「書き出し」「冒頭の一文」の重要さについては言われますが、一文一文に関しても、やっぱあたまは重大だあ。

古本購入記録が脱線して、クラウス・マン『メフィスト』〜ハインリヒ・マン『嘆きの天使』

2003/09/27 (土)

実は今日は、ぎりぎりまですっかり忘れていたのですがデイケアの仕事の日でした。デイケア、の枕詞がくれば、当然出てくるのは、職場から程近い神保町巡りですね。

さすがに今日は、演劇のチラシ製作のことが頭にあったので、珍しく大型美術本・美術展カタログの店やコーナーに時間を割きました。

何軒かで、それぞれ何冊か、買っていったのですが、後半になるほどいい収穫が。

ヨーロッパ素描名作展のカタログなんかも役に立ちましたが、最高の収穫は、

『ヨーロッパのタピスリー』

もう、HMの『画の描写』をかなりそのまま髣髴とさせるような絵柄の写真がいくつも!

ぼくはもともとチラシは、ワクだけ手描きで、中は写真のコラージュなどで、メジャー映画のポスター風にしようと思っていたのですが、額の中も絵にして、このタピスリーを参考に、パロディ化して『画の描写』のテキストを再現しちゃってもいいかと思いました。

しかし、このカタログなども、なにせ金をケチって、1冊2〜300円のものがほとんど。ビジュアル博物館シリーズの『鳥』『古代ギリシア』の巻が、多少の汚れだけで500円で出ていたのは、さすがに買ってしまいましたが。このシリーズはけっこう使えてしかも面白いのですがなにせ高くて普段は買えないでいましたので、まあ今回の作業に関係もあるし、と、迷わず買いましたね。

もちろんいつものチェックもしましたし、今回は、ちょうど新生古書会館地下での古本市の最中だったのでそちらものぞいてみました(もちろん初めて)。かなりの規模でしたし、燃えましたが、意外と収穫は少なかった。以前に高くで買っていた本が、ちょっと汚くて300円、とかでやたらと目に入ったのは悔しかったですね。

美術本以外でも、300円以内のものを、計7冊買いましたが、とりたてて報告するほどのものはないかなあ。学芸文庫版の『大衆の反逆』が、一箇所の線引きで、175円だったのはお買い得だったけど、ぼくは角川文庫版で以前に読んじゃってるからなあ。

再読の際にはこちらを、と思って買いました。それに胡蝶社立ち上げの文章に紹介しているくらい若き日狂おしく愛した著作だから、という執着もあるし。

あ、そうだ。これもいつ読むかはわからないけど、『小説チャイコフスキー』(300円)はうれしかったな。え、なんで?と思うなかれ。

作者が、クラウス・マンなんですよ(笑)。チャイコフスキー自体は、その音楽も含めさほどは好きじゃないけど(若い時三百人劇場で観たロシアの伝記映画はなかなかよかったな)、亡命の末自殺した作家がその晩年、同じような境遇に生きた音楽家の伝記を書いたというのは、そそられます。

クラウス・マンといえば、かなり前に師匠AKCに録画してもらっていた『メフィスト』を数週間前に観たけれど、あれはよかった。かなり昔に偶然深夜放送で観たことがあったけど、なにせナチ支配下のドイツに居残ってがんばる男優の喜怒哀楽の物語だし、今見ると断然深く染み入った(し、燃えた、し、さらに超笑えた)。

そういえば、劇団でご一緒させてもらっている山田零さんは、ちょっとこの映画の主人公(メフィスト)にイメージがかぶるかも…(笑)。

しかしこの映画の原作の小説、ほんとにみないなあ。日本語訳されているのかしら?そもそもクラウス・マンの作品自体、みかけないもんなあ…。マン関係の原作小説つながりで言うと、マレーネ・デードリヒ主演ということだけで知られている(としか思えない)『嘆きの天使』、これの原作って、トーマス・マンの兄のハインリヒなんですよね。

ハインリヒの小説は、長編も短編集も、いくつかは見かけるんですが、この映画の原作の小説(短編らしい)の入っている本は見たことがない。

『ウンラート教授』っていうのが原作の題名なんですが、邦題がついてるからには、きっと翻訳はされているんだろう…。読んでみたいです。

なにしろ話としては、大教授が、学生の風紀をとりしまるためにと乗り込んだ場末の劇場で、美少年ならぬあばずれ美女に出あって、はまって、身を滅ぼす話だから、絶対面白いはず。

『ベニスに死す』と比較してみたいでしょう。

話がだいぶそれました。いいかげん寝ます。

デモンズ’95 補遺

2003/09/26 (金)

主演男優はルパート・エヴェレットという人なんですが、

ちょっと調べてみて、思い出しました。 

昔、なんとなく劇場で観て、印象に残った、『ライトハンド・マン/禁じられた抱擁 (1986) THE RIGHT HAND MAN 』

これで主演していた人だ!

なるほどそう思うと、表情の使い方や容貌に覚えがある。

貴族にしろ、しがない墓守にしろ、なにしろシケた二枚目を演じると、最高だなあ、この人。

今日はね、これだけ。

マイノリティーリポート VS デモンズ95

2003/09/25 (木)

ようやく念願のマイノリティーリポート鑑賞。

やはり劇場で観るべきだった。大変満足度高し。

しかし「高い」ということは、最高ではないということで、いくつかキズはある。

まず、これは見終わってから気付いたことだが、ものを知らないぼくは知らなかったが、これ、ディックの原作なのね。

スピルバーグ、やるなあ、と感心していたことの下手すると6〜7割は、原作の手柄、ということも考えられる。なにせ話が気に入ったので、原作、チェックしたいかも。

そしてこれは、もしかすると、長所と同じように、原作のキズなのかもしれないが、一番気になったこと、それは、テーマとその処理に関わることなのだが、

未来における、犯罪を予知して事前に犯人を逮捕することの「是非」という観点について、

これは、途中くらいから、ああこういうことが言いたくてこういう風に持っていくんだな、ということがおおよそ知れたので、これまた気になるのだが、

システム、というよりそれを使う人間側に常に問題がある、というあたりはいい。

しかし、問題があるから、じゃあこのシステムを肯定するか否定するか(つまり実際に使用していくべきか否か)という問題の提起が、今書いた通りさてどちらかの二元論で、中間の選択肢を全く無視しているのが気になる。

なぜ途中から気になってしまったかというと、途中で、犯罪予知システムの要である特殊な人間が3人いて、そのうち1人の予知が違う場合がある、なんて設定が前面に出てくるからだ。

最初から、このシステムには欠陥があるかないかということが、システム本格採用に向けての重大な疑問として提示されているのだから、この流れでいけば、

「もし3人のうちに1人でも異なる予知をする者がいれば、その場合は犯人検挙は留保する」

「念のため、犯罪の起こる時間にその場所に待機するまでは、しておいて、その上で状況を見る」

という折衷案が出てくるはずだと、思ってしまう。

結局「システムに問題がある」という大雑把な発見と、上層部の人間の過去に問題があったという事情から、まったくあっさりとキモチヨク、そのシステムはバッサリ撤廃になってめでたしめでたし、ということになってしまうのだが、相当このあたりは後味が悪い。

なにせそのシステムの発見によって試用期間に、救われた人の数は数知れず、また社会的にも相当に貢献しているのだ。

しかも上に書いたように、そのシステムに生じることのある問題は、どうも十二分に改良の余地があるように見えてしまう。

このあたりの不審は予期していたのか、このシステムは撤廃すべきだという印象を視聴者に強めるためにか、システムに使われる特殊な人間の人道的な権利問題をからめてあり、ラストでもそこが強調されている。

要するに、マシンの一部となって精神的な苦痛を浴び続ける3人の特殊能力者が、奴隷的な使役から開放されて、静かに余生を過すというシアワセなシーンがラストシーンなのだが、これもどうかと思う。

確かに、ぼくも、平気で彼らをマシン化して使用するのはどうかと思うが、彼らがまともな日常生活を続けることが出来るのか、という問題も絡め、

仕事として(これは職業として、という意味もあれば、使命として、という重い意味もある)彼らにシステムの一部となってもらうというのは、それほど抵抗のあることではない。

特殊な、過度に心労の加わる職業というのは、国家運営的なものでも、また芸術関係でも、医療関係でも、存在しているわけだし、

どうも、処理が甘い気がしてならない。

当然、だってスピルバーグなんだから、と言われてしまえばそこまでなのだが、こないだの『A.I.』あたりから、どうも、マジなところに入り込んで、マジな作りで攻めてくるから、

ついそのつもりになってマジで観てしまうのだ。

なにしろ、これだけ文句並べても、「キズ」に過ぎないというのだから、全くここに触れなくても、この作品がいかに面白いか、またいいところがどれだけあるかは解ってもらえるかと思う。(思えるかよ…)。

で、その後に、ほんとにツイデに借りてきた、「デモンズ’95」を観たのだが、

これはダリオ・アルジェントの弟子ミケーレ・ソアビの監督作。

直感的センスとバカパワーが売りの巨匠アルジェント、このバカさにあこがれて、バカになろうと一生懸命な秀才君、というのがソアビの印象だが、それゆえ彼の監督作は、ダリオに及ばない中途半端な駄作が多いという印象があった。

まあこれもそのひとつと映る人もいるだろうが、ぼくは違った。

今書いたような彼のこれまでの特徴が、秀才としての居直り一つで、全て魅力に転じていた。

ダリオが天然でやっていることを、力技で意識的にやり抜いていて、これまでは中途半端さにつながっていた彼のセンスのよさが、素直にキラキラと随所にきらめいている。

20回ほど大笑いしたし、10回ほどかっこいい映像処理(特撮どうこうではなく、構図やカメラの使い方。演出、ですね)にしびれあがった。

主演の俳優も、ドンピシャで素晴らしい。ドッチラケか置いてけぼり、ギリギリの脚本だが、それに説得力を持たせているのは彼の功績でもあるだろう。

退屈、虚無、屈辱、寂しさ、そこから湧き上がる狂気と怒り、

そして捨てきれない人の温かさへの憧憬、こうしたものがとてもよく描かれている。

なにせ、こう書いても、全くぴんと来ないだろうから、この作品に関しては、あらすじを別サイトから持ってきたのでコピーしておきます。これを読めば、いわゆるこれまでのB級ホラーゾンビものとは違うことが解るはず。

そうね、感触で近いのは「ヘルレイザー」かな。

あらすじ


北イタリアの小さな村バッファロラで、墓地管理人を務めるフランチェスコ・デラモルテ(ルパート・エヴェレット)は、人里離れたこの地で、毎日の仕事をこなすのが生き甲斐となっている。彼の唯一の友人で仕事の手伝いをしてくれるナギ(フランソワ・ハジー・ラザロ)は足が不自由で、おまけに容姿が悪い唖の小男だったが、優しい性格はフランチェスコの孤独を時として癒してくれていた。そんな平穏なある日、突如、不思議な疫病の影響か、墓に眠っていた死者たちが蘇るという事態が発生。フランチェスコは死人の群れと戦うが、周囲の人々は彼の作り話にすぎないと誰も相手にしない。毎夜、ゾンビとの戦いに明け暮れる彼の前に、ミステリアスな女(アンナ・ファルチ)が現われる。理想の女性像を見い出した彼は女に恋心を抱くが、彼女はゾンビの餌食となり、生ける死者の仲間入りをする。終わりのないゾンビの襲撃に、精神を侵され始めたフランチェスコに「生ある者を殺せ」と、死の声が毎夜囁く。そして死んだ女と瓜二つの女が、次々に彼の前に姿を現わす。死の世界からの誘惑に負けそうになったフランチェスコには、生者の世界もまた煩わしいものだった。彼は、ナギと共に村を去る決意をする。フランチェスコは、生と死について限りない自問自答を繰り返すのだった。

そんな感じで、記念すべき第一回、右馬之佐異界行覚書、これにて終了。

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